らんかみち

童話から老話まで

イカナゴ煮から鮎煮へ

2007年04月08日 | 暮らしの落とし穴
 今でこそスーパーにイカナゴの釘煮を見つけることができるけど、3週間前に友だちの奈美さんからもらったときには、「今年のイカナゴは不漁で、同じ重さの黄金で取引されるねんでぇ!」と、もったい付けられたものです。ホンマかいな? と奈美さん手作りの釘煮を味わってみると、それはそれはアニハカランヤで、値打ち付けて下さっただけあってとても美味しいものでした。
 
 そのままで食べても甘さといい山椒の香りといい絶品だったのですが、ぼくは米の酒は飲んでも米をあまり食べないので、味噌煮込みうどんの隠し味に釘煮を投入してみました。奈美さんに知られたら「ゴールデン・イカナゴの尊厳を貶めるな!」と叱責されそうなのですが、これがなんとも絶妙なアクセントになるんです。
 
 あんなに濃厚な味噌煮込みうどんに負けないのならカレーにも太刀打ちできるんじゃないかと試したら、フェンネルの香りと山椒の香りが相乗効果を発揮し、ほのかな甘みがカレーにコクを与え、形の残るイカナゴを食べたときだけ魚の香りを感じ、それはそれは複雑な味わいを楽しむことができるのでした。
 
 でもそれも今日で終わりです。3週間も傷まずに良く持つもんだなと感心しますが、食べきってしまったものは戻ってきません。それに味噌煮込みうどんの季節はもうすぐ終わりです。それにイカナゴも旬を過ぎるでしょうから、そしたら今度は琵琶湖の鮎の季節ですが、あれは日本酒が進むんですよね、楽しみな季節が到来します。

ドラマ「北京バイオリン」にみるエラー

2007年04月08日 | 童話
 楽しみに待っていた中国ドラマ「北京バイオリン」を観たんですが、なんか変! 吹き替えが韓国ドラマほどしっくり来ないというか、演技も吹き替えも大げさというか……。それで中国語そのままだったらどうなのか、と音声を切り替えて中国語を聞いてみたけど、どこもおかしくないのです。
 演出に問題はなさそうだし、声優が下手なのでもなさそうだし、すると後は翻訳だけど、これだって間違ってはいないんだろうと思えます。
 
 性格に問題があるのか、こういうところが気になり始めるとなんだか座りが悪いというか、落ち着かなくなるぼくなのです。で、何度も同じところを繰り返して観ているうちに、ある一つの仮説を導き出すことができました。
 違和感の原因は演技ではなく、俳優の顔と吹き替えの声質がミスマッチな上に、共通語という美しい日本語に翻訳しているのがいけないのです。
 
 舞台が下町の長屋やねんから大阪弁でやったらどないやねん? 東京弁でやるさかい不自然な印象を受けるのんとちゃうか。どのみちこの後に息子が大きなって町に出てバイオリンを習わせんねんから、その時に登場する人物に東京弁しゃべらしいや、ほたらコントラストがはっきりしてええのんとちゃうか?
 
 とまあ、映画が良かっただけに少し残念に思うんですが、実はこうした類のエラーをぼくも仕出かし続けているんです。というのは、ぼくが書く童話は全てが共通語なんですが、その舞台は大阪だったりするんです。
「それやったら大阪弁で書きなはれ!」
 お師匠さまにご指導いただくように大阪弁で書きたくはあるんですが、ぼくが書くと、なんだか下品で一段下の卑しい物語になりそうな気がしていけません。
 
 実は今日も一冊絵本が送られてきました。やっぱり自費出版みたいな安っぽい作りなんですが、これはすごい! とちょっと感動しました。なぜって、点字が「印刷」されていたからなのです。点字を押して書くのではなく、印刷するという技術のすごさもさることながら、目の見えない子どもにも読ませてあげたいという志が素敵じゃないですか。
 ぼくは今まで物語を書く技術にばかり心を奪われ、童話を書くという行為の本質みたいなものを思い違いしていなかったか? と北京バイオリンを観ながら気づかされたのでした。