らんかみち

童話から老話まで

グレン・グールドブームがマイブーム

2009年07月29日 | クラシック音楽
 グレン・グールドといえば稀代のバッハ弾きとして名を馳せ、没後30年近く経ってなお映像入りの新譜DVDが発売されたりしている、カラヤンなどと並んで耐用年数の長い演奏家です。右肩下がりの音楽業界にあってはありがたい存在ですが、皮肉な見方が許されるなら、当代には彼ほどの魅力を満載したピアニストがいない、ということなのかもしれません。

 そういうわけで今グールドブーム。NHK教育テレビ「こだわり人物伝」で「グレン・グールド 鍵盤のエクスタシー」と銘打って彼の魅力を探る番組が8、9月と放送されるらしく、テキストを買ってしまいました。
「声部を明晰に弾き分け、しかもほどよい叙情性を伴いながら音楽は疾走する。そのスピード感や躍動感は、少なくともバッハ演奏としては人々の予想を裏切るものでした」
 ゴールドベルク変奏曲の演奏を評したテキストの一部を引用してみましたが、これはピアノを習う人ならだれでも避けて通れない練習曲 インベンションにもいえるでしょう。ぼくもグールドのインベンションを真似して、どれだけピアノ教室の先生に小言をいわれたことやら。

映像はバッハのトッカータホ短調BWV914、チェンバロで演奏しているものです。
J.S.Bach : Toccta e-moll BWV914-中田聖子


 チェンバロの屋根に鍵盤が写っているので、フィンガリングが良く分かります。鍵盤の上を軽やかに優雅に指が舞っているように見えますね、でもこの曲とても難しいんです。
「HALさん、指は楽譜に明示された時間だけ鍵盤を押さえなくてはいけませんわ」
 ぼくの師事したピアノの先生はこの演奏家のようにお嬢様育ちの麗人で、物腰も柔らかに指導してくれたもんです。
「でも先生、それを守るとすごく窮屈なんですけど……」
「バッハを弾きたいんでしょ、だったら厳密に……はぁ、ペダルを使う?」
 ペダルを踏めるショパンなんかの曲なら鍵盤から指を離してもへっちゃらですが、ことバッハに関してはそんなこと許してくれません。
「HALさん、あなたねぇ、バッハを弾く姿勢がどうのこうの……」
 先生が変なところにこだわるB型人間だったからではなく、バッハはかくあるべし、と約束事が多いんです。

さて次はグレン・グールドの演奏です。
J. S. Bach - Toccata for Clavier in E Minor BWV 914 - Glenn Gould


 これって叙情性を伴った躍動的な演奏に聴こえますかね。むしろ叙情性を排したストイックな演奏じゃないでしょうか。これはたぶんこの曲自体の、旋律同士の対話がエモーショナルだからかもしれません。チェンバロのために書かれた曲をそのままピアノで弾くと、表現過多になるということでしょう。強弱を弾き分けられないチェンバロの演奏の方が、ダイナミズムに富むピアノの演奏より激情的に聴こえたりするのは、アーティキュレーションの不思議でしょうか。

 グールドを語るとき「叙情性と躍動感」みたいなキーワードはワンセットですが、そうとばかりもいえないでしょう。
「大人になるとモーツァルトが弾けなくなる」といったのはピアニストの宮沢明子さんですが、グールドの弾くモーツァルトを聴いたら、この人の頭の中ではバッハが鳴っているんじゃないか、なんて思えることがあったりするんです。

「HALさんねぇ、楽譜に書かれてないことはやらないの。あぁ、グールドだぁ? 足を組んでどうすんねん!」
 グールドかぶれのぼくに先生の厳しいことといったら、
「内声を意識せな、声部を弾き分けんかい!」
と、だんだんと機嫌が悪くなって、河内のお嬢さんが丸出しになったこともしばしば。
 そりゃぼくもグールドみたいに鼻歌で内声をうなりたいですよ、でも到底無理でした。今思えばあのころバッハを弾いていたのが夢のようです。

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