M馬日記(元、日曜レーサー)

塩噴きじいさんの独り言
※2011年11月をもって一時停止
 (再開未定)

《雑記》年度末

2011年03月31日 | Weblog
今日は年度末。

毎度のことながらバタバタ。
泣いても笑っても1年が終わった・・。

最後の最後で日本はとんでもないことになっちゃったけど当然
うちの会社もその影響もモロにうけた。あきらかに決算に悪い
影響を与えることになりとっても苦しい立場にたたされるだろう。

でも、そおいう立場にいることができるだけでも幸せだと思います。
被災地ではすべてを失った方々もいらっしゃるのですから・・。


どんなに考えても悩んでも答えがなかなか出ないこともある。
だからその気持ちというか問題意識を忘れずに持ち続けていこうと
思います。それが具体的な目標になることはとっても難しいでしょうが、
常に心にあることで私のこれからの行動だったり判断に何らかの作用を
及ぼすことになると思うから。

「今を生きること」
「よりよく生きること」

それが個人的な”業”のように感じています。

ただ、後ろ向きにウジウジしても始まらないことは重々承知しています。
自転車の運転と同じで、どんなに苦しくても前をまっすぐに向いて進む
ことでしか道は拓けないと思いますから。

****

さて、そんな悶々とした苦しい日々を過ごしていますが会社に行くための
通勤は続けていましたが、1日通うと翌日体が痛くて疲れ方も半端なく重
たいという、もう笑っちゃうくらいの普通人。

どこでどう間違えたのか?
こらえ性もなくなり本当に 「どうしちゃったんだ俺?」 状態。

そんな感じでございますから、無理を重ねることはせず大人しく電車でGO
もなんの後ろめたさも感じずに実行中。

だって会社行かないといけないんだもん。


いやいや、そうは言っても頑張らないと。
「うん? 自転車を頑張ることが今を生きることなのかな?」
「・・・。」

結局、なんなん? (笑)


とまあ~堂々巡りの近況でございます。

ところで、今日は・・・後悔はあるかな?
仕事はやるべきこと、やらないといけないことはきちんとやってきたし、
帰るころにはお店は閉まっているしぃ~
何か自己啓蒙をやらないといけないと今は思っていないからぁ~

そういえば喜怒哀楽を表に出さないな。
会社では絶対に感情的にはならないようにしているし、家では空気が淀んで
いるし。

”後悔”というべきことが思いつかないというのが正直なところっす。

これが日常。
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《雑記》あたらしい年度

2011年03月29日 | Weblog
あと2日で新年度が始まる。

が、

未だに目標も持てずにフラフラとしてる。
もともとの鬱餅であるところに人の生死を浴びるように受けとめ
人生とは、「今を生きるとは」と答えがあるようで無いような難しい
哲学的なことを真摯に考えたところで、「寝るときに今日はよく生きた」
と思えるような、という抽象的な概念は思い浮かぶが、いざそれを実践する
となれば果たしてどうすべきか? がわからない。

”感謝”の気持ちを忘れず、自分が嫌なことは他人にはしない、という
最低限のことを行うにしてもそれが一日の充足感につながることはない
ような気がする。


平平凡凡な今日という日の延長線上に約束された明日があるわけではない
ということを嫌というほど思い知らされた今となっては、悔いがないよう
に生きることという本能と、社会性をもってしまった上に先が見えた人間と
しての”つぶしのきかなさ”とのGAPが閉塞感と絶望感になり気持ちを
うまく整理できないのだろう。

本当は、あんなことやこんなことがしたいんだ!
でもそれは希望ではなく今となっては無謀ともいえることなんだ。
だから当然、経済的に速攻で破綻するし、その前に背負っているものもあり
現実は、どこまでもいつまでも果てしなく続く泥濘に脚をとられながらも
引き上げては前にだし、埋もれるもう片方を引き上げては前に進むことで
精一杯の毎日。

さて、どうやって気持ちに折り合いをつけて前に進むのか?

