人生劇場
2010-02-22 | 読書
「人生劇場」って、今の若い人は知っているだろうか。
「やーるーとーおもえば、どこまでやるさー♪」のあの演歌?
やめてくれい、おじんの歌は、と思うだろうな。
いや、わたしの子供のころも、親父が歌っていて、やめてくれい!と思ったものだ。
これは、W大の第二校歌ということになっている。しかし、今はもう歌っていないだろうな。
歌ではなく、尾崎士郎の「人生劇場」だ。
実は、大昔、人生劇場の青春篇を読んで胸おどらせた一人だ(わたし)。
主人公、青成瓢吉。三州吉良の田舎から東京の学校に出て、大学騒動に関わり、中退する。
田舎から上京して都会でさまざまな青年と交わる、という話は漱石の三四郎以来、青春もののパターンだが、これは、戦前の大正時代の話で、なかなか男っ気のある、人生、意気に感ず、という青年の客気にあふれた物語。ゲタを鳴らして大道を闊歩し、政治も時に論じる壮士型豪傑型の若者が出る。
作者、尾崎士郎は、山本周五郎と対照的で、実に颯爽とした男だったようだ。周五郎の「樅の木が残った」に出てくる快男児伊藤七十郎は、尾崎士郎をモデルにしたとか。まあ、龍馬か晋作か、そんなかっこいい男ではあったのだろう。当然、女性にももてたようだ(宇野千代と一時いっしょになる)。ちなみに、周五郎は颯爽とした人は大嫌いだったそうだ。
尾崎士郎は、調べると、若いころは、堺利彦の売文社に出入りし、社会主義に近づいたこともあるようだが、その後、文学報国会に参加し、国策にのった文士ということで、戦後は追放処分にもなったそうだ。
まあ、いろいろあるだろうが、尾崎士郎は、戦前の日本にまだ残っていた男の侠気を愛したのかもしれない。飛車角の話は、人生劇場残侠篇だが、今、あんな話を書ける人がどこにいるだろうか、また、あんな話に感動する人がどこにいるだろうか。わたしの世代は、ああいう世界が少しだけわかる最後の世代かもしれない。
尾崎士郎の本、久しぶりに入手した。これも得難い本だ。
ゲタを鳴らしてヤツがくる、という歌もあったけど、ゲタはいて歩きたいなあ。
「やーるーとーおもえば、どこまでやるさー♪」のあの演歌?
やめてくれい、おじんの歌は、と思うだろうな。
いや、わたしの子供のころも、親父が歌っていて、やめてくれい!と思ったものだ。
これは、W大の第二校歌ということになっている。しかし、今はもう歌っていないだろうな。
歌ではなく、尾崎士郎の「人生劇場」だ。
実は、大昔、人生劇場の青春篇を読んで胸おどらせた一人だ(わたし)。
主人公、青成瓢吉。三州吉良の田舎から東京の学校に出て、大学騒動に関わり、中退する。
田舎から上京して都会でさまざまな青年と交わる、という話は漱石の三四郎以来、青春もののパターンだが、これは、戦前の大正時代の話で、なかなか男っ気のある、人生、意気に感ず、という青年の客気にあふれた物語。ゲタを鳴らして大道を闊歩し、政治も時に論じる壮士型豪傑型の若者が出る。
作者、尾崎士郎は、山本周五郎と対照的で、実に颯爽とした男だったようだ。周五郎の「樅の木が残った」に出てくる快男児伊藤七十郎は、尾崎士郎をモデルにしたとか。まあ、龍馬か晋作か、そんなかっこいい男ではあったのだろう。当然、女性にももてたようだ(宇野千代と一時いっしょになる)。ちなみに、周五郎は颯爽とした人は大嫌いだったそうだ。
尾崎士郎は、調べると、若いころは、堺利彦の売文社に出入りし、社会主義に近づいたこともあるようだが、その後、文学報国会に参加し、国策にのった文士ということで、戦後は追放処分にもなったそうだ。
まあ、いろいろあるだろうが、尾崎士郎は、戦前の日本にまだ残っていた男の侠気を愛したのかもしれない。飛車角の話は、人生劇場残侠篇だが、今、あんな話を書ける人がどこにいるだろうか、また、あんな話に感動する人がどこにいるだろうか。わたしの世代は、ああいう世界が少しだけわかる最後の世代かもしれない。
尾崎士郎の本、久しぶりに入手した。これも得難い本だ。
ゲタを鳴らしてヤツがくる、という歌もあったけど、ゲタはいて歩きたいなあ。