森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

安土、西の湖

2005-10-31 23:20:22 | 旅の写真 国内篇
 安土城を訪ねた後で、滋賀県安土町の西の湖を望む。このあたりは琵琶湖畔で織田信長も眺めたであろう風景だ。
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ペワ湖畔

2005-10-30 21:23:52 | 旅の写真 外国篇
ネパールのポカラにて。ペワ湖に映るヒマラヤの山並みマチャプチャレとアンナプルナ。いつ見ても感動的な風景だ。
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トビオ君

2005-10-30 06:42:44 | 日々の写真
桑原さんがギターを弾いている横のソファーで、じっと聴いているトビオ君。いつもこんな風に、「トビオ」と呼ぶと、目だけギョロと見てそっけない挨拶をする。そして、たまに大きないびきをかくのだ。
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中山観音

2005-10-29 00:26:47 | 旅の写真 国内篇
宝塚中山寺の観音様。昔に撮ったもので、まさか自分が宝塚に住むとは夢にも思っていなかった。冬の空と雲、太陽と樹と観音様。
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八坂神社のおみくじ

2005-10-28 06:38:43 | 日々の写真
 以前は正月になると、数人の弟子を連れて私の師匠の故南口繁一九段のお見舞いに行くのが恒例となっていた。先生は10年あまり病院での生活で、後遺症でお話ができなかったが、帰るときは涙ぐまれて、いつも力の強い手で握手をされた。
 訪れるたびに弟子の数が増えていたが、介護されていた奥様から「森さん、ありがとうね。みんな頑張りや」とお礼を言われるとうれしかった。
 病院を出てから、初詣先が八坂神社だった。
 中学生だった村山聖も連れていったことがある。増田裕司五段や安用寺孝功四段らが、まだ奨励会の頃だ。八坂神社でおみくじを引いて、その一年の健康と健闘を祈願した。

 2,3日前、八坂神社に久しぶりに行った。ここは30数年前に初めて京都に来たときにも訪れた懐かしい神社でもある。
 おみくじを引くことにした。最近あまりいいリズムではなかったが、「大吉」だった。「大吉」はあまり引いた記憶が無かったので、意外だった。
 私は案外ゲンをかつぐし、日々のリズムや波に左右されるタイプだ。震災のときに「凶」を引いたのも印象深い。
 思い当たる節はないが、「大吉」の予兆を信じてみよう・・・
 それとも、亡き師匠がゲンをかつぐように、おまけしてくれたのかなあ。
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長楽寺 森寓

2005-10-26 21:57:46 | 日々の写真
”時雨をいとうから傘の 濡れてもみじの長楽寺”長楽寺のパンフレットに出ていた歌だ。京の情緒が湧き出ている歌だなあと思った。何ともシャイである。
 祇園から数分のところに、静寂な長楽寺がある。時宗の宗祖一遍上人といえば踊念仏だが、諸国を回り、一所不住の旅で説き回ったので「遊行上人」と呼ばれた。

 私の家の裏口(勝手口)の表札も「森寓」とある。写真家の西川孟先生に書いてもらったものだ。意味がわからずお聞きすると、呆れたような、やっぱりと言うような表情をされ「生きているあいだの、仮の住まいということです」
 ただ住居表示の本に「森寓」と書かれていたのには参った。
 その横の西川先生に頂いた苔寺の紅葉の樹も、何とか枯らさないでいる。

 長楽寺は建礼門院(安徳天皇の母)が出家したところでもあり、安徳天皇が入水したときの形見の御衣幡も残されている。ちょうど人形でそのシーンを再現した催しも開かれていた。
 今なお源氏と平家は日本の歴史を彩る物語である。栄華盛衰はローマ帝国に通じる不変のロマンなのだろう。奢る平家は久しからずやというが、現代でも、さほど教訓には生かされていないような気がするのだが・・・。
 観光シーズンの京都を歩いていると、車と人がひしめき合う中で、静寂なお寺のたたずまいがある。
 京都へは人の少ない冬にひとりでよく行った。それでもまだまだ訪れたことの無いお寺もいっぱいあって、また何度訪れても、その都度に違う表情を見せてくれる。
 内面の自分を、鏡に映し出してくれるのかもしれない。それとも、せわしない日常から離れると、自然の風景はきれいに写るのだろうか。
 森寓の表札を見て、崩れそうなバランスを直そうと思うことしきりの日々である。 