”折り合い”をなんとか という時点ですでに本筋から外れてしまって
いるのですが、 生業=生きがい とはなっていない人生においてはやはり
どこかで割り切りをつけなければどうしようもないと感じてしまう。

そういっている時点で完全に”青い”のでしょうが、その事実に気づいて
もなお取り返しがつかないのが苦しいところ。

「プラダを着た悪魔」という映画で主人公のアン・ハサウェイが就職が
決まって仲間とレストランで乾杯するときの発声が「家賃のために!」
であったことを覚えている人も多いだろう。そんな打算で働きはじめた
彼女。早々に上司役のメリル・ストリープから手厳しい洗礼をうけてしまう。

それを先輩にグチるのだけど、その先輩は慰めるどころか開口一番、
彼女に「辞めなさい」と忠告をし、そのあと「甘えを捨て仕事をきちんとする
こと」を教え諭す。 


また、大変有名になったのでご存じの皆様もいらっしゃると思いますが、
「立教・新座中学高等学校」の校長先生の今年度の高校卒業生に向けた
送辞。これが素晴らしい。大学に行く意義とは? 今までも将来も人は
時間を管理されて生きていかなければならない。小中高は始業時間を守る
ことを義務付けられ、会社に入れば遅刻欠勤は懲戒の対象とされる。そんな
人生にあって唯一、大学時代だけは自分で時間を使うことができる。そう、
電車に乗っていても「海を見に行きたい」と思えば自分の意志でそのまま
見に行くことができる。それはかけがえがない貴重な時間である。
その貴重な時間をダラダラと流されるままにつかうことなかれ。その4年間
は真摯に自己と向き合え、孤独と戦え。真剣に自分と対話せよ。

それが「よく生きること」につながる。

いま、その渦中にある人たちにはピンとはこないだろう。なぜなら流れの
中心にいればその流れの速さはわからないから・・。

往々にして気づいた時には「取り返しがつかない」時間が過ぎ去っているもの。
安易に流されるままに生きてきた老人は、可哀そうなものです。

「今を生きること」 

本当に難しい・・。
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《雑記》いやはや・・。

2011年03月27日 | Weblog
今日は家人と博多駅探索にお出かけしました。
通勤で”素通り”すること数回していましたけどちゃんと行くのは
今日が初めての初心者マークでございます。

まず、ホームからエスカレータで3Fに上がれるようになっているのに
驚いた。そこのホワイエが比較的ゆったりしていて人も閑散としている
ネスレCafeになっているので案外穴場でしょうけど往々にしてこお
いうところはいつの間にか消えてしまうのよね。

そこからまずは阪急へ。
お目当ては5Fの「鼎泰豊(ディンタイフォン)」でございます。
 #30年以上の歴史を持つこのお店は、米紙ニューヨーク・タイムズに
  「世界10大レストラン」の1つとして掲載された世界的に有名な点心
  料理専門店です。

というところで、ここの小龍包。
本当に久しぶりでありましたが、行った時間も悪かったんでしょうけど
すでに85組待ち(笑)。おもろいのが銀行の順番待ち発券機みたいな
ものがあってひと目でどおいう状態かがわかるようになっていたところ。

築地のすし屋に入るために寒風の中4時間耐え忍んだ我が家ではあり
ましたが、小龍包のために1~2時間待つのは今日はなんだかなぁ~的
に感じてまた次回のお楽しみに。

そのまま、9F,10Fのテンクウを見たんですけど、いやぁ~芋の子
洗い状態でまぁ~動けないし、お店はどこも長蛇であります。そんな状態
にあってひととおり廻ってみたんですけど、ここ食べたいかな?と思った
のが生パスタ屋さん(なんとか37??)というところ。

なんだかそのパワーに圧倒されてというより疲れてしまってスゴスゴと
退散したんですけど、お腹はすいているので、BFのデイトスへと降りて
いき偶然空があった、牛タン屋へ。9Fに仙台利休(ここは3回ほど仙台
で食べたことがあります)があるのにここでSky?と思ったけどおなか
がねぇ~。ただ牛タンですから・・。

