森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

通天閣の灯

2005-12-16 21:26:16 | 日々の写真
「王将」の唄に出てくる通天閣は現在のものではないが、当時の通天閣は、写真に残っている。阪田三吉は将棋指しの代名詞のようだが、今は将棋指しというより棋士というイメージの方が合う。
 子どもの頃に「将棋指しは親の死に目にも会えない」「博打打ち」の印象もあって、子どもの頃には、私も親に盤駒を捨てられたこともあった。
 実際、私が奨励会の頃の棋士は、ある意味で豪傑ぞろいだった。対局が終わって深夜になっても、酒盛りや将棋を指して夜を明かすことも多かった。気概があった半面、自己破滅型が多かったのかもしれない。それでも私には魅力的な世界だった。損得や要領を考えないで、根っからの将棋好き、そんな将棋指しばかりだった。昔がよかったとか、今が面白くないというのでなくて、時代の流れもあるだろう。今は将棋もスポーツ化しているのかもしれない。スマートで合理的な考えが主流のようで、ビジネスライクで捉えないといけない時代なのだろう。
 人間性がどうとかこうとかよりも、将棋を純粋に技術で勝負する時代でもある。
 人の生き様は様々だ。いつの時代でも、人の暮らしや考え方がそんなに変わるものではない。世の中が進歩し続けているというのは、ひとつの錯覚ととらえる要素もあるのではと思う。
 遅れて歩く、そんな思いになることがある。時間を止めて、損得や合理性の反対の方向に走り出したくなる心境、ああ、やっぱり私はへそ曲がりで一生を終えそうな実感がする。
 通天閣を見上げながら、これからどうするのか、腕を組んでじっと見入る。
 冴えんなあ・・・
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の公園の風景

2005-12-15 23:00:34 | 日々の写真
 冬の公園は物悲しい。やさしい日差しの中で、人のいないベンチがひとつのストーリを物語る。
 さて、ここにはどんな人が座っていただろう?心理テストの題材のようだが・・
 
 言葉はときとして自分の世界にはまって、客観性を見失うこともある。ニュアンスが違うことも多い。だから写真のほうがいいなあと思うこともある。
 でも写真もまた自分がすべてを選んだわけでなく、風景は自然としてそこにあるものなのだ。
 言葉で理屈を話したり、映像でものをとらえたりしても、大事なのはやさしい目線のような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユリカモメ

2005-12-14 22:39:11 | 動物と花
伊丹の昆陽池に飛来した「ユリカモメ」だ。たいてい集団で行動しているが、とにかくギャー、キャーと騒がしい。餌を見るやあっという間にねだりにくる。雰囲気はとても上品で清楚だが、けっこう気が強いとみた。
 毎年いっぱい渡ってくるが、白鳥は大ボスでプライドが高いが、ユリカモメはとても庶民的で気取らない。
 餌を空中で捉える特技もある。観光地などで「かっぱエビせん」などをねだりに来るのもユリカモメである。カラスは神経質なほど人との距離を取るが、ユリカモメは目の前に来ても平気なことが多い。
 この写真のユリカモメも間近なのに、ぎりぎりまで飛ぼうとしなかった。どちらかいうと人を信じている鳥なのだろうか。
 昆陽池には「殺生無用」の石碑が建っている。どんな悪名高い生き物でも、ここに来ると治外法権みたいなものだ。ひとつの戒めがいつまでも長く続いてほしいと願うばかりだ。人間界があまりにも崩れている現代は特にそう思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョウ温室

2005-12-13 21:55:59 | 動物と花
昆陽池の昆虫館に入ると、チョウ温室があり、千匹以上のチョウが飛び、熱帯の色鮮やかな花が咲いている。コートを着ていると汗をかくが、ヒラヒラと音も無く舞うチョウは、ときどき人の指に止まったりする。子どもたちが蜜を指につけて、チョウを誘うと、疑うことなく寄ってくるのだ。
 チョウの姿をアップすると、怪獣かバレリーナか、美しくもあり恐くもある。
 写真を撮ろうとするがなかなか素早くて大変だ。「なかなか撮れないねえ」孫を連れたおじいさんが、同情してくれた。かと思うと、人間を全く気にしないで、花の蜜を吸うのに熱中しているチョウもいる。
 蜜を吸うときは、羽を閉じていることが多いが、開いたり閉じたりするのもいて、開いたときの美しさは格別である。何かの意味があるのだろうなあ。
 温室の中は独特の平和な楽園である。人や荒々しい動物達のような争いごとが無いように見える。命が短いせいで、無駄な争いをしないのだろうか。
 生き物の生態は、時として感動的でもある。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昆陽池の夕景

