らんかみち

童話から老話まで

枕をうずむもまた善きかな

2011年12月17日 | 男と女
「夜な夜な枕をうずんで男の家に走る」と噂されるおばちゃんに会った。いや正確にいえば、自分についての中傷を濯ぐ意図を持って問わず語りに事実を聞かされたのである。すなわち、同姓同名で似たような境遇の別人が「枕をうずんどるんよ」ということらしい。

 村上、檜垣、矢野などなど、うちの田舎に限らず地方では名字が限られ、それが元で面倒なことになるケースもある。ある日のこと、入院している叔母を見舞ったところ、ベッドの上の叔母がえらく若返っている。部屋の名札を確かめても叔母に間違いないが、いくらなんでも80才が60才まで若返るなんて! 

 何かの間違いだろうと廊下に出て隣の部屋の名札を見ると、ここにも叔母の名前が。慎重にベッドを確かめて「こんにち……ゎぁ……」叔母は100才になっていた。
 もう一度名札を確かめに出てまた戻り、また外に出てを繰り返していたら「何をしているんですか!」と職員に見咎められ、事情を話すと「同姓同名が3人おるんですよ」と大笑いされながら真の叔母の所へ案内してくれた。

 そういう事情であるから、田舎ではファーストネームを愛称で呼ぶことが多い。つまり、世津子、雪雄なら、せっちゃん、せっつぁん、せつ姉ぇ、せつ兄ぃ、などと呼ばれるのである。
 だが、やがて愛称が枯渇すると、△村のせっちん、といったように、もはや性別不明どころか御不浄を連想させるような事態を迎えるわけで、これが悲劇の引き金を引くこともある。

「△村の◯ちゃん言うたら、10人が10人とも私のことと思うでしょ、私が陰日向にバ◯タ呼ばわりされて、迷惑な話よ!」
 なるほど、気の毒ではあるが、火のないところに煙は立たず、という諺もある。
「そりゃあ言い寄ってくる男もおるけど、私は清廉潔白よ」
 といいつつ、浮き名を流した過去を披露してくれたのだが、どうやらモテ自慢に話がシフトしてしまったようだ。

 とある坊さんと四方山話をしていたとき「所詮は坊主の言うこと、この世の事情でしかない」と達観を開陳してくれたことがある。「悟り」というものは無い、と悟るのも「悟り」なのだという。
 おばちゃんの話を一通り聞き終え、浮いた話も悪くないんじゃないか、むしろ喜ばしいことじゃないか、と寛大な気持ちになった。だって喜寿といえば、既に神や仏との和解は済ませたころだろうし、涅槃の境地に近づいているだろう。というより、この世に怖いものなど無くなりつつある?

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