らんかみち

童話から老話まで

お金で解決できないとき、力で解決してはいけない

2013年11月09日 | 暮らしの落とし穴
 お金で解決が難しい問題が村にはある。仮にぼくが数百万円程度の現金を用意できたとしても何の解決にも繋がらない。それを何とか0円で解決できないかと、この5年間、相手企業さんと話し合いを続けてきた。

 相手企業さんと敵対したわけじゃないけど、切り札になってくれることを期待して県議や市議の選挙も応援してきた。そうしたプレッシャーは有効には違いなかった。でも途中から、実際に政治家を動かすのはフェアなやり方じゃないよな、と思うようになった。どちらも歩み寄ったし、誠意は尽くしているんだから、力に頼らない解決策を模索すべきだろう。

「ヤクザと政治家には、貸しは作っても借りは作るなよ」と、死んだ父が口にしていたおまじないを口にしてみる。変だな、作った貸しは、いつどうやって払ってもらえるんだろう。貸し倒れにならない程度のお付き合いでしかないけど、損ばかりじゃないか。
 一旦政治家を使うと、先生が当選し続ける限り『恩義』という年貢を払い続けることになるのだろう。ではヤクザに解決をお願いしたら……いや、考えるのはやめておこう。

 思うに、玄人さんたちと付き合うということは「わての言うこと聞いてくれはらへんだら、山ぁ動かしまっせ。それともオオカミ放ちまひょか」と、ぼくの後ろに力の影を見てもらうということじゃなかろうか。
 卑怯な手口といやそうなんだろうけど、金も権力も無い者にとっての選択肢は限られている。自分の利益のためにやっているんじゃないんだ。大目に見てもらえると信じよう。

 この木曜日、大詰めの話し合いがあった。年内に解決したい、というお互いの思いが結実しそうな予感はある。しかしここにたどり着くには、ジョーカーを用意しなくてはいけなかった。もちろん、ここぞというときのために温めていた手札ではあった。

 ぶっちゃけいうと、足長おじさんにお願いした。表向きはお金で解決したように見えるし、実際にお金は動くんだけど、事実は誠意の賜なのだ。他にも解決策はあったろうけど、お金では解決できないはずの問題を、お金で解決できるステージに移すことができた。
 当初の理想とはかけ離れているんだけど、少なくとも『力』には頼らなかった。もし解決できたなら、そこんとこだけは及第点を自分で付けようと思う。