 
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喫茶ソワレ

2005-10-25 23:37:11 | 日々の写真
 ほぼ秋晴れの日、京都に行く。阪急河原町で降りて、まず長楽寺に向かい「平成17年 創建1200年 長楽寺 秘仏御開帳」を観る。そこから丸山公園でにしんそばを食べて、妻の指示通りに喫茶店巡りを開始する。初めに河原町三条の「六曜社」地下店に入る。店内はライトアップされていて、きれいだった。コーヒーを飲みながら、自家製のドーナツを注文する。
 二軒目は四条西木屋町の「フランソワ」だが、場所がよくわからない。迷った末にたどり着くと、何のことはない目と鼻の先だった。近くにいかがわしそうな店があったので、その道を通りにくかったのだ。入り口もモダンだったが、店内もシャレていた。メロンソーダを注文する。同窓会らしきおばあさんのグループがかなりな人数で陣取っていて、ちょっと騒がしかった。
 三軒目は四条木屋町の「ソワレ」だ。二階に上がってビックリ仰天、その店内がこの写真の光景だ。
 ロマンチックな蒼の世界で、男がひとりでは絶対に入れないだろう。もし間違えて入ってしまったら?時計を見ながら、恋人を待つ素振りが必要なのだ。
 「ゼリーヨーグルト」を注文する。またビックリ仰天する。赤青黄(信号ではない)紫ピンクなどの華麗なゼリーが、おしゃれなグラスに乗ってきた。
 おいしかったが、ウーンと考え込んでしまった。

 斜め向かいには喫茶「みゅーず」があり、路地に入るとかの有名な純喫茶「クンパルシータ」もある。このあたりは喫茶店の宝庫みたいだ。
 さすがにお腹がパンパンで、三軒で勘弁してもらう。でもなかなか面白い体験をさせてもらった。
 秋の喫茶店巡りの一日だった。
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新宿御苑

2005-10-25 01:01:33 | 旅の写真 国内篇
東京の新宿御苑の秋の風景だ。紅葉が水面に映し出されて、印象派の絵のような雰囲気を醸し出している。
 新宿御苑には、対局で遠征したときだけでなく、用事が無いときでも居残り、昼間の時間つぶしでよく訪れた。ウオークマンでクラシックを聞きながらカメラを持って散策する。贅沢な時間の過ごし方だが、野良ネコ君と似たような生活だったのかもしれない。
 あるとき東京駅の窓口で切符を買っていたら、浮浪者の人に「お前、そんなとこにいるんじゃない」と言われて呆気にとられる。背広にネクタイもしめていたのに。
 丁度兄弟子のT七段にそのシーンを見られて「さすがだね」と妙な感心をされてしまった。もちろん顔見知りでもないのだが、仲間の匂いがしたのだろうか。
 秋も深まり、冬の気配すら感じる日々である。最近は四季のバランスが崩れ、季節感も薄らいでいるが、それでも確実に季節の色彩に出会うことができる。
 
 
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村山聖の駒形のお墓

2005-10-24 00:27:40 | 日々の写真
村山聖のお墓は広島県安芸郡府中町の水分(みくまり)峡にある。村山家から車で数分の距離で、自然に囲まれた静かな場所にある。
 広島に行くとたいてい訪れているが、いつもご両親にお墓まで連れて行ってもらう。お父さんは車を降りてお墓に向かうとき、必ず同じコースを歩くのが癖のようで「これが近道です」。そうでもないといつも思うのだが?誰を案内するときも変わらずに、脇道に入るのだ。
 初めに駒形のお墓の話があったとき、村山家らしくていいなと思った。世間の物差しでなく、ご両親の村山君への一途な愛情の深さが感じられる。
 村山君が棺に入って、最後のお別れのときお母さんは「聖君。つらかっただろうね。」と言って、体をさすってあげていた。私がご両親の涙を見たのはこのときだけだった。その後どんなときも、毅然としてというより何に対しても自然な目線だった。どんな人をも包み込むような暖かさがあるのだろう。
 「お寺のお坊さんにはお布施が要ったのですなあ。うっかりしとりました」お父さんののおおらかさに救われる。
 
 駒形のお墓の表には「大局観 心 村山聖九段 土に還る 平成10年8月8日」と書かれてあり、裏には「座右銘 照葉樹林 昭和44年6月15日生誕」と記されてある。
 テレビや新聞に取り上げられてから、全国からお墓にお参りに来る人もいて、そのつど丁重にお墓に案内されているそうだ。
 村山聖の激しい情念のようなものを見続けてきたせいだろうか、山間の静かな墓地が、逆にいつ訪れても心が休まる場所に思えてくる。
 
