らんかみち

童話から老話まで

布団をうずんで走ります

2011年12月18日 | 酒、食
 体調万全にはほど遠い体たらくだけど、枕と布団をうずんで(車に積んで)関西方面へ。玄そばを丸抜きして粉にしてもらうことが主目的なのだ。近場でもやってくれる粉屋さんはあるんだけど、石臼を持っていない。ロール挽きの機械なら知り合いが持っていて、「いつでも粉にしてあげる」と心強いことを申し出てくれている。

 でもせっっかくボランティアさんたちが丹精込めて育てたそばなので、蕎麦打ちの腕前はともかく粉だけは最高の状態にして食べていただきたい。それにはぼくのホームグラウンドであったそば粉屋さんに行き、「絶対に石臼で挽いてね」とお願いするのが確実だと思う。

 市が交通費まで出してくれるわけはないのだが、教わりたいことが山ほどあり、粉屋の社長は質問に答えるのがやぶさかでない人で、交通費に自腹を切っても惜しくはないのである(ナビを参照したら3時間と40分で着く計算だが、うそつけ、休憩入れて5時間かかるよ)。

枕をうずむもまた善きかな

2011年12月17日 | 男と女
「夜な夜な枕をうずんで男の家に走る」と噂されるおばちゃんに会った。いや正確にいえば、自分についての中傷を濯ぐ意図を持って問わず語りに事実を聞かされたのである。すなわち、同姓同名で似たような境遇の別人が「枕をうずんどるんよ」ということらしい。

 村上、檜垣、矢野などなど、うちの田舎に限らず地方では名字が限られ、それが元で面倒なことになるケースもある。ある日のこと、入院している叔母を見舞ったところ、ベッドの上の叔母がえらく若返っている。部屋の名札を確かめても叔母に間違いないが、いくらなんでも80才が60才まで若返るなんて! 

 何かの間違いだろうと廊下に出て隣の部屋の名札を見ると、ここにも叔母の名前が。慎重にベッドを確かめて「こんにち……ゎぁ……」叔母は100才になっていた。
 もう一度名札を確かめに出てまた戻り、また外に出てを繰り返していたら「何をしているんですか!」と職員に見咎められ、事情を話すと「同姓同名が3人おるんですよ」と大笑いされながら真の叔母の所へ案内してくれた。

 そういう事情であるから、田舎ではファーストネームを愛称で呼ぶことが多い。つまり、世津子、雪雄なら、せっちゃん、せっつぁん、せつ姉ぇ、せつ兄ぃ、などと呼ばれるのである。
 だが、やがて愛称が枯渇すると、△村のせっちん、といったように、もはや性別不明どころか御不浄を連想させるような事態を迎えるわけで、これが悲劇の引き金を引くこともある。

「△村の◯ちゃん言うたら、10人が10人とも私のことと思うでしょ、私が陰日向にバ◯タ呼ばわりされて、迷惑な話よ!」
 なるほど、気の毒ではあるが、火のないところに煙は立たず、という諺もある。
「そりゃあ言い寄ってくる男もおるけど、私は清廉潔白よ」
 といいつつ、浮き名を流した過去を披露してくれたのだが、どうやらモテ自慢に話がシフトしてしまったようだ。

 とある坊さんと四方山話をしていたとき「所詮は坊主の言うこと、この世の事情でしかない」と達観を開陳してくれたことがある。「悟り」というものは無い、と悟るのも「悟り」なのだという。
 おばちゃんの話を一通り聞き終え、浮いた話も悪くないんじゃないか、むしろ喜ばしいことじゃないか、と寛大な気持ちになった。だって喜寿といえば、既に神や仏との和解は済ませたころだろうし、涅槃の境地に近づいているだろう。というより、この世に怖いものなど無くなりつつある?