そのあと地下を回ったけど、モンシュシュやらラスク店とか待ちが1時間
以上とはすごいですね。お店の売り上げが(笑)。

ま、時間とタイミングがあったときにでもね。

なんだ。
結局、なにしにいったんだろ?
ですけど、実は30分ほど、6Fの時計店(タイムピース屋と呼べよな)
でじぃ~~~っとこれを見ていました ^^;

  http://luxurytv.jp/?v=V0_WhO-ghU2m46Nmvhp-oA

なんと5040万円のトゥールビヨンでっせ。
はじめて現物を見ましたよ~~。オーディマピゲです。
隣に宝飾品時計で9500万円というアホみたいなものもありましたけど
こっちがいいに決まっています。

しかもただのトゥールビヨンではなく、ミニッツリピーター付(ははは・・)。
 注)アラーム機能っす  ほんまモンは初めてですがな~。
西通りに有名な時計屋さんがあるけど、デパートのOPENスペースだと
恰好も気にせずに見ることができるので超超穴場です。

はじめてみる本物は意外と機構が小さくてルーペが欲しいというのが正直
な感想。小汚いおっさんが10分ぐらい、じぃ~っと微動だにせずに見て
いるとさすがに気になったのか店員さんが声をかけてきた。

「みぃ~てぇ~るぅ~~だぁ~~けぇ~~~~~」

と言ってみれば

「わかっていますよ~~」目線 ^^;


よかったらお手に取ってみますか?

と言われたけど、それはさすがにご遠慮いたしました。
本当は、音、聞かせてください!!!! って言いたかったけど、グルル・・
と言葉を飲み込みそのかわり少しお値段がお安いトゥールビヨンを手にとって
見せていただき、かつ店員さんのルーペを借りて観察。

あ~~~1日見ていても飽きないっす。これ見ながらごはん食べたい・・。

ちなみに・・
5年に1回のオーバーホールが必要でそのお値段は100万円からだそうです。
そりゃそうだ・・。そうそう、オープニング記念ということで展示している
そうでもう少ししたら銀座に戻すんでしょうから見るのも買うのも今のうちで
ございます。 買われる方は当然、値札なんて見ないんですって。

いいもの見せてもらいました。
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《通勤》チェンジ

2011年03月23日 | Weblog
ダイエット継続中・・・ま、2日目ですけどね。
腹はそんなにつかえないけど体勢を維持するのがしんどい、そう普通の人に
なっちゃっているけど、継続していけばなんとかなるっしょ?と比較的ポジ
ティブThikingであります。

ところで・・・
気になること・・・だいぶん前から後輪が一定リズムで カックンカックンと
リムうちしているように突き上げを感じているんだけどパンクしているわけで
もなく空気が抜けているわけでもなし。

なんだかなぁ~ と能天気に構えていたらある日、後輪が突然爆発してしまった。
なにするわけもなく定位置スタンドに置いていただけなんだけど、 ドッカ~~ン
と超巨大な爆発音でご近所さんが飛び出さんばかりの破裂音でございました。

見れば、タイヤがリムから一部ベロ~~ンと飛び出していて、チューブがコンニチワ
していた。観察してみたらチューブの裂け口は15センチ以上ある模様。

原因がない結果はありえないので、記憶を遡ってみたら直前に7気圧まで加圧
したんだった。いろいろと聞いてみたら、おそらくリムが削れてラッパ状態に
なってしまい、内部圧力にビートを噛む部分が耐え切れなくってパン!という
ことだろうと。

不幸中に幸い。
これが下っていたときとなら大参事でしょう。


ということを通勤中に思い出した途端、怖くなって某店にて緊急にリム交換を
実施。事情を話したところ、「あ~~た、とんでもないことになるところだった
よ。ママチャリでもよくあって、そりゃもう~グチャグチャになるよ」ですって。
リムを触るでもなくひと目みて、削れていて危ない状態と見抜くとは流石にプロ
でございます。   私が鈍すぎるだけとも言うのですがね。

