森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

川西のネコ

2005-07-31 21:29:10 | 動物と花
 川西の古い町並みを歩いているとき、ふっとネコに出会う。野良でないので、じっとこちらを見て、逃げ出す素振りはないが、あまり近づくと警戒させてしまう。
 ネコの写真を撮るときいちばん気を使うのが、このネコ距離だ。人が近づくと逃げ出す間合いといってよい。ネコがいる街は人も住みやすい、これは私の勝手な持論である。食べ物があって優しい人がいるのが、ネコの住む条件だからである。
 ネコの集会場というのも実際あるらしい。深夜にネコが集まって、情報収集する場所なのだ。この写真はいつもの一眼レフならもっと大きく撮れたのだが、デジカメ操作の情報収集不足か、少々不満な写りとなってしまった。
 ネコは風景のなかに溶け込んで、いつでも絵のなかで存在感がある。
 
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籠坊温泉の猪

2005-07-31 07:50:22 | 動物と花
 ある山中の喫茶店で食事していたら、店の向かいのバス亭の奥の雑木林に子どもの猪が二頭見えた。目の錯覚だろうと思ったが。間違いなく猪だ。じっと見ていると喫茶店の人が「猪なのですよ。親が死んじゃって、餌をやったらなついちゃってね、昼ごろになると出てきます」知っているハイカーの人もいるが「絶対に雑木林でしか餌をやらないようにお願いしています」道路に出ると、車に轢かれてしまうからだ。この雑木林は夜になると、キツネやタヌキも出るらしい。
 写真の猪は籠坊温泉の川のそばの檻に入っていた。見るからに野生で落ち着きが無いが、カメラを向けると、檻の外に鼻息あらく寄ってくる。ウロウロするのでピントが定まらない。以前はいなかったので、つい最近捕獲されたのだろう。背中の毛が落ちて百戦練磨の雰囲気を漂わせながらも、人懐っこさもある。外に出たくてしょうがないのだろうか、隙あらばの表情だ。
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太陽の塔

2005-07-30 07:26:07 | 日々の写真
稽古にいくのに、いつもは阪急電車で大阪に出て環状線に乗り換え京橋、そこから京阪電車で門真の方に行くのだが、コースを変えて見た。阪急蛍池から大阪モノレールで門真に行くコースだ。料金が割高で時間は変わらないのだが、このコースだと万博公園で「太陽の塔」が見られる。下で並行して走っている高速は、渋滞気味だ。万博公園が近づくと、太陽の塔の顔の部分が見えてきた。「あっ、太陽の塔だ」子どもが声を出す。夏休みで空港からモノレールに乗ってきたようだ。
 岡本太郎の太陽の塔は、今も強烈な存在感がある。当時、私は高校を卒業して伊丹のある会社に就職していて、万博へは何度か足を運んだ。そのときは、変な顔をした塔だなの印象しかなかったが、年を経るごとに、岡本太郎の睨んだ表情とともにウーンと感嘆する。未来を見据えたおおらかな造形に愛嬌のある顔、まさに太陽の塔だ。でも年月を経て、この塔は今の時代をどう見ているのだろうか。
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五月山公園の鹿

2005-07-29 00:21:38 | 動物と花
昔初めて一眼レフのカメラを買ったとき、奈良の二月堂に写真を撮りに行った。夕暮れるころ、一頭の鹿と目が合う。一瞬の間合いだったが、呼吸が一致するというのだろうか、鹿と話をしたような気分になれた。その写真は大きく伸ばして、震災のときまでずっと額に入れて飾っていた。
 この写真は、大阪府池田市の五月山公園にある小さな動物園の鹿だ。もちろん奈良公園とは違って、斜面越しに金網の柵がしてある。ファミリーのいい雰囲気で、おっとりしているのが特徴の鹿さんたちである。
 カメラを向けると、「何やっているの?」とすぐに寄って来るのでなかなか撮らしてくれない。鹿は遠くに目をやり、首を傾げたときがとっても可愛いい。
  
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立葵

2005-07-28 00:56:14 | 動物と花
 以前、中国のシルクロードを旅しているとき、立葵の写真を撮っていると、写真好きの人が私のカメラのファインダーをのぞいて、ヘンハオと誉めてくれた。それからこっちに来いと誘われて、イスラムの寺院に案内してもらった。
 夏に中国を旅しているとあちこちで見受けられる花で、それもそのはず、中国原産の立葵(たちあおい)だからだ。国内でも暑い盛りにうろうろしていると、カンカン照りの太陽に向かって、一服の清涼剤のように家の庭先で咲いている。古くに薬用として渡来して、平安時代は唐葵と呼ばれていたそうだ。ピンク以外に白や赤の花がある。花言葉は「威厳、大望、野心」など。
 