HEATTECHとHEATFACT、あるいは牛丼屋

2011年12月16日 | 暮らしの落とし穴
「す◯家の牛丼祭り、並丼250円」のリーフレットを目の当たりにし、これを食わずんばオレの人生、長い目で見たら損をするのではないか、といった強迫観念に囚われて、はや5日。たまりかねた昨日、バイクを駆って島を飛び出し、斎灘(いつきなだ)を渡って大都会今治市のす◯家に詣でたのである。

 す◯家といえば、強盗さんによる人気投票では吉◯家を圧倒し、◯屋などの追随を許さないわけだが、さて一般人にその法則が適用できるのかどうか。数日前に食べた吉◯家と比較するため、牛並丼をお新香セットでいただく。
 うむ、少な目だが肉の薄さは昔の吉◯家を彷彿させ、タレは甘さが控えられてちょうど良い。お新香は似たようなレベルでまずまず可とするが、味噌汁は吉◯家よりも好感が持てる。

 総合評価として、巷で噂されるほどの差は、す◯家と吉◯家の間には無いと思われる。2人の副審から赤と白の旗が一本ずつ挙がり、主審に判断が任されて迷った末どちらかの旗を挙げた、という程度の判定で吉◯家が一歩リードしている、という印象か。

 それにしても、アイマスクをされた状態で目の前に牛丼並お新香セットを出され、ブラインドを解除される。そして先入観のない状態でセットを食い、「今食べたのは吉◯家か、す◯家か」と問われたとして、正解を出せる自信は50パーセントしか、ぼくにはない。箸から何から、吉◯家とそっくりじゃないか、仁義はないのか、矜持は!

 どちらにしても320円なら満足なりぃ、と次はスーパーのイ◯ンに詣で、メンズ肌着を物色中、イ◯ンにHEATTECHがっ! と驚いて良く見たらHEATFACTではないか。良く似たネーミングとロゴであるばかりか、パッケージまで似ているように見えてくるから不思議。
 こ、これは、製品に余程の自信があるからこそユニク◯に喧嘩を売ったに違いない、ということなら悪かろうはずもない。そう確信してインナー上下を買った。

 ふむふむ、ハイネックロングスリーブはHEATTECHよりやや厚手に思えるし、その分だけ温かいような気がする。
 がぁ~しかし、イ◯ンともあろう一流会社がユニク◯に追随するのはいかがなものか。テクノロジーではなく、販売戦術での「あやかり」たるや、ビール業界の仁義なき戦いにも似て不毛なり。せめて「温暖化宣言」みたいなネーミングによって、COP17で京都議定書体制からの離脱を宣言した我が国を嗤うくらいのエスプリがほしかった。
 あ、でも、HEATTECHと間違えてHEATFACTを手に取ったのは、事実(FACT)なんだけどね。

奇跡の一本松に別れを告げ

2011年12月15日 | 暮らしの落とし穴
「奇跡の一本松よ安らかに」と題された昨日の新聞によると、3.11の津波を受けながらも一本だけ生き残っていた松が塩害によって余命いくばくもないらしい。復興のシンボルだっただけに、一目見ておきたいぞ。

 というわけで、陸前高田市までひとっ走り。もちろんバーチャルトリップ、つまりグーグルの航空写真で上空から眺めただけ。それでも、海水に曝されながら瓦礫の中に一本だけすっくと立ち続けている姿には感動を禁じ得ない。「陸前高田ユースホステル」で航空写真を検索すればすぐに見つかるだろう。

 忘年会だの何だのと会合に出ると、来賓の方が必ず東北大震災について言及するので、そうなんだ、今年だったんだ! と、わずか8か月前のことを忘れかけていたことに気が付き、我ながら物忘れの良さに愕然となる。

 公私ともに忙しかったこともあるけど、他人事のように、遠い昔の出来事のように、もはやぼくの中では記憶の劣化が始まっているのだろうか。記憶の蒸散が容易い性格というのも、ある意味耐性があるということだろうけど、3.11を忘れるようじゃいかん。
 一度リアルで被災地を訪ね、現実に起きたのだということを実感する必要があろうかと、年賀状も書かずに被災地応援ツアーなどをチェックし始めた師走です。

