押入れを整理しようと引っ張り出していたら奥から梱包された
ままの5年前の引っ越し当時のダンボールが出てきて驚いた。
そんなものがあることさえ今日まで気が付いていなかったのだ。
5年間陽の目を見ることもなく押入れの奥でじぃ~っと持ち主
が思い出すのを待っていたであろうダンボール。でも結局、思い
出されもせず再び引っ越しをする今日、ようやく畳の上に置かれ
ることになったのだ。
開けてみた。
「あ、あぁぁ・・・」
思わずため息が出たと同時になんだか顔がほころんでしまった。
それは数本のカセットテープ。
タイトルは「課題曲 84年 シンフォニエッタ/オーパスワン」
そして「19thサマコン 89年」
一瞬で私を”あのとき”に引き戻すとてつもない力をもった
タイムマシーンだった。
高校生時代の私は毎日毎日ラッパばっかり吹いていた。
朝も、昼も、夕方も。学校を休んでも部活には出ていた。
野球部よりも休みがない部活動だった。部員数は50名ぐらい。
そんなに練習をしてもコンクールでは県大会の金賞止まりの
いわゆるダメ金というレベルだった。でも当時の私たちはそれを
悔しいと思ったことはなかった。なぜならコンクールの1か月前
に開催するコンサートにすべてをかけていたからだ。コンクール
には「出がらしのお茶っ葉」のような感じで参加していたので
顧問の教師からはちゃんとやれば1度くらいは九州大会に行くこと
ができるのにと言われていた。それが伝統だった。
コンサートに命を懸ける。
大人になった今にして思えば「なにを言っているんだ?」ですが
当時は本気だった。純粋・純真だからこそ本気なのです。そして
信じていました。「自分の想いの丈・情熱は音にできる。心は
音にして飛ばすことができる」と・・・。
だから毎日、毎日が全力でした。
物理のテストで零点をとっても英語の試験で35点/200点満点
でもそんなことはどうでもよかった。どうしたら心を飛ばせるのか?
どうしたら魂の集合体になれるのか? ただただ、それだけを考え
悩んでいたように思います。
本当に毎日、毎日・・・(笑)。
そこまでして取り組んでいた吹奏楽。
しかも16歳~18歳、、OBとして携わった大学時代。
いうなれば人生で一番多感な青春時代を、すべてを注いだ大切な時間。
その”生きた証”。
それを今日の今日まで綺麗さっぱりすっかり忘れていたのです。
そのテープをもっていたことさえも。
いや、忘れてはいません。
あのとき見た空、夕陽、音楽室、仲間、涙、笑顔、肩を組んだ日々。
出番直前の楽屋のあわただしさと緊張感・真っ白な照明とピンスポ。
お客様の拍手・手拍子、歓声。花束・・・。
あの時代、全力で生きたあの日々・・。このステージで死んでもいい
と思いつめた瞬間。
私の原点。
忘れるはずがありません。
私は本当に幸せでした。
命がけで取り組むものを見出すことができたから・・・。
でも今はその時代を懐かしむことはあっても、想い出に縋る必要は
なくなりました。心は一瞬にして当時に飛びましたが、昔に戻りたい
とは思いませんでした。
そして私は幸せです。
自転車に出会えたから。
いや、自転車は道具なだけ。
”生きる”、”生きている”、、と再び思うことができているから。
朝目覚ましで起きる。
TVをつけて天気を確認して朝ごはんを食べる。
7時の時報で家を出て7:24の電車に乗って会社に行く。
ちょっと忙しかったから残業をしてコンビニに寄って弁当を
買ってから帰る。
TVを見ながら弁当を食べて、しばらくしたらお風呂に入って
から0時前に寝る・・・。
ともすれば、単に、「生息」 しているだけの生活、人生になりがち
な社会人。魔法が使えるわけでも宝の地図が箪笥から出てくることもなく、
玄関あけたら花嫁衣裳をきた山口智子が息をきらせて立っていることも
ない。「ただ生きている。」「意味なく時間が過ぎている。」
「なんかいいことないかなぁ~」と漠然と期待して過ごす日々・・・。
そんな生活とは無縁の世界を手に入れたから。
青春時代に「必死で、全力で何かに取り組んだ」ひとは社会人になって
から掴みどころのない、なんかこう、フラストレーションを抱えてしま