しっかし・・完組シマノホイールが10,000円もしないで手に入るとなると
もう、手組なんて高くて買っていられないっすよ。ホイールを消耗品と捉えると
ハブをアルテで☆かDTの14番ぐらいで32で組んでぇ~とお願いしても耐性
はそんなに変わらないと思うけどお値段は3倍はするはず。

何が心配って、手組でちゃんと組める職人さんがいなくなることですな。
少々高くなってもあえて手組でオーダするような方がいないと本当にチェーン店
のやとわれ店長さんばっかりになってしまうぞ。

でも誰も困らないか?
いやいや・・スポークとんだときに交換することもできず、新規購入をすすめられ
るんだろうな。だからいいかぁ~(笑)。

*******

TさんがTimeを震災義援金のために売ると告示されていましたね。
会社制度により個人義援金額*2倍になるとか(さすがに社員平均年収6000万
の会社ですな)。数名のエントリーがあったけど折り合いがつかず結局ヤフオクで
今朝の価格で150,000円也。よっぽど低値だったんだなぁ~というのが個人
的な感想であります。

思うに、これは中古を買うという趣旨ではなく、震災義援金をTさんと共同で寄付
をするというのが主目的と理解しないといけないと思っておりました。となれば
ある程度まとまった(キリがいい)金額になる必要があり、その額は50円か100円
ではなかろうか?と想像。当然、型落ち中古キズありフレームに25とか50とか
払うのは常識外(相場感覚外)でしょうけど、趣旨を取り違わなければそんなにおかしな
話ではないと思います。

被災者の役に立ちたい。
私の出せる寄付はここまでが限界。
でもTさん会社制度を利用できればそれが2倍になる。
義援金として現金10万円を出すのは勇気がいるけど、フレームを15+10で購入
するとモノが残るからそんなに勇気はいらないし・・。しかも2倍の寄付になる。
ひとりの力では出来ない額を出せるなんて・・・というお話。

どのみち貧乏人の私には端から出せない金額でございます(サイズも合わないし)。

寄付は数か所に行いました。
あとはもう少し時期を外して恒例の献血です。
毎度、成分か400かで迷うんですよね。
インターバル考えれば成分だけど、時期により必要とされるのが違うからね。
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《練習》ちょっと

2011年03月22日 | Weblog
早く帰ることが出来たので久しぶりに練習をしてみた。
とは言っても はじめから ゴリゴリとすると後に響くから ピアノぴあの~で。

固定ローラーを軽く30分。
本当は3本がいいんだけど、あの音を聞くと神経に触ると苦情があったもので
家人在宅時は封印アイテムになってしまった。固定も音はするけど隔離室に据え付け
なものでドア1枚いや2枚で遮断できているらしい。

かなり目方がオーバーしているので、今はダイエット的に乗るだけだな。
これも相当時間がかかりそうだけど ま、出来るところまで。
あまり気負うとろくでもないことが起きそうだから”今を生きる”にしてもほどほど
に燃え尽きないようにしようかな、と少し趣旨替えしたのかも。


ずぅ~~っと震災報道やお葬式等、人の生死を浴びるように感じているとある種の
感覚が次第にマヒしてくるように思う。深く深く人生について考える時期を過ぎると
なんだか”普通”になり恐ろしい出来事が日常のように感じてしまっている。

あれからまだ10日ちょっとだけど、遥か昔の出来事のようでもあり、原発も扱い
がTOPからずれるところから、実は危険なはずなのにもう普通扱いになっている
ように思えるのは果たしていいことなのだろうか?