方言で日記を書くと

2011年12月13日 | 暮らしの落とし穴
 昨夜は一流のシティーホテル(この地方都市では)での忘年会。日ごろはダスラコ(しょぼい)い料理を出すことで定評があるらしい。曰く「エビはチンマイ(小さい)し、生ハムはイナゲ(妙な)カザ(臭い)がして、ムツゴ(味がくどい)かったがん」などなどと。

 たしかに日ごろのパーティーなどで出される料理は値段なりのものだろう、大金を払えば話は別なのだが。もっとも、魚などに関しては漁師の口が驕っているので無理を言ってはいかん。
「それがの、エライさんが顔を出すときはキサンジイ(小気味よい)ほどの肉を食わしてくれらいや、チョロコ(小賢しい)かろが(だろう)!」

 この方程式は当たらずとも遠からずで、昨夜の忘年会で食べたローストビーフは「今までオレが食ってきた牛肉は何だったの?」と、ゴウゲ(絢爛豪華)に美味い肉を前にハブテ(ふてくされ)るしかなかったのである。

 エズ(吐き気がする)きそうなほど脂の乗ったマグロのトロもいただきながら、これに大枚を費やすなら酒を奮発してくれたらエカロ(良かろう)にと、酒と食材のアンバランスをかこちつつ酔いもせず。

 大ホールに1000人も詰め込んでいるからセセコマシ(狭苦しい)いこともおびただしく、コンビニで買った魚肉ソーセージをホテルの部屋に持ち帰ってビールとウィスキーでイナ(流し込む)したのである。
 オヨソマク(いい加減な)の今治弁交じりで日記を書いたらアズ(手こずる)っていかんがん!

忘年会週間(苦行)突入

2011年12月12日 | 暮らしの落とし穴
 地元ゆかりの企業と面談を済ませ、以後は忘年会週間に突入となる。仲間内で飲んだくれる無礼講なら金を出しても楽しかろうが、代議士やら県知事やらの居並ぶ宴会で飲む酒を甘露というには……。
 これがバブリーな時代の話なら驚くべき料理や酒が振る舞われただろうに、今年はペットボトルのボージョレー・ヌーボーを前にしてため息をつくこと必定。それでも昨年よりは知り合いが増えたので、まあそれなりに損長の勤めを果たしてくるつもりではあります。

倹約は健康の薬膳なり

2011年12月11日 | 酒、食
 某倹約家から「大根の皮や葉を捨てるとは笑止なりぃ」と説教を食らったので、大根葉をゆでてから細かく切り、皮も細かく刻んでから炒めてみた。タンパク質系が無いと味が平板になる気がしたので釜揚げシラスを投入。風味に欠けるのを心配して花鰹をパラパラ。醤油以外の味付けを思いつかなかったので、ヒゲタ醤油の「本膳」を奢ってフィニッシュ。

 さっきまでシンクの隅に放置していた材料でこしらえたので恐る恐る食ってみたが、おおこれは! あくまでもしんなりとした大根葉の中に、シャキシャキ感もフレッシュな白い皮。釜揚げシラスの香りと花鰹が奇妙にマッチし、通奏低音のような醤油の香ばしさの上に旨味の旋律が踊る。
 全ての分量が黄金比を保ちつつ展開した偶然の産物であろうことは疑いようもないが、大根そのものより美味いじゃないか!

 フライパンから皿に移してふと気がつくと、母がご飯の上にふりかけて完食してしまっている。そうか、骨粗鬆症を防ごうと無理矢理カルシウムを食べさせなくても、こんなリーズナブルな食材で間に合うのか。
 高価な食材を使わずとも、高度なテクニックを駆使しなくとも、発想を柔軟にするだけで世界は広がるのだ。ここで養生訓をひとつ、倹約は健康の薬膳なり。

地域おこしには地道な作業が避けられない

2011年12月10日 | 暮らしの落とし穴
 次の地域おこし企画は提案済みだけど、詳しく知らない業界のこととて、上手くいくのかどうか不安もあり、ご近所さんに相談してみた。長く続けたい企画なのだけど、業界全体が斜陽産業と化しているのは相撲界にも似ているだろうか。

