らんかみち

童話から老話まで

童話蝕に気がついて

2009年07月22日 | 童話
「おおー、始まった」と整形医院の待合室から歓声が上がった皆既日食のまさにそのとき、「痛い~!」と悲鳴を上げながら、ぼくはろくろ指の治療で注射を打たれておりました。
 手のひらだけでも痛いのに、腱鞘という部分に針が達するので、日常生活に無い痛みも伴うのは、これはこれで新鮮なのでしょうか?

 腱鞘炎というのは治りにくいだけでなく再発もしやすいのだとか。
「そんなときは陶芸を一週間ほど休めばいいんじゃない」
 陶芸の先輩からメールをいただいたんですが、明日から新しい物に挑戦するので休みたくありません。
「大皿を挽くんじゃないし、井戸茶碗(いどちゃわん)を挽くだけだから大丈夫」と返信しました。
 すると、「ちょっと、聞き捨てならんな。なんであんたみたいな未熟者が井戸茶碗なんか挽くねん!」と、抗議声明もあからさまな電話がかかってきました。

井戸茶碗というのは、「一井戸、ニ楽、三唐津」と茶人が評するように、茶の湯で最も良い器とされるものです。形、色、大きさなど、井戸茶碗には多くの約束事があり、それらをクリアしてなおかつ偶然の産物である景色が必須とされている、難物中の難物なのだそうです。
「ある程度は知ってるけど、だからって作って怒られなあかんの?」
 なにも大阪から電話で叱り付けられるほどイリーガルなことじゃないと思うのに、
「早く上達したいのは分かるけど、あんたはまだぐい飲み作ってなさい。井戸茶碗なんかに挑戦したら上達の妨げ、遠回り。ぐい飲み、ぐい飲み、ぐ・い・の・み」と、ごり押しされてしまいました。

 そんな嫌がらせもあった後、たそがれ時に2時間ほど出かけて戻ってきたら、宮司さんや漁師さんとか、いろんな来客があったらしく、近所に住む叔母さんがぼくを責めるじゃないですか。
「昼でもない夜でもないこの時間帯は『逢魔が時』というて、出かけるもんじゃないんぞ!」
 子どもじゃあるまいし、うるさいのなんの。今日という日はたかが日食っちゅうだけなのに、まるで天変地異でも起きたみたいに回りの連中が興奮しているとはどういうこっちゃ! 
 憤慨していたぼくですが、いや待て、逢魔が時か、漁師と宮司と茶碗を絡めて怖い話の一つも書けやせんか? と、童話に蝕されて回帰しているいる自分に気がつくのでした。