森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

ストリートライブ

2009-04-30 22:04:26 | 日々の写真
 宝塚の駅前広場で見かけたストリートライブである。以前に同じ場所で桑原しんいちさんもライブをしたところだ。今日は晴れてはいたが、風が冷たくて立ち止まる人も少なかった。南米の音楽をしばらく聞いていたが、花の道に向かう。
 祝賀会用の景品のためだが(遅くてギリギリ)あいにく歌劇場が休みで花の道界隈の店もほとんど閉まっていた。ますますあせるのだった・・
 帰りにまた広場を通ると、ストリートライブは休憩中だった。
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レンゲ畑

2009-04-30 06:31:06 | 日々の写真
 子どもの頃ならどこででも見かけたれんげ畑だが、最近では珍しい風景だ。レンゲ畑は米を育てるときに、肥料にもなるし、ミツバチなどの蜜の採集にもなる。レンゲに囲まれ寝転がって撮った風景だが、気持ちがよかった。
 この後は枯れそうになる頃に、土と一緒にトラクターで耕すそうである。こんな風景が全国で見られるようになればいいのになあと思うのだった・・
 レンゲは寝転がると一時はしおれるけれど、翌日にはすぐに元に戻ってしゃきっとするそうだ。たくましい花でもあるのだ。
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竹の子

2009-04-28 21:26:38 | 日々の写真
 数日前に京都府京丹波市の(旧瑞穂町)姜さんから「竹の子を採りましょう」と電話があった。さっそく今日、竹の子に会いに行った?
 「竹薮は危ないから、採った竹の子を投げますから拾って下さい」竹の子を引っこ抜くのは案外難しいそうだ。「道に生えている竹の子は採らないとすぐに成長してしまいます。その勢いは凄いですよ」
 姜さんからいただいた竹の子はこんなにあった。竹の子を包んでいる皮は、まるで動物の毛皮のようである。そして幾何学的な模様はきれいだった。
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来客あり

2009-04-28 00:03:17 | 日々の写真
 今日はふたり来客があった。ひとりはF君で、もうひとりがこの写真のO崎さんである。F君が残念ながら先に帰った後で、三人で明月記に行くことにした。
 O崎さんとも久し振りだが、明月記も久し振りだった。ここは駅に迎えに来てくれるので、お酒が飲めるのがいい。
 水津さんの話をしながらの夜景も食事もおいしかった。
 
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一門研究会

2009-04-26 21:47:33 | 日々の写真
 昨日は受験者対象の土曜研究会だったが、今日は奨励会員主体の「森一門研究会」だった。私は午前中は伊丹日曜コースだったので、進行も弟子に任せている。
 今日は弟子の個人懇談も兼ねて開いたが、これでほぼ全員に面談した。あれこれ考えてモヤモヤしていたものを話したので少しスッキリした。後は知らない・・自分のことは自分で道を切り開くしかないのである。
 そもそもうまくいかないことの方が多い世界だから、心配してもキリがないのである。表向きや結果だけをみることよりも、日々の地道な精進の量だろうか。
 ひたむきに将棋に向き合ってほしいと願うばかりである。
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街の鳩

2009-04-25 23:06:55 | 日々の写真
 高速バス乗り場まで母を見送りに神戸まで行く。その帰りの歩道のところに数羽の鳩がいた。鳩といえば源さんを思い出すので、私にとっては身近な存在なのである。都会の鳩はどちらかいうと嫌われ気味である。「鳩に餌を与えないで下さい」の看板もよく目にする。そんな中でも鳩はたくましく在るのだ。
 鳥はもろい。以前公園でカラスか何かに襲われた鳩がいて、少し血を流したかと思うと、すぐにあっけなく死んでしまった。ショックだった。源さんが亡くなるときも、私の手の中で息を引き取ったが、からだのぬくもりがあって、死が信じられなかった。そんなことを思い出した。
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ご対面

2009-04-24 20:42:36 | 日々の写真
 チビが我が家に来たのは昨年の8月7日である。次の日に一門でバスで広島に行ったのでよく覚えているのだ。母とチビはそれ以来のご対面である。
 チビは初めは面喰らっているようで、思い出せなかったみたいだ。でもじっと見ているうちに思い出したような気がした。チビの飼い主のおじいさんは亡くなったのだが、もちろんチビは知らない。窓の外から部屋を覗くにくるチビに「チビ!」と声をかけるがさっと行ってしまう。でも心なしか母が来てからその回数が増えた気もする。動物は言葉に出さないが、その分伝えようとする気持ちは深いのかもしれない。それともあっさりタイプのチビはおやつほしさに夢中かな?
 けなげなチビの姿である。
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花のじゅうたん

2009-04-24 06:43:35 | 動物と花
三田市の永沢寺にある「花のじゅうたん」は、地面を芝桜で多いつくされ壮観な景色?が広がっている。花言葉は「合意の愛にもえる」で、ひとつの花は小さいけれど、力強くその花を殖やし続ける、という意味が秘められているそうだ。
 平日で肌寒い天候だったが、思った以上に人手があって驚いた。
 今が盛りの花のじゅうたんだったようだ。
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くろんど池のアヒル

