虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

壬生剣客伝 下野の国から

2010-02-12 | 歴史
古本屋をはじめてから、北は北海道から南は沖縄までたくさんのお客さんと接してきた。注文を受け、本を送り、お金をもらう、それだけの関係がほとんどだけど(それでいいのだけど)、中には、商売抜きで、親切に声をかけてくれるお客さんもいるのがうれしい。

今日、本を送っていただいたお礼にと、わたしが幕末好きなのを知って、地元で開かれた壬生剣客伝のしおりと、地元新聞(下野新聞)に連載された記事「壬生剣客伝 高杉晋作が挑む」を切り抜いて送っていただいた。

古本うしおに堂の、どう見てもきれいとはいえない本を買っていただいたのに、そのお礼とは恐縮してしまった。

それを紹介する。

壬生町が栃木県にあるのを知らなかった(壬生といえば、京都だと思っていた)。

高杉晋作は22才のとき、剣術修行の旅に出る。「試撃行日譜」という日記が残されているのだが、高杉は栃木の壬生ではじめて念願の他流試合をする。
それまで、日記には訪れた土地や人のようすなど細かく書かれていたのだが、この日、日記は空白ページになり、その後、ただのメモ程度になってしまうそうだ。
この他流試合で何があったか。そう。負けたんです。日記をつける気力もわかないほど、ショックを受けたのでしょう。気持ちはわかるなあ(笑)。

試合をしたのは野州壬生藩の松本五郎兵衛。神道無念流。高杉(柳生新陰流免許皆伝)は3本勝負の3本とも負けたらしい。

壬生藩には「野原正一郎」という剣客がいたことも紹介している。
野原は、斎藤弥九郎の長男、斎藤新太郎が長州藩の明倫館道場で他流試合をしたときに同行した剣士だ。斎藤や野原に長州藩はだれ一人かなわなかった、ということで、それ以来、長州藩は、江戸の斎藤道場(練兵舘)で修行することになった。桂小五郎もそうだ。

高杉と試合した松本五郎兵衛も、江戸の斎藤道場で修行していた人。柳生新陰流といっても、やはり、剣は江戸なのかもしれない。

神道無念流を創設した人は、この壬生町の人で福井兵衛門嘉平。
杉田幸三の「剣客事典」によると、夢うつつのうちに老翁から剣の極意を教わり、「姓名を教えてほしい」と尋ねると、「なんじ、生まれしとき、姓名ありや」「ありません」「われ、只今、ここに来たりしがそれと同じよ」と答えてパッと消えてしまった。それ以来、無念、神から授かったからと神道無念流と名付けたそうだ。

神道無念流を有名にしたのはご存じ斎藤弥九郎。この人は武家出身ではなく、丁稚奉公などをした苦労人。のち、渡辺崋山、江川太郎左衛門、藤田東湖らとも深い親交を持ち、ただの剣客ではなかった。大塩の乱のときには、大坂に探索にきたこともある。おっと、話がどんどんそれる(笑)。

知らせてくれないと、栃木の壬生町で、今、こんな催しがあることなんて、ぜったいにわからなかっただろう。ほんとに、ありがとうございました。

「壬生剣客伝は」、壬生町立歴史民俗資料館で2月6日から3月14日まで開催しています。お近くの人はぜひどうぞ。