らんかみち

童話から老話まで

食い物に活路を、てか現実逃避だね

2011年12月22日 | 酒、食
 村を留守にしていたら水面下で問題が勃発していて、クソッ腹の立つぅ! ぼくが関西方面で遊蕩三昧という心無い噂もあるらしいが、それは事実無根……というわけでもないか。友人の墓参りもしたけど、確かに飲んだくれてはおったな。
 しかしまあ、飲み食いも修行のうち。つまり関西の最終日は有名蕎麦を食い、人々はどうしてこの店に通っているのか、謎の解明に勤しんでいたのが真相と申しておきたい。

 名前は伏せておくが、堺市にある蒸籠蒸し蕎麦の店は創業100年というから半端ではない。多くの人に「あそこの蕎麦を美味しいと思いますか」みたいにインタビューしてみたことがあるけど、「無上である」と賞賛する人もいれば「蕎麦に非ず」と吐き捨てる人もいた。
 蕎麦打ち仲間でもあった友人が亡くなる1年前、共に蕎麦を食った店だが、「蕎麦臭いうどんだな」と彼が評したように、蕎麦と呼ぶにはあまりにもうどんが勝っている。だが、汁は絶品と評せるのではなかろうか。

 熱々の蒸籠に蓋をされた状態で蕎麦が運ばれてきたとき、「汁の準備ができてから蓋を開けて下さい」と指示がある。そこでまず汁椀に鶏卵を割り入れ、チャカチャカと良く掻き混ぜてから徳利に入った熱々の出汁醤油をぶちまける。これは避けて通れない儀式で、ネギと練りワサビも入れたければ好きにしたらいいけど、あくまでも「付きもの」という認識を持つべきだろう。
 儀式を済ませてから蒸籠の蓋を取らねばならない訳は食べ終える頃に理解できるのだが、早い話、冷めて乾いたら麺同士がくっついてしまうんよね。

 全卵1個を使うので出汁醤油は辛口。出汁はイリコだと思うが、汁だけをなめてみると、なんだか生臭さを感じる。なのに玉子を混ぜると臭みが消えるどころか、えもいわれぬ風味が沸き立って魅了される。そう、そのときの幸せは玉子かけご飯を食べるときのそれに優るとも劣らない。
 恐らく、この汁にラーメンの麺を入れようがマロニーを付けようが、何でも美味いに違いない。だから蕎麦である必要もないのである。だからといって、もしうどんだったなら、お腹を満たすための1斤半の量で1000円などもってのほか! 原価の高い蕎麦だから腹が立たないだけなのである。
 
 もう1軒の蕎麦屋は「大名そば」で画像検索すれば数多くヒットする、こちらも人気店。今回は行けなかったので検証はできないけど、やはりうどんの勝る麺で、個性的かつ毀誉褒貶の著しさでは先に挙げた店と双璧だろうか。いずれにしても、一部の人を虜にできる蠱惑的な蕎麦であるのは間違いない。
 とまあここまで書いて、娑婆に戻って気づく非情な現実の憂さを晴らしたいから食い物の話に逃避しているんだぁ、そうだったんだ!