らんかみち

童話から老話まで

ハツカネズミの食い方

2009年02月06日 | 暮らしの落とし穴
 ハツカネズミの亡き骸は玄関で見つかりました。光を、もっと光を! と明るい場所に出ようとして途中で力尽きたのでしょう。薄茶色い毛がふさふさしててかわいいな~とのぞき込んだら、むっくり頭をもたげてぼくと目が合い、ゲゲ、まだ生きているじゃないか! 虫の息で恨めしそうな目をしてぼくをにらんだこと。やっぱり毒餌なんか置くんじゃなかった、と後悔しても後の祭り。そのまま放置しておいたら3時間くらいして死んだようです。
 
 たまたま近所の人が集まる機会があって、期せずしてハツカネズミの話題になりました。
「ゴキブリホイホイにハツカネズミがかかってたんですけど、かわいそうだから裏山に逃がしてやりました」
 こんな話を聞いて、まるでぼくが血も涙もない外道と指弾されているようで肩身の狭い思いをしてたら、
「うちも粘着ネズミ捕りを置いたらかかって、それを狙ってやってきた蛇もくっついて両者とも死んでました」
という話もあったので、やっぱり毒入り餌を置いて正解だ、と確信できました。

 たかがハツカネズミといえども生きとし生けるもの。晩のおかずの魚の命と重さとネズミの命の重さを天秤にかけたら、哺乳類という理由だけでネズミ側に傾いてしまいます。じゃあ同じおかずのハムと比べたらどうなる? スーパーの肉売り場で「豚の亡き骸加工品」と表示されていたら、ハムなんて買う気が起きませんよね。でもハムだって立派に豚の死骸なのです。
 人が子豚の丸焼きを前に嬉々としてその肉にナイフを入れることができるのは、豚は食うもんだという固定観念があるからこそで、かたやマウスは愛でるものだという意識が働き、殺したらかわいそうに思うんじゃないでしょうか。
 
「ブタがいた教室」という映画は、まさにこの辺の矛盾をどう解決するのか、と問題を突きつけてくるのでしょう(観てないけど)。多くの子が、一年間飼育したら豚だって立派なクラスメイトなんだから、それを殺して食うなんてできない、というのも自然な感情です。しかしそんなこと言いだしたら、養豚家は家族を肉屋に売っていることになりませんか。

 ぼくは豚さんに感謝しつつ今夜もハムを食べますけど、ネズミは埋葬してやって、その上に「シバザクラ」の苗をホームセンターで購入して植えました。豚のように人の胃袋に入って「昇華≠消化」することの無かったネズミに、せめて花の肥料になれかし、というわけです(爬虫類に生きたハムスターを餌として与えるようなもの?)。あ、でも待てよ、花を見るたびにあのネズミの恨めしそうな目を思い出すことになるのだとしたら……。

NBonlineの読み方

2009年02月03日 | 暮らしの落とし穴
神谷秀樹の「日米企業往来」 不況の今こそ、数字より質の追求 (日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

 日経ビジネスオンラインの記事って、途中まで面白いなと思う記事はあっても会員じゃないから最後まで読めないんです。でもこの記事を読む限り、NBonlineなんて無料の記事は後半を読むまでもないなと確信しました。ストラディバリを引き合いに出して、業容を拡大しない稼業は潰れない、とは笑わせます。
 
「ストラディバリウスのような金持ち」という言葉がイタリアにはある、もしくはあったのだとか。つまりストラディバリはクレモナにバイオリン製作工房を構えて成功した大金持ちだったんです。ところが彼の息子たちが親父の名前でバイオリンを大量生産して供給過剰になってしまい、孫の代には他の仕事につくようになったと云われています。

 もちろん彼らの製作した楽器は最高品質だったのですが、真作の1000挺余に対して、後年には贋作が10倍も作られたとされ、それらが評判を落とす原因となったという説もあります。また現存する真作はおよそ600挺なのに、鑑定書は2000挺に対して乱発されているのだとか。それなら1400挺の贋物はできの悪いものなのかといえばさにあらず。当時に製作された贋物は、300年経った今ではもうストラディバリそのものと言って良いという人がいるほど高品質なのだそうです。
 