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因島夕景

2005-10-23 01:08:30 | 旅の写真 国内篇
ずっと以前、広島県因島に将棋の仕事で行ったときの写真だ。宿泊のホテルの前の海岸で、あまりにも見事な夕景だった。次の日、そこからフェリーで九州に渡ったのか、四国に戻ったのか、記憶が定かでない。
 ちょうどカメラをかついで旅ばかりしていた頃で、時間と暇は山ほどあった。無いのは○○と××である。
 自分は縦形でなく横形の人間で(同じところに住み着くことが無い)将来どうなるのかなあと思っていた時期でもあった。
 九州から北陸、関東、東北などをよく旅していた。仕事がらみで居残ってあちこちというケースもあり、車窓からの風景は今も見続けるのが好きだ。ただ夕暮れどきになり、かすかにともった灯を見ると、何故か寂しい気分になる。
 そんなときは、列車に乗り合わせた人との何でもない会話が、心を和ませてくれるのだ。寂しさを味わうことは、人の温もりを感じることでもあった。
 目の前の風景が心になじむのは、そんなときだった。
 この写真の夕景は、悲しいくらいに美しかった。
 
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故郷の埋立地

2005-10-21 23:15:55 | 旅の写真 国内篇
私は四国の愛媛県四国中央市というところで生まれた。以前までは伊予三島市で、よく島ですかと言われたり、静岡県の三島市とも間違われた。ちょうど瀬戸内海に面する、四国の真ん中あたりではある。
 目の前に瀬戸内海の燧灘がありすぐ後ろが山だったので、海山空に囲まれて育ったようなものだ。夜の海にかすかに遠く、本州が見えることもあった。中学3年のときに、海岸べりの市営住宅に引っ越して、毎日海辺で犬の散歩をしていた。毎日波の音を聞きながら暮らしていたのだった。今は埋め立てで、海からは離れてしまい、住宅や病院が立っている。
 
 この写真は20年前くらいの、家の近くの埋め立て地だ。まだ海を埋め立ててから完全に海水が引かない状態のときで、ところどころに池も出来ていた。風景が壊されたようで初めはショックだったが、これも現実である。
 このとき帰省して埋立地を散歩しながら、かっての海の風景を懐かしむ気持ちと、年を取ると言うのは、見たくないものまで見てしまうものなのかと思った。
 風景は記憶なのだ。記憶はほとんどが消え去るものだが、心に残る風景は消えることが無いだろう。でも現実もまた受け入れないといけない。
 生きていくというのは、清濁併せ呑むことでもあるのだろう。たくましさとは、めげない精神でもあるのだ。
 でも、このときの埋め立てた海の痛々しさは、忘れないだろうなと思う。

 
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だんじり

2005-10-20 22:39:12 | 日々の写真
秋は祭りのシーズンだ。家に居ても、だんじりの太鼓とエーイヤリャという掛け声が聞こえてくると、ついつい飛び出して見に行く。
 この写真は家の近所で、だんじりが踏み切りを渡っていくところだ。だんじりは正式には売布(めふ)神社、八阪神社の秋季例祭で、奉納行事として無形文化財の「地車曳行」と言うものだ。郷土色豊かなお祭りである。
 昨晩は子どもだんじりで、今日は青年團が中心だ。毎年この時期に開催され、年によっては寒さも厳しく見物客も少ないが、今年は多かった。
 巡行地と時間がかなり正確に決まっているが、踏み切りを渡るときは慎重で神経質に、駅員や警察の人が時間調整をしている。
 幼心に残っている記憶では、祭りのとき、酒のにおいをぷんぷんいわした大人が多くて、荒かった。警察沙汰になる喧嘩もしょっちゅうで、恐い印象があった。私が酒乱が大嫌いなのは、この頃の体験が大きいような気がする。
 今は健全で、その分おとなしい雰囲気だが、やっぱり祭りはそわそわ浮き浮き気分になる。
 秋も深まり、そろそろ冬支度の季節となった。
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岡町の白ネコ

2005-10-19 20:45:02 | 日々の写真
岡町の神社の前にいたネコ。近くの商店街のお豆腐屋さんのネコかと思う。あまり愛想が良くなくて、ちょうど鳥居の正面に座ったところをパシャリ。
 背景が白いので、この白ネコ君も存在感が薄くなってしまった。
 岡町は何度来ても面白いところで、路地や商店街、裏通りを散策しても飽きない。かなり由緒ある土地なのだろう。