 
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ホクシアの花

2005-07-26 19:45:53 | 動物と花
 赤やピンク、紫のスカートをはいた人形のような、バレリーナが踊っている姿を連想させる花だ。原産地メキシコで、熱帯育ちの派手な色彩は、目を奪われる。花言葉は南の国の熱情そのもので「激しい心」
 もちろん私はこの花の名前を知っているはずが無い。妻に聞くと「ホクシアでフクシアとも言うかな」と即答された。高温多湿な日本の夏は要注意で、冷涼な気候を好むらしい。あるお寺の境内に咲いていたこの花を見て、唖然としながら見とれてしまった。色彩は気分によって、好みが移る。元気の無いときは原色がいいのだろう。鮮やかな色彩の、自分に縁の無い世界に出くわして、ちょっぴり元気を授けてもらったかなと思う。
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カメと鯉

2005-07-26 01:17:40 | 動物と花
以前、家でミドリガメを飼っていた。正式にはアカミミガメというらしい。庭に池が無かったので水槽を使っていたが、中に入れた三段のレンガに上がってよく甲羅干しをしていた。そして狭い水槽ながら泳ぐ格好でちょっぴり可愛そうだった。
 もともと小さなときにもらったカメだが、大きく育ったのだ。夏になるとたらいに水を入れ、逃げ出さないように上に網をかぶせていた。本当は自然に戻してやりたかったのだが、生態系の問題もあった。イギリスから家に遊びに来ていた将棋の客人のトニーホスキンも、自然に返した方がいいと(もちろん英語だが)帰国してからもひつこく言って来た。ある日、カメオ(我が家で名付けた)がたらいの網を越えて逃走して居なくなっていた。カメは以外に足が速いので、近くを探したが見つからない。さみしくなったが、結果的によかったのかなあとも考えた。
 カメ達が甲羅干しの横を、鯉が悠々と泳いで行くシーンの写真だ。
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能勢の大けやきのアオバズク

2005-07-24 23:42:21 | 動物と花
 能勢の大けやきにアオバズクが来るのは毎年7月下旬あたりだそうだ。古木の幹の中でヒナを育て、巣立つまでの1週間くらいを過ごす。私が初めてアオバズクを見たのは3年前で、偶然その時期に能勢に来ていて出くわしたのだ。
 望遠レンズでなくデジカメで撮っているので、本来無理なのだが何とか画面に写っている。左が親で左上の毛が白っぽいのが子どものアオバズクだ。目を凝らすと肉眼でもはっきり見えるのだが、本来夜行性なのに、ヒナを守るために昼間も枝で監視している。アオバズクの親子に会いに、各地からカメラマンもやって来る。昨年は台風が多くて、それでも能勢に行ったが結局アオバズクに会えなかった。
 大けやきにアオバズクが来る季節になると、無性に会いたくなる。来年も元気な親子の姿を見たいなあと思う。
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能勢町長谷の棚田

2005-07-23 23:35:49 | 日々の写真
 府民牧場から車で10分くらい奥のところに、長谷(ながたに)の棚田がある。ある日、初めからの目的地ではなかったが、いつもの私のヤマ勘で(いい加減なのだが)そのあたりの風景にピンとくるものがあったのだ。途中で狭い道に入り恐々進むと、きつい斜面に棚田の風景が広がっていた。この棚田は専業農家の人でなく、一般の人の希望者で田植えから稲刈りまでしているという立て札があった。それからときどき訪れたくなり、四季折々の棚田の風景を見に行っている。棚田は急斜面を利用しているが、人の労力と知恵と美しい風土の象徴のようだ。でもいちばん下から上まで歩いて登るのはきつくて、いつも車で見晴らしの良い上まで登ってしまう。
 写真を撮るときも、歩いて汗を掻いて苦労しないとダメなのだけどなあ。
 
 
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大阪府民牧場のヒツジ

2005-07-22 20:39:33 | 動物と花
 ヤギは厳しい環境でも平気なせいか気性が激しいが、ヒツジたちは温和だ。たいてい群れになって、そろりそろり静かに動く。府民牧場のヒツジたちは人馴れしているせいか、餌を見せない限りペースを崩さない。草をむしばむヒツジたちの中で、なぜか柵から首を出しているのがいた。
 人間社会なら、隣の芝生は青く見える心境だろうか。キリンのように首が長く伸びた。
 餌箱で買って持っていた餌をヒツジにと思ってポケットから出すと、大きなヒツジがねだってくる。その迫力に負けて、一粒が三粒に、そして前足で乗っかって来られる。もともと私は動物に(人間にも?)甘く見られる性質である。まいったと餌を投げ出し、退散する。か弱きヒツジよりもか弱いのかなあ。
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京都 祇園