うと思います。そりゃ仕事が生きがいであればそんなことはないと思い
ますが、そうじゃない場合、心の底から笑い、泣き、怒り、悩む。
それがない(できない)社会。
そんな環境に気付いたとき、 「あぁ~~生きている」という”証”
を得ないとそれは私であって私ではない。
常に何かに全力で取り組んでいないとそれこそ、私として死んでしまう。
自転車は吹奏楽の次に私に「生きている証」を与えてくれたもの。
そこにはあの時と同じように、本当に優しい思いやりをもった愛すべき
友、仲間、お師匠、先生がいる。その環境にあればこそ、私は全力で
今をこうして生きてこれたのだとあらためて思います。
そしておそらく私のこの「生きている」ことは、ほんのちょっぴりだし
気づかれることはおそらくはないと思いますが、誰かの魂に共鳴して
広がっているんじゃないかな。私が受け取った伝統のバトンは絶対に私と
一緒に走ってくださった(今も走っている)皆様に確実に渡っていること
でしょう。
この5年間。
本当にいろんなことがありました。
正に私の人生の転機となったこの5年。
その当時は気づかなかったけど、こおやってあらためて振り返ってみると
「思い悩みながらも全力で生きてきた自分」がいて、俯瞰すればやっぱり
皆様が見守ってくださっていた。
こおして今を生きていることができるのは本当に素晴らしい出会いがあれば
こそなのですね。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
私の人生はまだまだこれからも続きます。
だからまだ「生きている証」が必要になります。
また全力で魂を解放できる、自分自身と対話ができるようになるまで今回は
しばらく時間がかかるような気がします。それが自転車ではないかも知れま
せん。でもこれからも私は生きていきます。
前を向いて・・・全力でありたいと思いながら・・・。
これで
おしまい。
徒然な与太話にお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。
また再開するかも知れませんが、これでいったん筆をおくことにいたします。
ありがとうございました。
さようなら・・。
2011年11月27日
はげます
ままの5年前の引っ越し当時のダンボールが出てきて驚いた。
そんなものがあることさえ今日まで気が付いていなかったのだ。
5年間陽の目を見ることもなく押入れの奥でじぃ~っと持ち主
が思い出すのを待っていたであろうダンボール。でも結局、思い
出されもせず再び引っ越しをする今日、ようやく畳の上に置かれ
ることになったのだ。
開けてみた。
「あ、あぁぁ・・・」
思わずため息が出たと同時になんだか顔がほころんでしまった。
それは数本のカセットテープ。
タイトルは「課題曲 84年 シンフォニエッタ/オーパスワン」
そして「19thサマコン 89年」
一瞬で私を”あのとき”に引き戻すとてつもない力をもった
タイムマシーンだった。
高校生時代の私は毎日毎日ラッパばっかり吹いていた。
朝も、昼も、夕方も。学校を休んでも部活には出ていた。
野球部よりも休みがない部活動だった。部員数は50名ぐらい。
そんなに練習をしてもコンクールでは県大会の金賞止まりの
いわゆるダメ金というレベルだった。でも当時の私たちはそれを
悔しいと思ったことはなかった。なぜならコンクールの1か月前
に開催するコンサートにすべてをかけていたからだ。コンクール
には「出がらしのお茶っ葉」のような感じで参加していたので
顧問の教師からはちゃんとやれば1度くらいは九州大会に行くこと
ができるのにと言われていた。それが伝統だった。
コンサートに命を懸ける。
大人になった今にして思えば「なにを言っているんだ?」ですが
当時は本気だった。純粋・純真だからこそ本気なのです。そして
信じていました。「自分の想いの丈・情熱は音にできる。心は
音にして飛ばすことができる」と・・・。
だから毎日、毎日が全力でした。
物理のテストで零点をとっても英語の試験で35点/200点満点
でもそんなことはどうでもよかった。どうしたら心を飛ばせるのか?