2005-12-12 22:23:48 | 日々の写真
今日は午後「昆陽池」に行く。そろそろ渡り鳥の飛来シーズンになったので、今年はどうだろうな、楽しみでもあった。入り口でちょうど小学生の集団がぞろぞろと帰るところに出くわした。最近のご時勢で、引率の先生もピリピリしている印象を受けた。猫が2匹いて、いかにも寒そうだった。
 キーとかキャーとかクワクワとか、白鳥やカモ、ユリカモメの鳴き声が響く。
 羽を休めながらも、飛来早々のせいか餌を求める声が甲高く聞こえた。ユリカモメが欄干に群れで止まり、かと思うと公園でお菓子を与える親子の前に殺到する光景は、パワー全開だ。
 帰る途中に一羽の鳩が血を流して倒れていた。妻が公園の事務所に連絡を取りに行っている間、じっとしていた。そして最後に傷ついた体を思いっきり動かし飛ぼうとしたが力が尽きた。そして息を引き取った。
 平和な昆陽池の光景の中で、動物の死を目の当たりにして、悲しむよりも「生きることは厳しいことだ」と思うしかない。
 この写真は昆虫館に立ち寄って帰る途中の昆陽池の夕景だ。来たときにいた猫が2匹、車にも近寄ってきて「さようなら」を言った。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の一葉

2005-12-11 23:45:02 | 日々の写真
私は晩学もいいところで、19歳4級で奨励会に入った。会社を辞めて、師匠の教室のお客さんの洋服店で雇ってもらって、大阪で暮らすことになった。なにしろ田舎者だし、洋服の仕事は向いているはずも無い。店番したり洋服を届けに行くのだが、愛想もないし、よく雇ってくれたなあと思う。でもそこの生活も続かなかった。半分ノイローゼ気味になり、悩んだ末にある日意を決して田舎に帰った。迷惑をかけっぱなしだったが、二股の生活では将棋の結果も出ないことを痛感したからだ。
 しばらく退会するかどうか迷いながらも、田舎から奨励会に通った。未練と口惜しさの板ばさみだったが、しばらくして岡山の姉のところに居候をして、旦那さんの仕事を手伝うことになった。スレートの仕事で、屋根の上に上がったりする仕事だった。でもある日、将棋を辞めるかどうか悩んでいたせいか、屋根から足をすべり落ちそうになった。次の日、意を決して仕事を辞めて、大阪に出ることを告げた。常に身勝手さがつきまとって、世話になりながらも申し訳ない仕打ちをしてきたかもしれない。
 ちょうど偶然に、将棋連盟の住み込みの塾生が開いていて、藁をもすがる心境で師匠を通じて頼み込んだ。将棋を辞めるにしても、もう一度悔いなく打ち込みたかった。塾生の仕事は将棋の勉強というより、ほとんど雑事に追われたが、私には天職だった。
 この当時の19歳から21歳までは、ほとんど落ち葉になった中で、最後の一葉だけかろうじて残っていたような運があったのだと思う。どれだけ人に迷惑をかけたかもしれない。将棋のプロになりたいではなくて、自分の心の葛藤で、口惜しさがすべてだったような気もする。
 将棋が強くなりたいと思ったのではない。自分の生きる場所を手探りで求めていたのだろう。その気持ちは今も変わらない。自分に与えられたもの、自分が選んだものに必死で取り組むしかないのだと思っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真について

2005-12-11 02:26:12 | 日々の写真
写真を始めた頃は、モノクロでばかり撮っていた。風呂場を暗室にプリントをするのだが、徹夜することもざらで、朝までかかって数枚しかできなかったこともある。機具が揃ってなかったので、ピントを合わすのに何時間もかかったり、秒を測るのに心の時計を使ったので、出来がぶっつけ本番だったりした。(写真の知識がないので説明不足ですが)
 一年くらい経ち、カラーフィルムを使うようになったら、色があるのは何て楽だろうと思った。それから少し横着になったようである。
 写真家の西川孟先生に「森さん、将棋なんて辞めて写真をやりなさい」といわれたこともあったが「但し、飯を食うようになるには10年かかるけどね」と言われて諦めた。でも撮影に連れて行ってもらって、弟子でも覗けないカットをみせてもらったりしたのはうれしかった。
 たまに助手の弟子に物が飛んでくるような厳しい先生だが、私はとっても可愛がってもらった。いろいろ助言していただいたのだが、ズボラは治らなかった。
 西川先生には見せられない写真もいっぱいあるのだが、そこは素人の図太さである。でも西川先生には未だにこのHPも内緒なのだ。
 
