針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

李白について

2020-05-25 16:25:37 | 漢詩・古典・エトセトラ

ここのところ、余りにも低レベルの問答ばかりでしたのでちょっと一休み。針外しが人生の師と思っていますのは老事、老子と李白です。他にも諸葛孔明とかいますけどね。今回はその中の李白です。剛毅、風流な処、体が洗われるような感じです。書物のいい処はその人物に成りきるとは言えないまでもその人となりに近づく事が出来る処です。

                     

Wikipediaからの引用です。

「草堂集序」「新墓碑」『新唐書』(そんな本知らないよね(笑)などが伝えるところによると、李白の生母は太白金星を夢見て李白を懐妊したといわれ、名前と字はそれにちなんで名付けられたとされる。李太白てよばれますもんね。5歳頃から20年ほどの青少年期、蜀の青蓮郷を中心に活動した。伝記や自身が書いた文章などによると、この間、読書に励むとともに、剣術を好み、任侠の徒と交際したとある。この頃の逸話として、益州長史の蘇頲にその文才を認められたこと、東巖子という隠者と一緒に岷山に隠棲し、蜀の鳥を飼育し共に過ごしながら道士の修行をし、山中の鳥も李白を恐れず手から餌をついばんたこと、峨眉山など蜀の名勝を渡り歩いたことなどが伝わる。西遊記の中で天の玉帝から招致を受けて迎えに行ったのが太白金星なので李白とダブって仕舞います・

              
                 李白 

 25歳の頃、李白は蜀の地を離れ、以後10数年の間、長江中下流域を中心に、洛陽・太源。東魯などの中国各地を放浪する。自然詩人、孟浩然との交遊はこの時期とされ、名作「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」が作られている32歳の時、安陸の名家で、高宗であった。許圉師の孫娘と結婚し、長女李平陽と長男李伯禽という2人の子が生まれている。740年孔巣父ら5人の道士と徂徠山(現在の山東省泰安市)に集まり、「竹渓六逸」と呼ばれることもあった。730年代の頃に、長安に滞在して仕官を求めたというのが近年の研究から通説となっている。

742年の秋、友人元丹丘の尽力により、玄宗皇帝の妹で女道士となった玉真公主(持盈法師)の推薦を得て長安に上京した。玄宗への謁見を待つため紫極宮(老子廟)に滞在していた折り、当時の詩壇の長老である賀知章の来訪を受け、この時彼から名高い謫仙人の評価を得ている。このように宮廷で有力な影響力を持つ2人の推薦を得て、同年の冬、李白は宮廷の翰林供奉(天子側近の顧問役)として玄宗に仕えることになる。以後の3年間、李白は朝廷で詩歌を作り、詔勅の起草にもあたった。この時期、楊貴妃の美しさを牡丹の花にたとえた「清平調詞」三首などの作品が作られ、宮廷文人として大いに活躍している。だが、抜群の才能を発揮する一方で、杜甫が李白一斗 詩百篇、長安市上 酒家に眠る潯。天子呼び来たれども 船に上らず、自ら称す 臣は是れ 酒中の仙と」飲中八仙歌)と詠うように、礼法を無視した放埒な言動を続けたことから宮廷人との摩擦を引き起こし、744年、宦官高力士讒言を受けて長安を離れることとなった。

        
       杜甫             白居易            阿倍仲麻呂

長安を去った李白は、洛陽もしくは梁園・宋州(河南省開放市。商丘市)で杜甫と出会って意気投合し、1年半ほどの間、高適を交えて山東・河南一帯を旅するなど彼らと親しく交遊した。また阿倍仲麻呂とも親交があり、754年には、前年に仲麻呂が日本への帰国途中、遭難して死去したという知らせ(誤報)を聞き、「晁卿衡を哭す」を詠んでその死を悼んでいる。

安史の乱勃発後の当時、李白は廬山に隠棲していたが、玄宗の第16子、永王・李璘(リリン)の幕僚として招かれた。だが永王は異母兄の粛宗が玄宗に無断で皇帝に即位したのを認めず、粛宗の命令を無視して軍を動かしたことから反乱軍と見なされ、将軍・皇甫侁(コウホシン)と高適の追討を受けて斬られた。李白も捕らえられ、潯陽(江西省九江)で数ヶ月獄に繋がれた。その後、崔渙・宋若思の助力により釈放され、宋若思の幕僚となるが、結局は粛宗の朝廷側から夜郎(現在の貴州省北部)への流罪とされた。貴州という所は水滸伝にも流罪の処として有名だね。配流の途上の白帝城(後漢・公孫述が建てて、蜀の劉備が呉に敗れてこの城に逃げた)付近で罪を許され、もと来た道を帰還することになる。この時の詩が「早に白帝城を発す」である。赦免後の李白は、長江下流域の宣州(安徽省)を拠点に、再び各地を放浪し、762年の冬、宣州,当塗県の李陽冰の邸宅で62歳で病死した

有名な伝説では、船に乗っている時、酒に酔って水面に映る月を捉えようとして船から落ち、溺死したと言われる。(んな訳ないだろ!)

しかし、勉強になるね。脳みそも空っぽの方がいっぱい入るって聞いた事ある?。

コメント
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