 記事の前半だけを読むとその趣旨は「不況の今こそ、数字より質の追求」というタイトルに集約されているでしょう。それにはぼくも賛成なんですが、記者は自分が手がけたこともないバイオリンやおでん屋台を引き合いに出して例えたりしたから、論旨が散漫に感じるのではないでしょうか。しかも具体的な数字も出していないので、これは論文というよりエッセイなんだな、と思って読めば腹も立ちません。むしろ反面教師にできるほどの記事ですね。

総理に代わってお詫びします

2009年02月02日 | 童話
 麻生総理が低迷を「ていまい」と読んでやじを飛ばされ、「言い直したじゃねぇか!」と切れたらしい。確かに読み間違いが多くて恥ずかしい人だなと思うけど、あんまりしつこい揚げ足取りもいかがなものか。迷子を(めいご)とは読まないし、滑走路を(こっそうろ)とは読まないけど、滑稽は(こっけい)と読むように、漢字の読み方は難しいのです。
 
 かく言うぼくも、エッセイなどに応募した後になって顔から火が出そうな間違いを発見することがあります。例えば大晦(おおつごもり)を、うちの田舎では「おおつもごり」というけど、よそに行っていうと恥をかきます。おおつもごりと入力して、何で出んのや、ワードが古いからか? などとソフトにからまざるを「終えない」なんて変換ミスしてたりもします。
 直近では、香川大学がH2ロケットで打ち上げた人工衛星「KUKAI」のことを「骨嵬」とでも当てるんだろうか? と考えて、あら恥ずかしや! いうまでもなく、我が御宗祖さまであられる「空海」が正解です。
 
 連綿と続いてきた日本語の歴史の中では、もしかしたら「ていまい」が正しかった時代、地方があるかしれない。口腔外科だって本当は「こうこうげか」なのに、今では「こうくうげか」と、辞書も両方を載せているじゃないですか。
 麻生さんに読み間違いが多いのは、普通の人なら子どもの頃に注意してもらえるところを、裸の大将で育ったらしく、だれも意見しなかったからでしょう。
 裸の大将というのも変ですよね。裸の王様か、お山の大将というべきところを間違ってたとえてます。握り飯を食いながら裸で絵を描くとこ想像してるんじゃねぇっての。
 他にも、「確信犯」の使い方を「犯罪と知りつつ」と解釈しているのは本来間違いで、「犯罪とは思わず」なんですよね。もうどっちが正しくてどっちが間違いなのか、わけが分かりません。
 こんな体たらくだったら、麻生さんのあれは方言の一種なんだろうと、大目に見ておいたほうが良いんじゃないでしょうか。ハイ、自己弁護ですが、何か……。

ネズミに教わる食生活の乱れ

2009年02月01日 | 暮らしの落とし穴
 パソコンが立ち上がってもいないのにハードディスクがカリカリ鳴って不気味に思っていたら、どうやら後ろ側にハツカネズミが巣をかまえているらしいんです。あまりにも動きが早いので、網膜の隅に、何か動いた! と気配を感じて振り向いても姿を確認できません。しかし運良くデジカメで動画を撮影することができ、繰り返し再生してみたらミッキーマウスみたいで可愛いー! 
 捕まえて飼いたいところではあれど、所詮は鼠。それにカヤネズミのように希少で大人しいわけでもないし、蛇が狙って家に忍んで来ても困ります。かわいそうだけど毒入り餌を置きました。
 
 一握りほどの毒餌を置いた翌日にトレーが空になっていて、やったこれで退治できたと思っていたら、その次の日もトレーが空になり、そのまた次の日も……。毒餌の説明書を良く読んだら死ぬまで数日かかるとあります。それだけでなく、もしかして一匹や二匹じゃないのかも、あるいはドブネズミもいるのかも。そう考えて毒餌を替えようとまた説明書を読んだら、毒の名前はワーファリンだと分かりました。
 
 どっかで聞いた薬の名前だなと調べてみたら、血栓を溶かす薬だと判明しました。脳血栓とかで倒れた人に処方するみたいですが、ネズミが食べるとその副作用で内臓出血を起こすんだそうです。おまけに網膜が出血するらしく、目が見えなくなって明るいところに出てきて死ぬのだとか。
 
 そうと分かればせっかく今まで待ったのだから、もう少し餌を置いてみようと思うんですが、今日で10日目なんですよ。ひょっとしたらワーファリン耐性ネズミとかが現れたんじゃなかろうか、などと餌を眺めていて、中性脂肪値、コレステロール値の高いぼくこそこの餌を食うべきなんだ! とハツカネズミに食生活の乱れを指摘された思いの今日この頃です。。