らんかみち

童話から老話まで

陶芸クラブの時期「重鎮」に指名されました

2009年11月19日 | 陶芸
 中学の先生が陶芸クラブに来られ、クラブの重鎮、要釉斎先生と打ち合わせをされました。授業の一環である生徒の作陶を、クラブ員がサポートするにあたり、要釉斎先生に「陶芸とは何ぞや」のテーマで講義してくださいとのこと。要釉斎先生は、長く口で飯を食ってこられた方(教師)なので、生徒を前に教鞭を取るなんざ朝飯前、生きがいと言えるでしょうか。それについてはクラブの全員が一目置くところで、この日ばかりは要釉斎先生を奉るのです。
 
「ところで、中学のインフルエンザ状況はいかがかね?」
 新型インフルエンザの流行による小学校の学級閉鎖を受け、齢80半ばの要釉斎先生は気が気ではありません。ぼくのオヤジが要釉斎先生の歳には寝たっきりであったことを思うと、要釉斎先生の健康管理の徹底振ぶりには舌を巻くばかりです。
「幸いにして2年生は大丈夫です、ただ……」
「ただ?」
 中学の先生が答えると、要釉斎先生は身を乗り出して聞き返します。
「ただ、3年生に熱を出した生徒がおりまして、そのぅ……」
「つまり新型の疑いあり、ということじゃな、うむぅ!」

 奥歯に物が挟まったような打ち合わせを終えた要釉斎先生は、ただ一人残ってロクロを回していたぼくのところにやって来られ、
「君ぃ、陶芸クラブも新陳代謝が必要な時期を迎えておる、そうは思わんかね」と。
 組織疲労みたいなものといいますか、クラブの創立当初からのメンバーは高齢化のためもあって、歯が抜けるように退部して今は当初の半数程度なのだとか。そんな中にあって、珍しく入った新入部員がぼくなのです。
「他の連中は、儂に気を遣うておるのか知らんが、子どもらを前に尻込みをする、だすらこうていかん! 君じゃ、君しかおらん、儂の後釜は」
 要釉斎先生の後釜、つまり先生の志を継ぐ後継者として、ぼくをご指名なさったのです。
 
 当クラブに入会したのがおよそ1年前。それまで全くの素人であったぼくが、陶芸クラブの時期重鎮? 重鎮とは船で言うならアンカー、つまり錨。小うるさいことをのたまうのが事実上の任務であるなら、ぼくに務まろうはずないじゃありませんか、先生、何をとち狂ったことをおっしゃるやら。
「儂も生徒を前に死力を尽すつもりではおる、がしかしじゃ、儂の身の上に万が一の事態が降りかかったなら、君ぃ、後は君に任せようぞ」
 何を大げさなことをおっしゃっとるのかと思えば、先生はインフルエンザを必要以上に警戒なさっている由。お歳を考えればさもありなん、用心に越したことは……ハッ! 先生もしや、敵前逃亡を画策なさって……。

「言うべきことはそれだけじゃ、では儂は先に失礼する」
 独り残されて、諸先輩をさしおいてぼくが生徒を前に講義はできんよなぁ、やれと言われりゃやるが……などと考えていたら、生徒の作陶日はぼくの本焼きの日と重なっているじゃありませんか。これで重荷から逃げられるってもんです、ちょっと残念な気持ちも無いではないけど。

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