らんかみち

童話から老話まで

陶道は、ろくろのみにて成らずってか?

2009年07月30日 | 陶芸
 ろくろ指(腱鞘炎)が一向に良くならないので陶芸クラブを休もうと思ったんですが、ろくろを使わなければ大丈夫だろうと、手びねりで作品をこしらえました。
 それが、あらま、やってみて分かったのは、ろくろを使う方がはるかに楽だということ。
 そしてもう一つ分かったのは、陶芸クラブの席は厳格に決められているということ。すなわち、クラブの重鎮であらせられる、手びねり専門の要釉斎先生の横にしか、ぼくの座る席は無かったのです。
 陶芸クラブに入会して半年余り、うかつにも今の今までこの二つのことに気が付きませんでした。

「君ぃ、今日は手びねりかね、うむ、殊勝じゃ。陶道は、ろくろのみにて成らず。陶芸は手びねりに始まって手びねりに終わる、という人もおるのぅ」
 座るや否や、さっそく要釉斎先生の講釈、いやご指導をいただきました。
「心がけの良い君に、儂の作品を進呈しよう。作品のモチーフがモチーフじゃ、人様に差し上げるのは少々憚るでのぅ……」
 木の葉型のお皿をひねっていると、先生のお言葉を伴ってぼくの目の前に置かれたのが、写真のコーヒーカップです。

 こ、これぇわぁ……取っ手に関するポリシーの問題もさることながら、幼心にもこのカップのバランスは悪過ぎやせんか?
 作品を前にぼくが固まっているところへ、
「もろとけ、もろとけ、何があってもありがたく頂戴するんぞ」
と、前の席に屯する要釉斎先生の手下二人が、先生の補聴器をスルーしてぼくに呼びかけるじゃありませんか。
 一触即発の空気もきな臭く、「そ、それでは僭越ではありますが、ぼくの手元に……」と、オレは人扱いされてないのか、みたいな疑問を持ちながらも押し頂きました。

 このカップ、見かけほど重くはないんです。が、やはりバランスの悪さは否めません。帰宅してコーヒーを淹れて飲んでみましたが、何かしらしっくりこない。当然というか、コーヒーの味にも微妙な影を落としました。
そういやクラブに初めて顔を出した日も先生の横のあの席で、皿みたいな丼みたいなものをこしらえたっけ……と、不味いコーヒーを口にしながら昔日を振り返って、ろくろしか回してこなかったのに、なぜか手びねりが上達していることに気がつきました。
 きっと土扱いに慣れたってことなんでしょうが、「陶道は、ろくろのみにて成らず」とは要釉斎先生もええこというなぁ! 
 手びねりからろくろに戻ったとき、果たしてぼくはろくろが上手になっているのでしょうか。何か一つの結論が導き出せそうな楽しみがあります。

 あ、陶芸を長くやっている人は、たいがい作品が多く貯まって始末に困ってるんですよね……。