虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

枚方宿を歩く 鍵屋資料館 くらわんかギャラリー

2010-02-06 | 日記
枚方は江戸時代、東海道の宿場町であり、淀川で京都ー大阪を往来する「三十石船」の船着き場でもあった。特に、枚方の「くらわんか舟」は小舟で「三十石船」に近づき、「餅くらわんか、飯くらわんか」とちょっとがらの悪い地元言葉で食べ物をすすめるので有名だった。

「三十石船」をしょっちゅう利用した幕末志士たちも、枚方ではきっと「くらわんか舟」から食い物を買ったにちがいない。あの清河八郎も「西遊草」で「くらわんか舟」が来ることを待っていたのに、雨でこなかったので、がっかり、でも一隻だけ来てくれたと、書いています。

「自然、空腹にあれども、平方にてくらわんか舟もいたらず。ことに雨ゆえ、食物ふね、来らざれば、舟中の人いづれもあきれ、退屈するうち、一艘の食物舟来たり、飢えたるときのまずきものなしとやら、おのおの、先をあらそいて、くらいたり」

枚方市のこの淀川沿いに、枚方宿・鍵屋資料館というのがあり、今日、のぞいてきた。見学料200円。鍵屋は、江戸時代は船待ち宿、昭和、平成は料亭だったそうだが、今は市立の歴史資料館として、枚方宿や「くらわんか舟」の資料を公開している。道に面した主屋は指定文化財になっている。くらわんか舟の実寸模型があり、映像で、くらわんか舟の売買のやりとりなども見ることができる。小さな「マリア観音像」も置いていた。高山右近の高槻の隣だからきっとキリシタンもいたのだろう。

この道を5分ほど歩くと、「くらわんかギャラリー」、別名塩熊商店だったか(小野邸)。
この中に入ると、なんと部屋の中は森繁久弥資料館のように、森繁久弥の写真や本、資料が並べられている。この部屋で座って、ゆっくりコーヒーを飲むことができる。たぶん、ほとんど知られていないお店だろう。

森繁久弥は枚方出身の人だった。ここを訪ねてはじめて気がついた。今日は、市民会館で、「森繁久弥を偲ぶ会をしている」、とのことだった。

ここで資料を見ると、森繁久弥のおじいさんは、江戸幕府の大目付だったようだ。その子、森繁の父親は、叔父の成島柳北の塾で英語を学んだとある。そのご、東京英語学校の先生などをしたあと、日本銀行につとめたり、大阪市の助役になったり、実業界でも活躍したらしい。森繁の生家もこの近くにあるそうで、それはそれは立派で、お屋敷には執事さんもいたそうだ。

あの、(古い人は知っているけど、若い人は知らないだろうが)、映画になった「綴り方兄弟」も枚方の子供なんだそうだ。

ついでに、大塩平八郎の乱に参加しようと決起した深尾才次郎は、枚方の尊延寺村の人だった。

大阪は今日が初雪。寒いのでそこまでは足をのばせなかった。

画像は、鍵屋資料館。