「そんなもん掘り起こしてどうするか」という意見もあるけど、それ以前に掘り起こせるかどうかも分からない。町史を繙くと3ページほどにわたって解説があるし重要な記録も残っているけど、その他の資料をこれから収集していかないといけない。

 この企画のためには、いうなればノンフィクションを書くような作業が必要で、多くの人物に取材をする必要があると思われる。業界に丸投げすれば簡単なのだろうけど、それが地域おこしにつながるかどうかってことが問題なのだ。
 自分たちの地域を自分たちで掘り起こす、そんな地道な作業にこそ意義がありそうにも思える、今日この頃なのでございます。

埋みご飯を抱ずんでみる

2011年12月09日 | 酒、食
 連日のように夜昼無く地域おこし会議に出ているけど、昨日の昼はコンサルタントによるヒアリングだった。かつて行政に対するコンサルティングをしていた人たちの仕事が減り、その分を地域おこしに携わっているNPO法人などにシフトしているのだろうか。
 行政に対し、こんな事業を始めたら活性化する、といったアドバイスをしても、細かい所にまで手が届かないとか、失敗を恐れるあまり上手く機能しない、というのがNPOに仕事を任せる理由のようだ。

 広島方面を担当しているらしいコンサルタントに色々と聞いてみたところ、少し古いのではないかと思われる情報を披露してくれたり、ベクトルが違うように思われることも多々あり。
 そんななか、福山市は「うずみごはん」の食ブランド化を推進しているのだとか。どんな料理かというと、ご飯を丼に半分だけ盛り、その上に鯛などの贅を尽くした具材をトッピングし、それをまたご飯で隠す、見た目は大変質素な料理なのだ。

 私見だけど、江戸時代に倹約令を発布した殿様が「自分が贅沢な食事をしていては庶民に示しがつかん」と、美味いものをコソコソ食っていたのを庶民が真似たんじゃないだろうか。
 福山では、うずみ=埋み=埋める、という意味なのだけど、同じ瀬戸内でも我が今治では全く違う意味になる。
「あんた、夜な夜な枕をうずんで男の家を泊まり歩きょろがね!」という用例の通り、うずむ=抱く、となる。漢字で無理に書くとすれば「抱ずむ」だろうか。
 
 この「夜な夜な枕をうずんで走る」と噂されるおばちゃんに会う機会があり、直接話を聞いたところ意外な事実が判明したのだけど、それはまた後日ということに。
 それにしても、うずみごはんを地域おこしの手裏剣に使おうと考えた人に敬意を表したい。「うずみのような見た目が地味な料理じゃインパクトが無いだろう」という冷ややかな意見が出て、恐らくはくじけそうになっただろうから。

エピキュリアンたちの忘年会

2011年12月08日 | 陶芸
 キリギリスじゃないけど、我が陶芸クラブは「山陰カニ食い放題旅行」で遊蕩三昧した結果、忘年会を開く資金に事欠くありさま。かくなる上は自分たちで持ち寄った食材に腕をふるい、これを持って忘年会に代えることと相成りました。



 メインはハンタさんのプレゼントである猪肉を使ったボタン鍋。肉のスライスと味付けを担当した、というより皆さんが逃げ腰なので仕方ない。地元の麦味噌、信州風味噌、麦の赤味噌などをブレンドしたけれど、飯屋の豚汁にはどこか及ばない。

 その何かが不明なまま皆さんに供したところ「いけるじゃないか」と好評を博しはしたが、ぼく的には納得いかぬままハンタさんの登場を待ちました。教わったレシピ通りではないけど、ハンタさんに味見をしてもらったら、「おお、この味はワシの味付けにかなり近いぞ」とお墨付きを頂きました。

 

 サブとしてメンバーがそれぞれに趣向を凝らした料理を持ち寄ってくれたので、食べきること叶わず持ち帰りました。しかしアルコールの無い忘年会なんて、宴会というよりキリギリス的反省会の趣が漂い、「来年はアルコールのある忘年会をやろうよ」と提案。
「バカを言っちゃいかん。今を楽しまずして、どがんするんぞ!」と、老い先の長さを計算できるエピキュリアンばかりなので、さてどうなりますことやら……。