どうしたら魂の集合体になれるのか? ただただ、それだけを考え
悩んでいたように思います。
本当に毎日、毎日・・・(笑)。
そこまでして取り組んでいた吹奏楽。
しかも16歳~18歳、、OBとして携わった大学時代。
いうなれば人生で一番多感な青春時代を、すべてを注いだ大切な時間。
その”生きた証”。
それを今日の今日まで綺麗さっぱりすっかり忘れていたのです。
そのテープをもっていたことさえも。
いや、忘れてはいません。
あのとき見た空、夕陽、音楽室、仲間、涙、笑顔、肩を組んだ日々。
出番直前の楽屋のあわただしさと緊張感・真っ白な照明とピンスポ。
お客様の拍手・手拍子、歓声。花束・・・。
あの時代、全力で生きたあの日々・・。このステージで死んでもいい
と思いつめた瞬間。
私の原点。
忘れるはずがありません。
私は本当に幸せでした。
命がけで取り組むものを見出すことができたから・・・。
でも今はその時代を懐かしむことはあっても、想い出に縋る必要は
なくなりました。心は一瞬にして当時に飛びましたが、昔に戻りたい
とは思いませんでした。
そして私は幸せです。
自転車に出会えたから。
いや、自転車は道具なだけ。
”生きる”、”生きている”、、と再び思うことができているから。
朝目覚ましで起きる。
TVをつけて天気を確認して朝ごはんを食べる。
7時の時報で家を出て7:24の電車に乗って会社に行く。
ちょっと忙しかったから残業をしてコンビニに寄って弁当を
買ってから帰る。
TVを見ながら弁当を食べて、しばらくしたらお風呂に入って
から0時前に寝る・・・。
ともすれば、単に、「生息」 しているだけの生活、人生になりがち
な社会人。魔法が使えるわけでも宝の地図が箪笥から出てくることもなく、
玄関あけたら花嫁衣裳をきた山口智子が息をきらせて立っていることも
ない。「ただ生きている。」「意味なく時間が過ぎている。」
「なんかいいことないかなぁ~」と漠然と期待して過ごす日々・・・。
そんな生活とは無縁の世界を手に入れたから。
青春時代に「必死で、全力で何かに取り組んだ」ひとは社会人になって
から掴みどころのない、なんかこう、フラストレーションを抱えてしま
うと思います。そりゃ仕事が生きがいであればそんなことはないと思い
ますが、そうじゃない場合、心の底から笑い、泣き、怒り、悩む。
それがない(できない)社会。
そんな環境に気付いたとき、 「あぁ~~生きている」という”証”
を得ないとそれは私であって私ではない。
常に何かに全力で取り組んでいないとそれこそ、私として死んでしまう。
自転車は吹奏楽の次に私に「生きている証」を与えてくれたもの。
そこにはあの時と同じように、本当に優しい思いやりをもった愛すべき
友、仲間、お師匠、先生がいる。その環境にあればこそ、私は全力で
今をこうして生きてこれたのだとあらためて思います。
そしておそらく私のこの「生きている」ことは、ほんのちょっぴりだし
気づかれることはおそらくはないと思いますが、誰かの魂に共鳴して
広がっているんじゃないかな。私が受け取った伝統のバトンは絶対に私と
一緒に走ってくださった(今も走っている)皆様に確実に渡っていること
でしょう。
この5年間。
本当にいろんなことがありました。
正に私の人生の転機となったこの5年。
その当時は気づかなかったけど、こおやってあらためて振り返ってみると
「思い悩みながらも全力で生きてきた自分」がいて、俯瞰すればやっぱり
皆様が見守ってくださっていた。
こおして今を生きていることができるのは本当に素晴らしい出会いがあれば
こそなのですね。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
私の人生はまだまだこれからも続きます。
だからまだ「生きている証」が必要になります。
また全力で魂を解放できる、自分自身と対話ができるようになるまで今回は
しばらく時間がかかるような気がします。それが自転車ではないかも知れま
せん。でもこれからも私は生きていきます。
前を向いて・・・全力でありたいと思いながら・・・。
これで
おしまい。
徒然な与太話にお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。
また再開するかも知れませんが、これでいったん筆をおくことにいたします。
ありがとうございました。
さようなら・・。
2011年11月27日
はげます