ニュースが「流れて」いくことに危機感を感じてしまいます。
そしてその情報に”慣れ”てしまう自分の感覚も恐ろしくあります。


プロって何?
想定外のことについても日頃から考え対応できるように備える人。
そして与えられたこと(自分がやるべきこと)は命を賭しても遂行しようとする
強い意志をもっている人。自分の業務に精通しすべてを把握していてイレギュラー
なインシデントにも対応できる人たち。

いまも戦っている人たち、先ごろ戦った方々を決して忘れてはならないと思います。

 ※石原都知事が号泣したという。その記事を読んで私も泣きました。
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《》想い

2011年03月20日 | Weblog
安らかな寝顔を見て少しホッとして自然と頬が緩んだけど
何だか小さくなっちゃって・・。

言いたいことは山ほどあると思っていたけど いざ話そうと
したら 何も出てこないよ。

でもその顔を見たらなんだかどうでもよくなっちゃった。
悲しさは変わらないけど昨日までとは違うよ。

奥様に聞いちゃうよ?
本当に毎日チュ~していたのかを ^^;

コブクロの桜。
病室でずぅ~~っと聞いていたんですってね。
またレパートリー増やそうとしてぇ~。
奥様も知っていたよ。 歌いだしたらマイクはなさないこと。

でも らしいっちゃぁ~らしいね。

いつか聞かせてよ
あ、歌い直しをしなくてもいいっすからね

奥様のそばが一番いいんだとは思うけどさ たまには福岡にもきて
くださいな。

そのときはちゃんとわかるように声かけてね。

だから またね 白岡さん !
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《》おわかれ

2011年03月19日 | Weblog
明日はお別れに行ってきます。

 勝手な思い込みだけど、たぶん待っていてくれていると思う。
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《》視点

2011年03月16日 | Weblog
ずぅ~~っとTVを眺めていて違和感を感じ始めている。

TV報道のおかげで福岡にいながらリアルタイムで津波を見ることができ
地震の恐ろしさ、現実を疑似体験することができている。またその後の被災地
の厳しさも、生の声も感じることができる。

報道関係者は事実を正確にリアルタイムに視聴者に、世界に届けようという使命感
に燃えに燃えこれでもか、と情報発信をしてくださる。

そのお蔭で今そういう風に自分事のように感じて何かしなければと思うようになって
いる。95年の阪神淡路大震災も新聞一面に載った高速道路倒壊の写真ひとつで
今なにが起きているのかを瞬時に感じることがきでた。これも報道のおかげです。


でもそれが続くとだんだんと別の感情がわいてくる。
どうしても「覗き見」しているような何か悪いことをしているような気持ちが
するのである。スクリーン1枚先は阿鼻叫喚の地獄絵図なのだがこちらはご飯を
食べながら水を飲みながらそれを眺めている。「おにぎりひとつを4人でわけて
いる」「ミルクが足りません」というのを聞きながらである。
そして布団をかぶって眠りにつく。

身近であって実は他人事なのだ。
同情するけど、現実なんだけど、対岸の火事なんだ。
だから買いだめに走る。

そんな目で見るとTVのスタジオではキャスターがコメンテーターが、自己満足気
にいかにも大変なんですと被災地から遥か遠くのスタジオで自分事のように訴え
出演者全員が相槌をうち後手後手の対応にまわる政府を批判していかにも自分が正しい
とばかりにごもっともなご意見をおっしゃられている。原発が危ないとなればどこから
ともなく(その業界では権威なのでしょうが、はじめてお会いする視聴者にはどこの
馬の骨ともわからない)その筋の専門家という触れ込みでその解説が100%正しい
という前提でそれを検証することすらせず正しいのか間違いなのかわからないような
情報を垂れ流し、「大変な事態ですが、冷静に」としたり顔でコメントをする。
マイクロシーベルトで人体に影響ない、と言われてもそれだけでは消化不良を起こして
後に残るのは「なんだか危ない臭いがするそ」という悪い印象だけ。でもそれをその
ままスルーしてしまう。初めて聞く単位なのだから、しかも専門家が使う言葉は標準語
にはなりえない(原発だけではなく)のだから「サルでもわかる」翻訳が必要になる
のに。

だから消化不良もなんのその、なんとか情報をリアルタイムで届けようとする姿はどこか
自己満足の恍惚感を含んだ匂いを感じる。そう自己満足ではないのか?こんなに皆様の
ために頑張っている我が社、私ってすごいでしょう?
みなさんのお役にたつ○○TVの△△です!

