前回からずいぶん間があいてしまったが、私の中学校時代の部活動はのんびりと活動していた。
中学校1年生の頃は、記憶も曖昧だが、校歌と行進曲を吹くだけで目一杯だった。
2年生の頃は秋の文化祭、音楽祭で「ディズニーメドレー」、「吹奏楽の為の序破急 ト調」(最近知ったが、1968年吹奏楽コンクール課題曲だったそうだ。当時は難しく感じた。)を演奏した。
2年生後半か3年生くらいになり、ようやく半音階が吹けるようになった。
またこの時期に、初めて「展覧会の絵」を聴き、サックスのヴィブラートを自分なりに研究し始めた頃だった。
当時はヴィブラートについて書かれた教本が無く(あったかもしれないが、私の行動範囲の中には無かった)、教えてくださる先輩や先生もいなかったので、息、アンブシュア、吹きながらキーや楽器を揺すったりして、それでも当時は真剣に試行錯誤していた。
3年生では学生指揮者となったため、練習はしていたが、合奏でもっぱら指揮をすることになり、演奏することはなくなってしまった。
また3年生の頃にラジオ「ブラスの響き」という番組が毎週日曜日の朝に放送されていて、それを聴きながら徐々に吹奏楽の世界を知ることになっていった。
中学校1年生の頃は、記憶も曖昧だが、校歌と行進曲を吹くだけで目一杯だった。
2年生の頃は秋の文化祭、音楽祭で「ディズニーメドレー」、「吹奏楽の為の序破急 ト調」(最近知ったが、1968年吹奏楽コンクール課題曲だったそうだ。当時は難しく感じた。)を演奏した。
2年生後半か3年生くらいになり、ようやく半音階が吹けるようになった。
またこの時期に、初めて「展覧会の絵」を聴き、サックスのヴィブラートを自分なりに研究し始めた頃だった。
当時はヴィブラートについて書かれた教本が無く(あったかもしれないが、私の行動範囲の中には無かった)、教えてくださる先輩や先生もいなかったので、息、アンブシュア、吹きながらキーや楽器を揺すったりして、それでも当時は真剣に試行錯誤していた。
3年生では学生指揮者となったため、練習はしていたが、合奏でもっぱら指揮をすることになり、演奏することはなくなってしまった。
また3年生の頃にラジオ「ブラスの響き」という番組が毎週日曜日の朝に放送されていて、それを聴きながら徐々に吹奏楽の世界を知ることになっていった。