2005-07-21 22:55:22 | 旅の写真 国内篇
 京阪四条で降りて、川端通りから白川南通りの風景だったと思う。川沿いに祇園の御茶屋さんが並んでいる。いかにも京都らしい風情のある場所だ。このシーンだけを切り取れば、昔そのものの時代設定ではなかろうか。時代によって人の暮らしや心持はそんなに変わらない筈だ。何かを壊し便利になることが現代風だとしたら、これほどつまらない感性はない。目に見えない過去の人の息使いを感じさせる風景と思えるのは、単なる錯覚なのだろうか。
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夏のアジサイ

2005-07-20 21:07:39 | 動物と花
 真夏日が続く。連日の将棋大会の運営やらで、持病の腰がちょっと重い。今日はひと仕事終えたら写真を撮りに行こうと思っていたが、中止にして昼寝をする。中国のシルクロードを旅したときを思い出したが、昼間はとにかく寝る一手しかなくて、その代わり朝晩が活動の時間となる。
 日本と違って街中は店も閉まり、昼間は人っ子ひとり居ないのだ。原稿の仕事ははかどらないが、ホームページにブログで「日々詰将棋」を入れ、あまり書く人もいないが「日々あれこれの掲示板」も作った。遊びのことなら暑くとも平気なのには困ってしまう。
 近所のアジサイはまだまだ元気だ。青色はさわやかで、夏のオアシスの色である。
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大阪の下町を歩く

2005-07-19 22:32:30 | 日々の写真
 車で真っ直ぐ進むと家にぶつかりそうだ。よく見ると少しカーブした道の行く手が二つに分かれている。JAFのドライバーへの問題に出てきそうな光景「あなたは何に注意しますか?」
 私は下町を歩くのが好きだ。初めての道を歩き、途中で路地に入る。どんな光景が待っているのかワクワクする。今日はネクタイをしているから、不審人物には見られないだろう。危険そうなときはあえてカメラを手に持ち、道行く人にさりげなく挨拶する。
 下町の光景、例えば家の前にすだれがあって、朝顔の支柱、古い自転車、ステテコ姿のおじさんなどが揃っているシーンを連想する。子どもの頃の既視感かもしれない。そういった下町が消えてマンションに変わっていくのは時代の流れなのだろう。
 この二つ道の行く手には、きっと過去の懐かしい風景が見られるに違いない。
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ピピアめふ団体戦

2005-07-18 23:41:22 | 将棋あれこれ
 第2回ピピアめふ団体戦(兵庫県宝塚市売布)があった。イベントを開催するとき、参加人数が気になるが、今回は子どもの部が28組、一般の部が16組(定員は3人一組で各16組)と盛況だった。主催者としては人数が多いと今度は運営が心配になるが、何とか無難にこなせたようだ。
 予選でクラス分けの方法を取っているが、どんなシステムがいいのか毎回考えてしまう。
 強い者だけが主役でなく、弱くとも楽しめる大会にと思っているのだが、参加者はどうだっただろう。イベントは少々の問題点があっても、継続は力なりである。終わって、まずはほっとした。
 
 同じ日に「瀬川晶司さんのプロ編入試験第1局」があった。○佐藤天彦三段vs瀬川晶司●
 NHKのニュースでも流れたようだが、以前「そんなに大きなニュースなのですか?」とファンの人に質問されたことがある。私は奨励会員の弟子をいっぱい預かっているので、正直複雑な心境である。話題性はあっても、プロ組織や奨励会制度の長期ビジョンを描いての一貫ならいいのだがと一抹の危惧を抱く。将棋界の話題が瀬川さんがトップニュースではさみしい。
 
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ひまわりの季節

2005-07-16 23:02:43 | 動物と花
 梅雨明け宣言はないが、真夏日である。古めかしい街を歩いていると、ひまわりに出会った。ひまわりはどこにいても、どんな環境でも太陽に向かって咲いていく花で、明るさ、陽気さの象徴みたいだ。でも映画「ひまわり」で、一面の広大なひまわり畑に物悲しくも切なく美しいメロディーが流れるシーンは、いつ見ても心の奥に響くものがある。
 誰も悪人はいないのに、戦争という過酷な運命が悲劇を生む。いや悲劇でなく、人間の宿命の選択はすべて哀しいものなのかもしれない。あえて戦争批判をしていないストーリーが、無言の悲しみ、怒りを表現しているような気がする。
 何も言わないでじっと耐える、そんな大人の時代はもう来ないのだろうか。
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