 顔がくしゃくしゃで、目も鼻もどこなのかわからないような、魅力あふれるネコである。この八方破れが私好みだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画を観る

2005-12-09 23:30:48 | 日々の写真
先週借りていたビデオをあわてて観る。「熱いトタン屋根の上の猫」と「レッド、コーナー北京のふたり」の2本だった。「熱いトタン屋根の上の猫」の方はたった一日の出来事の中で、家族の人間模様があからさまに描かれる。一歩間違えたらすべてが崩壊しそうな状況で、かろうじて踏みとどまる危うさがある。人生の裏にはそんな危機がだれにも忍び寄ってくるのだと思う。
 「北京のふたり」はある意味で中国の古い体制の風刺と、アメリカ的な毒との接点が面白かった。法廷物のサスペンスの要素もあり、わくわくしながら観た。
 いい映画を観たときは余韻が残り、つまらない映画を観たときは、悔いが残る。
 今日の2本は私が(半額だったが)選んだので、久しぶりに妻に胸を張って感想を聞く。でも後の2本は結局時間が無くて観ないで返したので、半額の意味がなかった。でも充分に余韻が残る映画だった。
 紅葉も最後の季節で、我が家のざくろも庭に枯葉がいっぱい落ちている。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一心寺のネコ

2005-12-08 23:29:22 | 動物と花
寒さが少し緩んだが、これから真冬に向かう厳しい季節となる。この写真は昨日「聖の青春」のあった一心寺にいたネコである。こっちを見て、じっと警戒しながら寒さに身を固めていた。バランスが崩れて危険距離と察知すると、さっと走り出した。驚かしてごめん。
 もう一匹白いネコが記念碑の上にいたのだが、呆気にとられていると素早く走り去ってしまった。
 一心寺の古いお墓に札がかけられてあった。「このお墓に所縁のある人は連絡下さい」とある。もう長いこと身内や親戚がだれも訪ねて来ないお墓のようだ。
 一心寺には芸事に携わっていた人達のお墓も多い。裏には無縁仏もあるようだ。
 このあたりは昔からの独特の業深い因縁があるように思えた。引き寄せられるものがあるのだ。だから昔から通っていたのかもしれない。恐い話でなく、深く人々の結びつく縁である。そう思うのは、私の錯覚なのだろうか。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通天閣夕景

2005-12-08 00:45:34 | 日々の写真
「聖の青春」の14:00からの公演が終わり19:00の公演までの合間に、歩いて一心寺から通天閣に向かう途中で撮った写真である。昨日から舞台公演を続けてみたせいか、村山君の面影が浮かび、またいろんな思いもこみ上げてきて、情緒的な一枚になったかもしれない。
 新世界まで足を延ばし、ジャンジャン横丁を歩き、串かつを食べた。そこから天王寺まで、また歩いて戻る。いろんな店があったがどこも人がガラガラで、さみしいムードかと思うと、ネオンやイルミネーションで飾られた華やかなビル群が現れる。今の時代の象徴かもしれないと思った。
 今日の公演も二回とも観た。受付の劇団コーロの人の笑顔がうれしい。昨日と今日で、舞台劇と一週間くらい関わったような印象がある。
 遠方から来てくれた人もいて、ありがたいことだと思う。将棋の村山聖でなく、村山聖の人間像が新たな出会いを生んでくれるのかもしれない。
 劇団コーロのみなさん、お疲れさまでした。
 また今回の公演を観に来てくれた人に感謝いたします。ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「聖の青春」一心寺シアター倶楽公演

2005-12-07 00:35:20 | 将棋あれこれ
「聖の青春」一心寺シアター倶楽にて、川崎教室のこども達らとの記念撮影だ。同じカットの写真が川崎君のHPにも掲載されている。(カメラは別)
 寒さも厳しい中、ほぼ満員で埋まったのにはほっとした。いつもながら、公演があると劇団コーロのにわか社員になったようで?不安がいっぱいとなる。
 私が「聖の青春」を観たのは6~7回目だろうと思う。大阪、東京、宝塚の公演である。今回は天王寺から徒歩8分の一心寺シアター倶楽で、このあたりは以前撮影で何度も歩いたところだった。ここからは通天閣の灯も見える。

