森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

空を飛べたら

2007-12-31 22:18:17 | 日々の写真
 昆陽池のユリカモメ(12月31日の伊丹昆陽池にて)の雄姿である。この冬は寒さの訪れが遅くて、渡り鳥の鴨は昨年よりも少なかったようだ。でもユリカモメは元気いっぱいに空を飛んでいた。
 きょうは大晦日で、明日から2008年を迎える。世の中は年々、生存競争や暮らしの厳しさが増しているが、平々凡々なれど、生きていることが何よりも幸せである・・元気で日々を過ごしたい。
 皆様よいお年をお迎え下さい。
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黄色いバラ

2007-12-30 23:25:50 | 日々の写真
 「百万本のバラ」という加藤登紀子さんの歌がある。私は大好きで、バラの花をみるたびに、この歌が浮かんでくる。(真っ赤なバラだが)ちょっと純で気恥ずかしい歌詞だが、この主人公いいなあと思う。
 昨年の12月29日は雪が降って、それで伊丹のバラ園に写真を撮りに行ったようだった。黄色ばらに雪がちらりとかかっている。
 日記を見直すと、一年前でも懐かしく感じるのだだった・・
 
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昨年の今日

2007-12-29 23:16:31 | 日々の写真
 このバラはちょうど一年前に、伊丹のバラ園で撮った。ほとんど咲いていないのだが、まれにきれいに残っていることもある。
 一年の経つことの早いこと、疾風の如しだろうか。そんな合間にも、あれこれと揺れ動くこともあり、自分の心の葛藤があり、流されゆく日々がある。
 悔いなく生きるのは難しい。悔いと争って生きていくことばかりだろうか。
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忘年会

2007-12-29 09:24:20 | 日々の写真
 昨日(12月28日)はいつもの忘年会だった。写真は左から東和男七段、脇謙二八段、私、中田章道七段である。他のメンバーは浦野真彦七段、平藤真吾六段、矢倉規広六段と観戦記者の池崎和記さんの八名である。
 昼から麻雀をして夕方から忘年会となる。きょうはちゃんこ鍋だった。中田七段は久しぶりの参加で、やはり仲間がいいものだ。二次会はカラオケと麻雀に分かれる。私は今年は麻雀にした。
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パグ

2007-12-28 08:38:30 | 日々の写真
 参道にいたパグ。図太そうでいて、けっこうプライドが高くて神経質な面もある。食は何よりも優先。犬というよりも、人に近いような気がする。
 パグのいいのは、闘争心のない平和主義者で、食のとき以外はおおらかなことだろうか。無愛想なみかけよりも、人懐っこいのだ。
 これは我が家の「トビオ」「クロ」ではありません。他所の家のパグですが、やぱり食べることが一番らしい。
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子どもは風の子

2007-12-26 22:00:49 | 日々の写真
 清荒神の参道を下っていると、自転車に乗った三人の少年がカーブを曲がろうとしていた。老人の人の参拝が多いので、珍しい光景だ。
 子ども教室をしていると、教室の子どもとばったり会うこともある。「こらっ危ない」と思わず言いそうになった。今年は寒さも緩くて、正月を迎えるような気配を感じない年末だ。”子どもは風の子”これも死語になりそうだなあ。
 
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ディナーショー

2007-12-25 22:05:21 | 日々の写真
 きょうは一門研究会で、いつもと違って昼過ぎまでで対局を終えて、午後からはディナーショーだった。私と妻を含めて総勢20名である。棋士では増田五段、山崎七段、安用寺五段が出席だった。(糸谷四段は対局で欠席)
 珍しく開いたのが昼間だったので、記念に全員の写真を撮ることにした。こうやってみるといつのまにか大勢の弟子を預かっているが、あれこれと悩みの方が尽きない・・
 きょうは暗い話題は無しで、「今年いちばんよかったこと」明るいことを全員に話してもらう。一年々々状況は変化していくが、ひとりひとりコツコツ積み重ねてがんばってほしいと願うばかりである。

後列左から 山崎七段 竹内二段 増田五段 藤原1級 西田二段
 2列目 阪上2級 ルンルン 坪井4級 安用寺五段 大石三段 荒木1級
 3列目 来海4級(ルンルンの前)千田2級(メガネ) 野場5級 澤田三段
 4列目 橋詰雅斗6級 石川6級 島田6級 上田6級 森七段(狸の前)
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昨年の師走

2007-12-24 20:42:07 | 日々の写真
 昨年の12月22日は、宝塚に出かけていた。この写真がそれで、温室の中だろうか。この一年はどういう年だったろうか?
 ふと気がつくと、好きなことばかりをしてきたようであり、しがらみの中でもがいていたようでもあり、人にうんざりして(自分もうんざりされて、その逆もあるだろうが)遠くに行きたくなったり、である。生きていればこそなのだが、歩くのを止めると、たちまち奈落の底に・・まっしぐらのようにも思う。修羅という言葉を体全体で受け止めて、問答しながらひたすら進むしか、道は残されていないのだろうなあと感じる。宮沢賢治の1パーセントくらいだけ、自得するのだった。
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阪神競馬場

