森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

園田競馬

2011-08-31 10:11:05 | 競馬
 競馬は園田もJRAもずっと負けてばかりいたのだが、ここしばらくは3連複に徹して、何となく手ごたえがつかめてきた?
 何でもそうだが、ひとつのパターンを変えないでいくのが大切なのかもしれない。負けが混むとついつい熱くなるものなのだ・・
 そういう意味で日々の暮らしも、人生の歳月も、変えないもの、変わらないものを持ち続けるのはえらいことなのだ・・
 変わらないものをみるとほっとさせられる・・偉くなっても偉くならなくても変わったらいけないものもあるはずだ・・
 
 
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ポプラのランチ

2011-08-30 09:48:27 | 日々の写真
 加古川にあるレストランハウス「ポプラ」のCランチだが、トンカツやカラアゲ、コロッケのオカズの大きさもそうだが、ご飯の量にビックリ!
 私の一週間分はあった。がんばって食べたがそれでも5分の1だった・・
 初めに断っておけばよかったそうなのだが、持って来てもらったご飯を観て圧倒されて声もでなかったのである。
 すごい量だった・・完敗だ。
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滝とダルマ

2011-08-27 08:04:15 | 日々の写真
 転んでも 滝に打たれて 修業かな
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金太郎 網を咥える

2011-08-25 22:54:29 | ヨウムの金太郎
 金太郎が咥えている網は、金太郎の餌を掃除するときに使っているものだ。食べかすの餌を選別して残すための作業だが、これも私の日課である。
 その網を金太郎が咥えて遊んでいる。この後は落として私が拾う。そしてまた落とす。また拾う。そうやって遊んでやるのだ。金太郎はキックもうまくなって、狙い通りの場所に落とせるようになっていた。
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勝運ダルマ

2011-08-24 09:34:50 | 日々の写真
 奨励会試験が始まって、恒例の様に勝尾寺に行った。そこでこの勝運ダルマに祈願する。もっとも勝運ダルマは転んでも起き上がる意味も兼ねているのだ。
 へばりついても起き上がる・・私は死んでも離さない噛み癖があるが?気持ちの上では未熟で激しいものを常に抱えている気もする。
 
 無念さを抱えてにらむダルマかな

 未熟なり・・まだまだこういう境地である?
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第10期怪童戦

2011-08-22 18:30:22 | 将棋あれこれ
 第10期村山聖杯「将棋怪童戦」の決勝戦である。舞台上での対局で、解説は増田裕司六段と安用寺孝功六段だ。
 熱戦の末に森本才跳君が(小学校高学年優勝)石井紀彦君(中学校の部優勝)を破り優勝した。この大会は高校生、中学生、小学生高学年、低学年の部の優勝者がさらに本戦で怪童を決めるのが特徴だ。
 10回の節目だったので、山崎七段、片上六段、糸谷五段、増田六段、安用寺六段と私も出席した。私は開会式の中で記念講演を引き受けていた。
 めまぐるしい世の中でイベントの継続は大変であるが、これからもずっと続いてほしい・・今度は第20期怪童戦に出席したい?!
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2007,8,31 トビオと源さん

2011-08-20 08:13:24 | 源さん
 トビオが居眠りしている前に源さんがいる。懐かしい・・私の古い詰め将棋ノートと将棋盤ももえる。これが当たり前の光景だった。
 トビオは今はほとんど毎日が居眠りの暮らしである。源さんがいなくなったのも、金太郎がいるのもあまり知らないのである・・
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旅の仙人写真館より

2011-08-19 08:18:20 | 旅の仙人写真館
旅の仙人、水津英夫さんの写真集から・・

何も持たないで修業する行者サドゥーである。
人は余計に持っているものの重みで?崩れるのだろうか。
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麗江 馬の写真

2011-08-18 07:40:31 | 旅の写真 外国篇
 中国の麗江に行ったときの写真で、街中を馬が歩いている・・私の子どものころは日本でもときどきこういう風景が見られたものだ。
 暮らしの中のいい風景は、便利になるほど壊れていく・・何がいいとか悪いでなくて、人の心に影響されるものかもしれない。
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中国の三江にて

2011-08-15 10:29:22 | 旅の写真 外国篇
 中国、雲南の三江に「風雨橋」への旅のひとコマである。映画に出てきそうなシーンだが、こういう旅をまたしたいなあと思う・・
 人間の暮らしは環境によって異なるが、素朴なものを失ってはいけない・・そう思うのだが、現実は大人の社会の影響を受けるのが子どもたちでもある。
 貧しさと豊かさの天秤は幸福感とは別のものだが、やさしさや暖かさの天秤はどこの国もどこの人間も変わりないと思う・・その思いも次第に胸にしまっておくよりない社会になっているのかもしれない・・
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馬車 大理の旅

2011-08-14 08:45:25 | 旅の写真 外国篇
 以前は夏休みになると家族で中国に旅をしていた。この写真は雲南の大理に行ったときに、駅かから馬車にのったときの一枚だ。荷物が重かったので、馬がかわいそうで、でこぼこ道ではときどき人間が降りたりしていた。
 しかしホテルに着いた途端、約束の運賃に上乗せを請求されて、現実に戻る。この手の交渉は外国の旅にはつきものだ。
 約束違反は認めないように、それでもさりげなく馬に支払うと妥協して、間を取って?支払った。こういうときに面倒だからスンナリ支払うのも、すべて無視するのもよくないように、私は思う。インドなどでもそうだが、こうやってウンザリしながらも鍛えられていく?
 
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 風景から 能登

2011-08-13 07:54:19 | 旅の写真 国内篇
 この写真を撮った頃は、写真が好きになってあちこちひとりで旅をしていた。このススキの写真は能登なのだが、とっても印象に残っている。
 何かにのめりこむのは、どうでもいいことから開放される面もあるのかもしれない。そしてささやかな自分の世界を得るのだろう。私の場合は人から遠ざかりながら、人のぬくもりを求めている気もする。そういう矛盾がどこにもある。
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村山聖 大阪城にて

2011-08-12 08:41:46 | 村山聖
 この日撮った写真はいっぱいあって、似たようなカットなのだが微妙に表情が違う。村山聖の人間性の深さだろうか?
 今も弟子に対して、案外、私は言いたいこともほとんど言わないことが多い・・できるなら爆発したくないのと、暴発になる恐れもあるからだろうか?お互いにプラスになるようにしたいからである。自己満足は意味がないのである・・
 見守るという言葉には幅があって、逃げ腰の面と許容範囲の広さの面、そして秘かな期待もあるのだ・・しかし弟子に限らず(自分も含めて)たいてい裏切られてしまうのも現実だろうか・・
 やはりときどき村山聖に無性に会いたくなる・・いやがられるかなあ・・
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2,008年8月8日村山聖のお墓参り

2011-08-11 07:59:34 | 村山聖
 この日は村山聖九段の命日で、弟子全員でお墓参りに行った。2008年8月8日だったが、実はチビはこの前日に我が家に引き取ったのだ。
 それも何かの縁のような気がしている・・
 なかなか全員そろっていくのは大変だが、またお参りに行きたいと思う・・
 私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、やりきれなさ、口惜しさ・・その思いをすべて、黙って将棋にぶつけていたような気がする・・
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イスに座る金太郎

2011-08-08 08:42:12 | ヨウムの金太郎
 金太郎が普段私が座っているイスに、真似て座っている。偶然ではなくて、かなり意識しているようである。
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