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■第8回サッポロ未来展 (3月21日まで)

2009年03月21日 10時00分07秒 | 展覧会の紹介-複数ジャンル
 道内と、道内出身で首都圏在住の、40歳以下による展覧会。
 時計台ギャラリーの全7室をつかって、2002年から毎年3月に開かれている。

 この種の展覧会で、全体的な傾向に言及することにどれほどの意味があるのかわからないが、どうも今回は印象に残る作品が少ないような気がした。

 いままでの流れをまとめてみれば、第3回あたりは、武蔵野美大や多摩美大在学中の出品者が増えて団体公募展の縮小版みたいな雰囲気になり、そのぶん先鋭さが失われた(道教育大の「油展」のほうがずっとおもしろかった)時期だった。その後、金沢の若手との交流などもあり、この2年ほどは非常に見ごたえのある展覧会になっていたのだが…。
 原因を考えてみたが、青木美歌の不在はたしかに大きいとはいえ、まさかそれだけではないだろう。
 昨年から現代アートの作家が増えたものの、あたらしいコンセプトによる作品が少なかったためかもしれない。

 展示の方法、形式について。
 時計台ギャラリーは、A室とB室、E・F・G室は、それぞれつなげて使うことが多いのだが、今回は「LABORATORY」(実験室)をテーマに掲げ、7つの部屋ごとに独立した性格付けをした。したがって、EとF室以外は、各部屋ごとにはっきりわかれた展示となった。
 ただ、この試みに、つまるところどんな意味があるのか、よくわからなかった。

 また、キャプションであるが、ことしは作者名と作品名、素材だけの、きわめてシンプルなものになった。
 昨年までは、生年や出身地・現所在地、出身(在籍)大学なども記されていたという記憶があり、ちょっと物足りない感じがした。


 印象に残った作品について。

 宮路明人「paradox(A)」
 とりわけ人物描写において驚異的な高い技量をみせるこの作者だが、単に写真みたいに描いているだけではない。中央の女性の白い衣服からは、白の絵の具がたれ落ちている。人物の周囲には、額のなかの額ともいえる物質が取り巻いている。
 その一方で、絵の前にロープが張り渡されているような、トロンプルイユ(だまし絵)的な仕掛けを施している。
 おそらくこの作者は、「絵がリアルであること」についてきわめて自覚的なんだろうと思われる。

 かつて、絵のリアルさは「現実」によって比較されていたが、現代は「写真」というものがあり、絵のリアルさは、写真を介在させる語法でのみもっぱら述べられている。そういう状況の中では、いくら「リアル」な絵を描いても、現実と直接比べられるのではなく、写真との対比でしか語られなくなってしまうのだ。「『写真のようにリアル』ではない『リアル』」とはなにか、という問題意識が作者にあるような気がしてならない。

 村山之都「baby youth」「garden」
 第1回から皆勤の、東京の作家。
 この人も、写真を絵画の素材にすることについてはかなり自覚的だと思われる(その意味では、リヒターを思わせる)。
 現代の風俗(あるいは風俗産業でもいいが)は、画像としてはほとんど写真かビデオ映像というかたち以外では、現実的に成立していない。そんな時代に、性や風俗ときりむすぶ絵画を制作するとしたら、どんな形式がありうるのか。作者の苦闘と試行を見るにつけ、絵画はどんなものごとでも描ける自由なメディアのようでありながら、じつは、写真や映像に侵食された不自由できゅうくつなメディアではないのか(すくなくても21世紀の日本においては)-という思いをぬぐいきれなくなってくる。

 藤田有紀「いつかの風景」
 日本画による抽象というのは、意外と見る機会がない。

 吉田浩気「墓」
 床に、斜めにして寝かせてあったが、おそらく縦が長すぎて、ギャラリーの壁に掛けられなかったのだろう。しかし、この題を見ると、もともとそういう展示方法を想定しているとも考えられる。
 絵は、西洋の墓を思わせるくらい長方形の空間の前および周囲に、ユキムシのような白い羽虫がおびただしく舞っているというもの。白い綿のように散在するものに羽が描きこまれていなかったら、抽象画といってさしつかえない画面である。しかし、重く暗い背景は、造型よりも精神にこの作者の神経が向かっていることを示唆している。

 河崎辰成「crowd」
 黒い小魚たちがおびただしく集積して人の立像になっている。
 以前、アリでおなじようなコンセプトの立体を作っていた人がいた。
 この作品の場合、魚のかたちがそれぞれ微妙に異なっていて、単なる反復ではないところがユニークだ。

 竹居田圭子「この場所で生きていくということ」
 空知管内南幌町を拠点にインスタレーションをつくり続けている。
 今回は、哺乳瓶およそ200本を床の上に並べた。それぞれの中には、南幌のさまざまな地点で採取した水が入っている。井戸水は黄色くなっているものもあるようだ。
 わたしたちの生を根っこでささえる水。その行方を案ずる気持ちが、静かに提示されていて、好感を抱いた。むろん、哺乳瓶という装置は、母親らしいものであるが、その問題意識を「母親らしさ、女性らしい感情の揺らぎ」というレベルに封入してしまっては、このインスタレーションの持つ本来の大きさみたいなものを見失うような気がしてならない。


 展示作は次のとおり。
佐藤仁敬「paranoid」(同題2点)
谷地元麗子「いつか見た夢」
河野健「kaeru」「go up,go down」
波田浩司「羽の舞う日」(同題2点)
宮地明人「paradox(A)」「paradox(B)」
村山之都「baby youth」「garden」「girls out of fight」「summerdog」「snow ridge line」

宮下倹「帰宅」「mr.lonely」「熱帯魚はディスプレイの中」
福森崇広「アニメーション背景の街」
菊谷達史「THE POOL」「X'mas tree climbers」「white out」「僕たち私たち」「ふつうの生活」
佐々木ゆか「夢の跡」

藤田有紀「いつかの風景」「splash!!」「羽音」
明円光「KENDO」(同題2点)
田中怜文「正午」「プロモーション」
立松明日実「祝福」
秋元美穂「あ、糸からまある アイとからまる」

稲實愛子「キラリ」「街」「ugaugu」
渡辺元佳「ぼたん」「ワタリドリ イロトリドリ」(ワークショップの作品) 
水野智吉「時のほとり」
佐藤正和重孝「寄り添うフローレス島のノコギリクワガタ」

風間真悟「stand」
吉田浩気「墓」

鈴木秀尚「空は低く」「風景」「空はかわく」
こうの紫「仏手柑no.1」「仏手柑no.2」「仏手柑no.3」「akafuji」「kurofuji」
海藤慎治「橋塔」「端午」「鐸」

高村葉子「跡」
渡辺直樹「飛行」
河崎辰成「crowd」
竹居田圭子「この場所で生きていくということ」



2009年3月16日(月)-21日(土)10:00-18:00(最終日-17:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A

http://www.sapporomiraiten.com/

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