2007-12-23 20:35:12 | 日々の写真
 阪神競馬場で、競馬を見るのは今日が初めてだった。意外かも知れないが、前回は場外馬券だった。一階で見ると、競馬場が広いので驚いた。馬が小さく見える。
 今日は「有馬記念」の馬券を買うのがメインだが、阪神の10R「逆瀬川S」だけやった。何となく買った複勝だけが入っていた。
 注目の有馬記念は本命がレースに参加していないような展開となった。見せ場もないままに終わる。何故か私は押さえの枠連だけ当たったが、不完全燃焼の結果となった人が多かっただろう。
 私は枠の3連複を買おうと思っていたのだが、それは馬券にないものだった。ど素人である。あわてて枠連に切り替えた。
 大一番は呆気ないことが多いが、拍子抜けである。マツリダゴッホ(この名前はかわいそうだなあ?)とダイワ兄妹だけが光ったレースだった。
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伊丹将棋センター忘年会

2007-12-22 23:27:45 | 日々の写真
 今日は「伊丹将棋センタ-・アットホーム」の忘年会があった。今年は席主の梶井さんが病気で入院されて、継続も心配だったので感慨深いものがあった。皆さんが励ましながら(将棋を指す場がなくなると困るのが本音?)楽しい忘年会を過ごせた。
 あれれ、写真はみなさん固い表情である。将棋を通じて知り合った人は、利害関係もなくて、たのしい仲間なのがいいなあと思う。
 来年もみなさん元気よく過ごしたいものだ。
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鶴橋の猫

2007-12-22 00:02:19 | 日々の写真
 きょうは鶴橋で、児玉七段、青木六段、伊藤(博)六段との忘年会だったが、時間を間違えて早く着いてしまった。鶴橋界隈を散策することにした。路地を入ると下町情緒そのもので、この写真の猫と出くわした。猫距離(近づくと逃げ出す距離のこと)2メートルと見て、しゃがみこんで撮る。
 表通りの派手な看板とは打って変わって、庶民的なにおいがする。
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村山聖 七段の頃②

2007-12-20 21:47:35 | 日々の写真
 指導対局が終わってから、打ち上げとなった。ビアガーデンのようなところで、大津市役所支部の方に焼肉パーティーで歓待していただく。
 村山君はワインをよく飲んで、ビールはあまり飲まないようだった。たまに誘っても「師匠はお酒が弱いですから」といって断られた。おそらく酔って演説を聞かされるのがイヤだったのだろう。あるとき居酒屋で、村山君が後輩に演説している場面に出くわして、何だ師匠と同じことをしているじゃないか、ほっとした?ことがある。ここ連日、村山聖の写真を掲載しているのは、自分の心が弱っているからかもしれない。森先生、しっかりして下さい。そう言われているような気がした。
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村山聖、七段の頃

2007-12-19 23:17:29 | 村山聖
 村山聖七段、1994年、平成6年の夏である。滋賀県大津の大津市役所支部で、珍しくふたりで一緒に招かれた支部派遣の仕事があった。指導対局の後で、寄せ書きの色紙を書いているところだ。このときに数枚の写真を撮ったようである。
 村山君は「大局観」といつも書いていた。初め扇子を作ったとき「字を見てから決めるから」と言って書かせたら、これがうまいので驚いた。「うん、まあまあ合格やなあ」と言いながら、私は自分の幼稚な落書き文字にゲンナリするのだった。
 この写真を見ると、体調はもうひとつよくないときかもしれない。 
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村山聖の写真③

2007-12-18 20:24:05 | 村山聖
 「写真はイヤです。魂が吸い取られますから」「大丈夫やから」「イヤです」と言い合っている間に、村山君が目を閉じて笑った。根負けしたようだ。
 もっと村山君の写真を撮っておけばよかったと思う。病気に支配された重く暗い表情、何者も入りきれない頑なな表情、漫画の主人公に成りきったあどけない表情、冷徹な勝負師の冷たい表情、はにかんだような照れくさい表情、村山聖は私の写真のいい素材だった。不思議な表情が可愛くて魅力でもあった。
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村山聖 18歳②

2007-12-17 23:27:24 | 村山聖
 昨日に続いて京都の写真だ。このときは、私の師匠の故南口繁一九段の入院されている病院にお見舞いに行って、それから初詣に出かけることにしていた。師匠は脳梗塞で倒れられて、亡くなるまで10年寝たきりの闘病生活だった。帰るとき、いつも私の腕を掴んで、涙を流して、手を振ってくれた。明朗快活な先生だったので、話すことが出来なくて歯がゆかったと思う。
 村山聖を弟子にするとき、師匠にお願いと報告にいった。その後でご迷惑をかけることになったが、常に私をかばってくれた。そして信用してくれた。
 村山君の着ているセーターは懐かしい。村山君は暑がりでシャツしか着ないので、このときは無理やり着せたように思う。
 今、自分が大勢の弟子を持って、悲しいかな、何ひとつ思いが伝わっていない気もするが、師弟とはそういうものなのだろう・・かすかに師匠のうるさい声が聞えてくれば本望だ。
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