2009-04-22 21:18:42 | 日々の写真
 愛媛の母が近所の仲良しグループのメンバーと一緒に、S村さん宅にお世話になった。今日は宝塚に母を迎えに行ったのだが、そこでこのくろんど池を教えてもらってメンバーの三名と妻と一緒にドライブに出かけた。ちょうどアヒルがいっぱいいて、こんな風にのんびりした風景が見られた。S村さん宅は枚方市だがこのあたりは生駒市で、隣はすでに京都府になるらしい。
 「いい思い出になったねえ」いい天気でよかった・・
 
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小屋の中のチビ

2009-04-21 22:52:43 | 日々の写真
 最近チビは小屋の中にいることが多くなった。まだ夜は寒いときもあるので毛布を敷いているのだが、「チビ!」と呼んでも面倒くさがって出て来ないこともある。かと思うと朝ははしゃぎまわって「遊ぼうよ」の姿勢を取るのだ。遊ぼうよと言われても体が大きいので、口をあけられると実は怖かったのだが?ようやくわかってきた。チビは意外に抜け目のないところもあって、隣の人が出てくるとさっと流し目を送っているようでもある。
 小屋の中から振り返るチビだが、可愛い。
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源さんと花

2009-04-20 23:30:17 | 日々の写真
 2007年4月15日の源さんである。その日に一枚も撮っていないとき昔の写真を見直すのだが、日記代わりでもあるので便利がいい。そのときに掲載していないのもあって、新鮮でもある。
 源さんの写真を見たくなるときは、心身の調子はよくないことが多い。原因は小さな旅不足のようである。人間界にずっといると、ストレスがたまる。いかに自分が源さんの存在に癒されていたのか、今になって心にしみてくる・・
 生きていくのに理屈は3割くらいで、後は不可解の中で葛藤があって妥協があって、未練があって、諦念があって、執着がある。7割はモヤモヤの中の感情で生きているような気がする。
 源さんは明快だった。世の中で唯一私が相棒だったのだが、幸せだったのか不幸だったのか、源さんに尋ねてみたい・・
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山羊のメリー

2009-04-19 22:50:08 | 日々の写真
 2007年4月6日の写真で、山羊のメリーである。モグモグ草をついばみ、関心があるのかないのかわからない?人への接し方である。とにかく朝から晩まで食べ続けるのだが、食いしん坊というよりも、山羊の胃がそういう構造らしいのだ。
 この後で三田の永沢寺の水芭蕉を観に行っている。今年はこういう小さな旅ができない日々である。犬や猫やウサギや山羊や馬やヒツジに囲まれて暮らす・・
 今もいろいろと飼いたいのだが、動物とばかりいると人間がよけいに面倒になりそうで危ないのである・・
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詰め将棋と源さん

2009-04-18 22:25:58 | 日々の写真
 2007年8月27日、ルンルン撮影である。私が詰め将棋を作り始めると、まず源さんが必ずやってきて、将棋盤の上にあがって盤面を崩した。その内にトビオもやってきて、同じ様に将棋盤の上を通り抜けてガチャガチャと盤面を崩すのだった。それからこの写真のようなスタイルで、崩されないように私は再度の仕事に取り掛かるのである。
 ほぼ毎日、この写真のシーンだった。源さんがいなくなった今となってはとっても懐かしい写真である。源さんは鳩なのだが、私には同じ仲間としか思えなかった。
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トビオのおめかし

2009-04-17 22:22:18 | 日々の写真
 今日、ペットショップに行ったとき、服がバーゲンだったので買う。トビオは寒がりで、ストーブがあると焼け焦げるくらいそばに寄っている。ストーブを消すと今度は人間のそばにきてくっつくのである。もう春なのだが、朝晩は冷え込むこともあり、まだ服が必要のようだ。ごっつい顔のトビオゆえに可愛い服が似あうとの目論見だったが、どうも無理のようである・・
 チビが少しダイエットして、クロも少し体重が減った。トビオはいくら食べても体型が変わらない。生まれたときから、おっさんのパグなのである。
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日記帳

2009-04-16 22:47:35 | 村山聖
数年前の宝塚での「聖の青春」劇団コーロの公演の前に、村山君のご両親が来られてイベントを開いた。そのときに持って来てくれたのが、村山聖の日記帳だった。この日記帳を見て、ようやくひとつの疑問が解決したような気がした。どうして入院しているのに将棋が強くなったのか・・素朴な疑問だった。
 やはり病院の中でも将棋と向き合っていたのだろう。才能とか努力以前に、日々向き合うことが自然だったのだ。日記には毎日6、7時間(病院の人に見つからないようにの意味合いもあったようだ)やっていた記述が随所に見られた。
 それが村山聖にとって、楽しい時間でもあったような気がする。
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