 ”「死んだら何も残すな」村山聖のそのメッセージは哀しくもけなげです。私はそれを心に刻んでなお、「聖の青春」をいろんな人に見てほしいと願っています。 
 初演の前に記した、今も変わらぬ私のメッセージです。
 終わってから楽屋に連れていってもらう。まだ明日二回公演があるので、簡単に挨拶だけさせてもらった。
 寒い中、足を運んでくれた方に感謝致します。ありがとうございました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖の青春公演日

2005-12-06 05:57:09 | 将棋あれこれ
今日と明日は「聖の青春」一心寺シアター倶楽の公演日です。
12月6日(火)午後7:00~
   7日(水)午後2:00~ 午後7:00~
アクセス http://www.officeb1.net/kura/access.htm
この写真と同じカットがいろんなところで掲載されました。
私は正直なところ、人前に出るのは苦手な性格です。(今ではそうは見えないが)
ただ、村山君のことに関しては、あるときにすべて協力しようと決めました。
 人間は悲しみ、
 苦しむために生まれた。
 それが人間の宿命であり、
 幸せだ。
 僕は死んでも、
 もう一度人間に生まれたい。
              村山 聖
劇団コーロのパンフレットにある、村山君の言葉です。これはノートの切れ端に書かれていたものをご両親が見つけて抜粋したものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の仙人写真館

2005-12-04 22:39:38 | 日々の写真
昨年の10月22日に「水津さんの旅立ちを励ます会」があって、東京、信州などから10人余りが集まった。なにしろ旅の仙人と言われているだけあって、旅の達人の集まりで、ささやかながら私も加えてもらった。そのときに、水津さんが来年までお元気だったら、また皆で会いましょうということになった。
 深刻な話も水津さんにかかるとどこかユーモラスに聞こえるから不思議だ。
 そして春を越え、今度は「夏を乗り切った会」を数人で開いた。病院から外出なのだが、至って元気で食欲も旺盛だった。その後も見舞いに行くと、たいてい外出していて、病気もどこ吹く風だ。
 先日お見舞いに行ったとき、自宅に一緒に帰り、膨大な旅の写真の整理と引継ぎを依頼された。そのときは真剣な表情で、預ける意志が伝わってきた。これから「旅の仙人写真館」で整理して掲載していきたい。水津さんは84歳のひとり住まいだ。「部屋はなかなか片付かなくてねえ」病院から自転車で20分かけて往復されているのだ。
 「森さん、自分で定年を早めて、世界を回ったらいいですよ」水津さんは65歳からほぼ20年間、世界を貧乏旅行してきた人だ。言葉に重みがある。
 惜しみなく時間を大切にしたい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の空

2005-12-03 22:22:58 | 日々の写真
冬の日差しは光線が斜めで、広く柔らかく地上に伸びている。空の雲もおどろおどろして、暗雲立ち込める雰囲気がある。
 陽の陰りも早くて、人恋しい空模様なのだ。雲間からきらりと光が差してくると、一瞬のぬくもりが天の恵みのようにすら思える。
 難しい言葉は置いておいて、要は陽だまりのネコなのだ。
 「霧深き わが心にも 冬の日差し」気恥ずかしい句だが、確か高校のころに国語のテーマで、授業時間ぎりぎりに提出したのを覚えている。
 中学のときは「かけくらべ 前の走者め 転んでしまえ」と読んで、先生に誉められ、みんなに大笑いされた。
 貧乏人の子なのに妙にコンプレックスが無くて、いじめられっこだったのに、妙に暗さが無い、私はそんな意地っ張りの子どもで、今も永遠に不滅である?
冬の空を見るたびに、胸が騒ぐのだ。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有馬のアイロンクラフト

2005-12-03 01:29:27 | 日々の写真
有馬温泉の名物に「酒饅頭」と「よい湯(と)饅頭」がある。私はどちらも好きだが、その店が立ち並んだ一角に、この「アイロンクラフト」が飾られてあった。
 ギフトの店のようだが、澄み切った青空のバックを借景にして、なかなか色彩感のある看板である。これなら入ってみようと思うかもしれない。ただし、このクラフトは見る角度や、天候によっては霞んでしまうこともある。その不安定さがとってもいいのだ。
 生きていくのに100パーセント安全はない。いつも危険と隣りあわせでいながら、平凡な日々をさりげなく過ごしているのだろう。世の中で傲慢さを持ち合わせた人間は、永遠に生きられるという錯覚の持ち主ではないだろうか。
 元気一杯暮らしてもいても、心のどこかに無常観と隣り合わせの切なさを抱き、日々惜しみなくの心情でいたい。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする