森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

車窓からの風景 帰省 9,25

2018-10-04 08:33:56 | 風景を歩く

 9月25日月曜日に帰省する。最近は車でなくて、バスか電車である。そのせいか車窓からの風景を眺めることが多くなった。歳月の早さと同時に、時を惜しむひと時を過ごせるささやかな楽しみがうれしい‥

 























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風景‥帰省する 6,28

2018-07-02 12:56:59 | 風景を歩く
 
 夕方の2時間余り、散策して夕景を撮った。



































6月29日の朝

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京都心象 6月14日火曜日

2016-06-15 17:12:27 | 風景を歩く

 京都に行った。少し早く着いたので鴨川沿いを散策する。































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丹波篠山の里の風景

2016-05-30 16:34:15 | 風景を歩く
 丹波篠山に行く。少しだけ散策して遠回りだが、里をドライブすることにした。






































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木喰

2016-04-28 06:51:50 | 風景を歩く
  
a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%96%B0">木喰に興味を持っていたころがある‥

木喰(もくじき 1718年(享保3年)- 1810年7月6日(文化7年6月5日)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。
日本全国におびただしい数の遺品が残る、「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である。生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧(ゆぎょうそう)などと称したが、木喰はこうした遊行僧の典型であり、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。
木喰の作風は伝統的な仏像彫刻とは全く異なった様式を示し、ノミの跡も生々しい型破りなものであるが、無駄を省いた簡潔な造形の中に深い宗教的感情が表現されており、大胆なデフォルメには現代彫刻を思わせる斬新さがある。日本各地に仏像を残した遊行僧としては、木喰より1世紀ほど前の時代に活動した円空がよく知られるが、円空の荒削りで野性的な作風に比べると、木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色である。
                                  Wikipediaより抜粋

 四国で育った私はお遍路さんともなじみ深くて、旅の暮らしに違和感が少ないのはそのせいもありそうだ。温和な表情の木喰仏は庶民的で身近な匂いがするので惹かれるものがある。少しだけあこがれるのだが、実際は人生修行の感性がないと無理だろうなあ‥
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迷いの窓

2015-12-04 11:05:58 | 風景を歩く
 京都の源光庵、光悦寺の風景である。これは確か「迷いの窓」だったと思う。




 悟りの窓





 吉野太夫のお墓




光悦寺にて




 



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「風景」より奈良の風景

2015-12-03 00:16:56 | 風景を歩く
 昔、将棋世界誌に連載していた「風景」のフィルムからスキャナーした。















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昔の奈良の写真

2015-11-18 09:33:25 | 風景を歩く
 私はどちらかいうと怖い表情の仏像が好きである。優しくてすべてを包み込む表情だとすがってしまいそうで避ける‥怠けたりすくんだりゆがんだりしないように「喝」を入れてくれる言うな雰囲気でよい。それはいかなる場合でも‥



 














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阪和商店街 駄菓子屋さん 12月22日

2014-12-22 17:36:42 | 風景を歩く
 大阪の天王寺駅のそばにある「阪和商店街」は昭和の風景が残っている。以前にも何度か訪ねてきたが、ますます閑散としていた‥「この通りは今は家の店だけですよ‥私の代で終わりやけどなあ‥誰も継ぐのがおらんからなあ」大阪名物の岩おこしと大好きな奉天を買ってから、店にいたおじいさんに挨拶して、写真を撮らせてもらった。
 阿倍野ハルカスと全く正反対のレトロな街並みである。言葉にならないが、これも現実なのだろうなあ‥


 今もなお 昭和の灯り 駄菓子店 
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2007,7,16 ひまわり

2014-07-17 07:13:49 | 風景を歩く
 「ひまわり」の映画は今まで10回以上観ている。「ニューシネマーパラダイス」と同じくらい好きな映画だ。戦争の悲惨さを描いた映画だが、ソフィアローレンの存在感ある姿とひまわり畑の映像が目に焼きついて離れない‥
 この写真は佐用町のひまわりで、すこし雨が降っていた。
 
