M馬日記(元、日曜レーサー)

塩噴きじいさんの独り言
※2011年11月をもって一時停止
 (再開未定)

1/20火:答えはでない

2015年01月20日 | Weblog
4:20に目が覚めたけど・・・寒くて2度寝 ><。

負けました。
敗けました。

あっしには両方当てはまるようです(笑)。


いかん・・・いかん・・・朝乗るのは 水・木 と決めているからイレギュラーな
火曜日はどうしても、『今日はいいじゃん。』という言葉に日和ってしまいます。

なんだかな~ と朝から自己嫌悪のまま会社へ。
それで帰宅してからは久しぶりに火曜日の3分をやる、と心に決めて帰りました。
ビールの誘惑を振り払い、ちゃちゃちゃ と着替えてまたがってスタートっす。

土曜日となにが違うのか?よくわからんけど、少し戻ったようです。
グラフは似たような波形ですけどレベルが上方修正されました。

でも、無意識下なんですけどセーブしておりまして意外と余力をもったままに3分。
『全力を出し切る』のは今日ではない、というか、、毎回毎回よりも90%ぐらい
が一番効果あるようなお話だし。それにこのレベルをフラットで維持できないとお話
にならんだろう。

まあ、今日は 負けに近い引き分けというところ。

*****


表現の自由。

テロを支持するわけでも容認するものでもございません。
単に『表現の自由』ということについて考えてみました。


『自由』というのは人間で一番大切な権利であることは言うまでもありません。
誰もが自分の意志を表明し議論できること、それは保障されなければならないと思います。
でも自由である以上、責任とリスクというものを負わなければならないと思います。

慣習、文化がまったく違うところからみれば、それは受け入れられないことかもしれません。
そんな人々に対しても自由に表現することができる自由というものもあるのでしょうが、
当然、なんらかのリスクを想定しそれを受け入れる覚悟がなければいけないと思います。

ただの「言いっぱなし」というのも表現の自由になるとは思いますが、「そんなつもりでは
なかった」といくら言っても言われたほうにしてみればそんな言い訳は意味をなさない訳で。


人権宣言に遡及するかの国の「表現の自由」。
それを勝ち得るまでに流された膨大な血と犠牲。
その人間としての根源の権利をベースに成り立つフランス文化。

その文化圏に閉じたものだったのなら、今回のような事件は起こりえなかったと思います。
また新聞社の方々も「誰に対して何をうったえたいのか?」「その風刺画が的を得ているか?」
「その結果どう世論を操作したいのか?」それが全世界に存在する敬虔なイスラム教徒にどう
思われるのか?

表現の自由がなによりも優先する、と考えるのが全世界共通の認識ではないことは彼らにも
十分にわかっていたと思います。

だからリスクヘッジもしていたでしょう。
でも最悪の結果になってしまった。
報復する自由・権利という国があるかもしれません。

それでも表現の自由は死なない。
だとしても、その表現は到底受け入れることができない文化があること。

この2つの文化間で答えはでないと思う。


でも、怖いと思ったのは、370万人も瞬間で集まってしまう、ということでした。




コメント (2)
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