私が感じる違和感・・・それは、「誰に対して情報発信をしているのか」が本筋からあまり
にも離れてしまっていることを感じているからなのです。一番情報が欲しい、一番情報を
発信したいのは被災者の皆さんのはずなのに、その視点に立った報道が果たして今まで
でなされているのであろうか?原発の状況発信も、その地区に住まわれている方に向けて
ではなく東京に向けてされているように感じないだろうか?もうまるでその地区は壊滅して
助からないとでも言わんばかりに。

さっきニュース9で放映された南相馬町の桜井町長に悲痛な魂の叫びをお聞きになられた
方もいらっしゃるだろう。30㌔圏内は屋内待機という国からの指示。だからといって
食糧を届けるにも進入禁止措置で届かない。なんとかタンクローリーを確保しても運転手が
被ばくを恐れて運ぶのを拒否する。いつ南相馬町の住民のみなさんが被爆したという報道
があった?いつ30㌔圏内は危険でひとたび入ると被爆して死ぬよ?と発表があった??

そおいう風評被害をなくす報道をするのがTVをはじめとした報道機関の最優先すべき
ことではないのか?東京のスタジオで自分の安全を保ちつつ被災者ではない安全圏にいる
人向けの情報発信をする姿勢は「本当に助けなければならない人に役立つ」という視点が
消えています。本当に役に立ちたいのであれば、現場にスタジオを作り被災者と一体となり
私たちに訴えかけて欲しい。事件は会議室で起きているのではなく現場で起きている!と
名言を残したTV局さん、、率先垂範してください。一番大切なのは被災者のみなさんを
助ける情報発信であるべきです。

原発の情報はその他大勢にも必要ですが、もっと工夫をして欲しい。

こおいう時においてもどのTV局もまったく同じ調子の報道をしている。
2局ぐらいは避難所のみなさんからの情報発信&それを避難所間で送受することができる
ようになぜできないのか?教育TVの文字放送でななく、避難所中継ができるのであれば
画面を通じた安否確認を被災者間、遠方の親戚が出来るように今の技術では容易に可能だ
ろう。高速道路倒壊の写真1枚ですべてがわかるようにTV画面に投影される画像はひと目
で100いや1万の情報を鮮明に送ることができるのですから。

一刻も早い救援物資の定期輸送が確立することを願っています。
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《》連鎖

2011年03月15日 | Weblog
その人とは2003年9月からお付き合いが始まった。

片道切符で東京に転勤したと思っていたところ本当にいろいろな方の
お力添えやお気遣いで急転直下、福岡勤務へ向けた異動発令を受けた。

異動した直後から、海外ベンダーさんとの協業強化のための体制確立や契約書
作成をその人の指示のもと2人で行った。指示は的確でありフォローもしっかり
やってくださった。私もその人が気づかないところを今までの経験からつぶして
いった。上司、部下としてお互い安心して仕事をすることができた。

その関係が仕事だけでなくアフター5後も続くことになるのは当然といえば
当然のことだった。その人は事業部でもかなり上のお立場にありあらゆる仕事
を抱えて慢性的にお忙しかったが、どんなに多忙であろうとも嫌な顔ひとつせず
に対応いただいたし、私のグチも受け止めてくれた。

協業が軌道にのり定期運用も一緒に行った。
その人と仕事をするのがうれしかったし楽しかった。どんなに忙しくても
家に帰れなくても苦にはならなかった。その人とは所属部署が異なっていたので
私の人事権とは関係なかったが私が課長試験を受けるにあたり、自分の部下以上
に応援してくださった。