 今日はHPで大ミスをして、結局、表紙のページを作り直すハメになった。もともとは「新着フォト」のページが多くなったので、新しいページを作成しようとしたのが発端だった。作成したのはいいが、何故かそれがトップページになってしまい、HPビルダーで表紙を送り直そうとすると、転送不可になった。プロバイダーに問い合わせても、問題なしの返答。あれこれいじっているうちに、元のページも消えてしまう。(これがいつもの失敗パターンだ)
 がっかりして難問?に挑むが、うまくいかない。結局、表紙のページから作り直すハメになってしまった。この間、数時間を費やす。
 どうせなら表紙を新しくと思ったが、また失敗しそうで止めた。
 ワードもエクセルもHPもブログも、私は生半可な知識しかないので、いつも苦戦することが多い。そんなときはムカッときて、強引に力任せで直して来た。
 だから何度も同じ失敗を繰り返すのだ。山登りなら全ルートを歩いて、ようやく近道にたどりつくのだが、また同じ山を登るとき、全ルートを歩くようなものだ。
 この無駄な集中力を他に生かしたほうがいいのになあ。
 
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お風呂屋さんの煙突

2005-10-19 00:02:45 | 日々の写真
最近は街の銭湯の煙突が少なくなった。下町の象徴でもあるお風呂屋さんの煙突は、地理的にも目印になるし情緒あふれる存在だ。今でも下町を散策していて銭湯の煙突が見えると、必ず見に行きたくなる。
 銭湯のお湯はたいてい熱すぎるくらいの印象があり、湯船に入れるときの初めの一足が大変だ。
 子どもの頃から銭湯にはなじみがあって、のれんをくぐって番台を通るときの心地よさは何ともいい気分だ。幼い頃に母親に連れられて女風呂に入っていた時期を過ぎて、ひとりで男風呂に入るようになると、妙に大人びたつもりになったりしたものだ。ただし、隣を見ると刺青のおじさんがいたりしてドキッとすることもあった。
 湯船にはたいてい銭湯の主のようなおじさんがいて、大きく反響する声で浪曲をうなったり、雑談をしていた。聞こえてくる会話に聞き耳をたてて、子ども心に大人の世界をのぞき見る気もしていた。
 湯船から出るとき、熱さを我慢するために、一から二百位までの数字を頭の中で数え終わってから一気に飛び出す。湯上りのラムネが楽しみでもあった。

 この写真は、豊中市南桜塚界隈を散策しているときに出会った「延命湯」というお風呂屋さんの煙突だ。裏に回ると古い家並みがあったが、三軒並んで無人の家で、もうすぐ取り壊しそうな建物が残っていた。
 古き時代の面影を残していたが、それも命運尽きたかのように、哀しそうな風景でもあった。自分が年を取っていることを忘れそうになるが、大事な心の風景が、ここでも消えていくのかと思うと、胸がいっぱいになる。
 私は情緒がすべての人間なのかなと思う。写真を撮るのは、古き良き時代を写し取りたい一心なのかもしれない。
 
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柘榴

2005-10-17 20:54:45 | 日々の写真
玄関の庭先にある柘榴が今年も熟れてきた。ぽっかり割れて赤い実が飛び出しそうだ。毎日、柘榴を見ながら季節に触れ合うように、暮らしている。
 雨の日は曇った空、晴れの日は青い空、夜は星を見ながら常に柘榴の木を見上げている。実が大きくなって、ある日ぽっかり柘榴が割れた。
 
 NHKのクローズアップ現代で「譲れぬ一局、最強アマの挑戦」を見た。瀬川昌司さんのプロ編入試験を取り上げたものだ。
 最近はあまりテレビを見なくなったので、夕刊を見て知った。将棋人口が年々減少していること、また経営への危機感から、将棋連盟が改革の一手としての打開策でもあり、注目を浴びることのプラス面が大きいという趣旨だったと思う。
 世間に注目されるということの意味は、いろいろある。要はそれも含めて将棋界をビジネスライクから見ての改革への流れだと思う。
 棋士や将棋界が、また将棋というゲームが今後どういう方向に向かって進んでいくのか、先は見えないが、変わりつつあるのだけは間違いない。
 私は自分の背丈でしか物を言えないが、棋士の存在価値を問われたとき、自分自身のことは全く自信が無いが、将棋の強さと人間の魅力と思う。
 時代の趨勢で保守的な考えでは置いてきぼりにされてしまうのだろうが、かといって世間に注目をあびればいいだけでも無いと思う。確かなビジョン、大局観が大事だろう。
 改革や普及という言葉には、どうも苦手なものを感じる。注目を浴びた瀬川さんも、これから受かってからがむしろ大変だろう。棋士になったら、ピエロにならないように頑張ってほしい。
 将棋の根底にある純粋なものは、本来ビジネスには向かないものだ。それはプラスアルファの世界で成り立っていた甘えの構造であったのには違いない。
 その自覚、危機感を持つのが遅すぎた感があるが、ただ、ビジネスとは本来非情なものでもある。それを前提の上での意識ならいいのだが。
 自問自答すれば、自分の背丈で生きていくしかないと腹をくくるしかないと思っている。
 
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