 
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旧遷喬尋常小学校 机と椅子 

2014-01-20 00:50:33 | 風景を歩く
 真庭市にいったとき、会場のエスパスの向かいにあったのがこの「旧遷喬尋常小学校」だった。明治40年にできて、平成2年、84歳にして小学校の役目を終えた・・パンフレットに書かれてあった。校内を案内してもらったが、なかでも印象に残ったのがこの机と椅子だった。
 私の子どもの頃もこうだったなあ‥
 
 落書きを 刻んだ子どもの 声がする
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能瀬、名月姫のお墓

2013-09-10 23:07:33 | 風景を歩く
 能勢に行く。明月峠にある名月姫のお墓にお参りした。名月姫伝説は尼崎にもあるようだが、能瀬の伝説と異なるのも興味深い。
 長い歴史の間には人の悲しみや怨念が消えないままに、無念さを背負い残されたものも多いだろうなあと思う。
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京都、時代祭

2013-05-21 08:01:10 | 風景を歩く
 将棋世界に連載していた「風景」から、京都の時代祭り。この頃はニコンF3を担いであちこち歩き回っていた。写真を撮るのが楽しくてしょうがなかったが、フィルム代や現像代は高かった。デジカメになってからその点では助かるが、写真自体はどうだろう?一枚一枚を大事に撮っていた頃の方がはるかによかった気もする‥
 モノの値段が下がっても、働いて稼ぐカネが減っている時代では、むしろせちがらくなっているかもしれないし、人やモノを見る目が厳しくなっているのかもしれない。
 
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天神川トンネル

2013-03-29 23:36:35 | 風景を歩く
 この写真は伊丹市荒牧の「天神川トンネル」だが、天井川トンネルでもある。

 天井川トンネル=川によっては、河床が高くなり過ぎ、あえて河床の下にトンネルを掘り人を通らせている例もある。これらのトンネルを総称して天井川トンネルという。

 伊丹の天神川トンネル=旧国鉄中山寺駅から延びる引込線の鉄道を、「鴻池村」(現在の北野地区)にあった
         軍事施設に向かって、汽車が通った。当時のトンネルは、今もそのまま残っている
 妻が私が通っている病院の周辺を散策しているときに、興味深い歴史の遺物を見つけた‥正確には確認した‥

 車でいつも通っている脇道が、軍事施設に向かう線路跡だったのも不思議だなあと思う。膝が治ったら散策しよう。

 
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萩の白猫

2012-12-25 08:14:58 | 風景を歩く
 ずっと以前に将棋世界に連載していた「風景」であちこち旅をした。旅をしたときに「風景」に使う写真を撮った‥それが正しいが?この写真の白猫は今でもよく覚えている。萩の城跡にいた猫だ。少し病気かなと思ったが、私にすり寄ってきて一緒に遊ぶのはいいが、「連れて帰れないよ」となだめすかした‥もっとも猫はダメとわかるとあっさりしている面がある。
 当時はひとり旅で、行先も決めていなかった。宿泊の予約もしたことはない。写真を撮るのが面白くてしょうがない時期で、ニコンF3の標準レンズと28ミリのみで三脚も持たなかった。

 今もその延長だったら、おそらく国内も含めたアジアの各地をのんびり回っていたような気がする‥昔インドを旅していて、疲れ果てて道端に座り込んだとき、どうしようもないさみしさに襲われた・・話す相手もいない、ふところもさみしい、言葉も通じない、日本に戻る気もしない‥これが孤独感なのかなあ・‥泣きそうになったとき、すぐそばを通った人が話しかけてきた「○×△?」私は英語も話せない‥もう一度聞くと「バクシーシ」と言ってるような気がした。「私もないよ」ゼスチャを交えて話す。すると相手はいやそうな表情ながらも「わかったよ」とニッコリ(仲間意識か?)少し通じたようだ。
 自分なりの孤独感の極致に行くと、むしろ、これが当たり前なのだ‥そう思えてきた。道行く人が急に仲間に見えてきた‥
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