約2年。
そんな関係が続いたが、サラリーマンの宿命。
お互いが異動になり私は福岡へ。その人は本社に復帰されまったく接点がなくなった。

たまの出張時に連絡を入れるがその人はさらに多忙になっていて、しばらくして
海外拠点の勤務になり日本からいなくなってしまった。

お互い段々と疎遠になってしまったが折に触れて連絡を取り合う関係は続いていた。


その人が一時帰国後の海外拠点に帰る際に成田で倒れたと聞いたのはかなり後に
なってのことだった。そのまま長い入院生活に入られ連絡が取れない状態が続いた。


人づてに退院されたと聞いて安心していたのだが、それもつかの間。再入院。
そして、今日。

夕方、訃報を聞いた。

言葉もない。
脱力感。
泣いた。


最後に会ったのは、その人が海外に行かれる1週間前。
むりやり出張をこさえて会いにいったが、相変わらず多忙を極めていたその人には
私とゆっくり話すための時間を作ることが難しかった。そのかわりお昼ご飯を食べた。
近況を報告しあい、お互いのこれからを期して握手して別れた。

それが最後・・。

こうなることがわかっていればなぜもっと話をしなかったのか?
なぜ会いにいかなかったのか?

むなしさ。
はかなさ。
いつかは来るであろう別れだけどまだまだ先のはずだった。


後悔ばかりが押し寄せる。
でもその人と一緒に過ごした時間はとても充実していたし今でも懐かしく思い起こす
ことができる。しかし・・もうその人はいない。

でも・・これからはその想い出とともにその人を思い浮かべるだろう。
けど、心にその顔を思い浮かべればやっぱり泣けてくる。

とても、とても 悲しい。

白岡さん。
とても悲しいです。
でもあなたのことは忘れません。

ありがとうございました。
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《》我思う

2011年03月14日 | Weblog
誰も想像すらしていなかっただろう。

まさか自分が
まさか家族が
まさか友人が
まさか・・・

「自分ではどうすることもできないこともある」

ということをあらためて思う。
だからこそ、

「いろいろあったけど、悪くない人生だった」

と不意打ちを食らっても思えるように、笑顔で迎えられるようにしたい。


「ありがとう」
という何事にも感謝の気持ちを忘れずに、自分が嫌なことは他人にはしない
という至極当たり前のことを肝に銘じその日その日を大事に精一杯生きる。

そして布団で目を閉じるとき
「今日もいいいちにちだった」
と思いながら安らかに眠りにつきたい。

目を覚ました時には自分であって自分ではない、また新しい人生を歩く自分。
それを毎日毎日繰り返し、薄皮を一枚ずつ重ねるように、毎日生れてくるよう
に大切に生きていきたい。


NikkeiBPのWeb版の記事になるけど、毎日86,400円ずつ貰える。
そしてそれを一日で使い切らなくてはならない。もちろん貯金はできない。
そうするとどうする?

という話があった。
60*60*24=86,400

これはどんな人間にも平等に与えられる時間です。
これをいかに有効に使い切るか?

使う間もなく逝かれた皆様がおられる。

等しく与えられている86400秒。
どう使おうがその人の自由だけど、そう自由なんですが・・・人間いつかは
死ななければならないと思うけど、それは今日ではないはず。まだまだこれから
無限の可能性がある方々が一瞬でいなくなるその理不尽さ。

死ぬのは簡単。
人間は唯一自分で死ぬことができる生き物だと聞いたことがあるから。

生きるのはとても難しい。
思い通りにいかない毎日。
ストレスをため幼いころの夢は遠くに消え去りどこまでもどこまでも続く生活
という泥濘を脚を抜きあげ降ろすことをただひたすら永遠に思えるほど繰り返す
何も変わらない味気ない日常。この先にいったい何があるのだろうか?
ただただ”生息”するだけの人生。そこに意味があるのだろうか?自分の存在
意義は? 自問しても答えは見えない。

だからこそ、よく生きたい。
それすらもままならないことが多いけど・・・そうありたいと思う。


ニュースを見るにつけ涙が出そうになる。
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