小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「アメリカ人と魚」

2006-06-03 01:24:09 | ニューヨーク暮らしの日々

魚は臭いものという印象を持っているアメリカ人

アメリカ人には魚屋でどの魚が新鮮で古いかを判別するのは易しい
ことではないようだ。無理もない。半分以上の魚は三枚におろした
フイレ身で売っている。目玉も見れず皮も見れず、氷の上に載せられ、
水を打ってあれば、一見新鮮に見える。
数日前のニューヨークタイムスのダイニングのページ一面に「聖なる
さば」のタイトルでさばの大写し写真が載った。もっと魚を食べようと
魚の効用をプロモートしている。しかし、さばの眼の回リが真っ赤で
新鮮さを欠いていて驚いた。エディトリアルも写真家も目の周りが赤
くて色彩的にきれいと思うのだろうか。クレイムがつかないのは不思
議なことだ。ぱりぱり光る鰯を見るのはラッキーな時で大抵血がにじ
んでいる。74丁目ブロードウエイの魚専門店新鮮さを誇るチッタレー
ラでさえ日本では考えられないような数日経った魚がおいてあるとき
がある。とりすぎ、産業汚染で魚が少なくなったとはいえ、かなりの
種類がある。
フイッシー(Fishy)という言葉がある。魚臭いという意味のほか「怪し
い」または「信用できない」という意味だが日本で「魚臭い」が同じ意
味にはならないから、文化の違いは面白い。折から寿司ブームで魚
に関心を持つアメリカ人が多くなった。ステーキをおなか一杯食べる
ことは出来てもお魚を満腹するまで食べる人はいない。叡智ある文
化を持つ国には超太目人間がいないということなのか。
ニューヨークの河口地帯で無尽蔵に取れたオイスターはいまや昔の
話、チェサピーク河口地帯でもいまや絶滅状態である。その昔キャビ
アはニューヨークのバーのつき出しであった。オイスターは食べ放題
が6セント。すべてのつけは今、私たちに回ってきている。
今封切られている元副大統領のアル ゴアの環境汚染ドキュメンタ
リー映画は考えさせられる。魚がなくなるときがやってくる。誰かを責
めているときでなく、私たちが出来ることをするときは今なのだと警鐘
を鳴らしている。人残らず参加するときだと思う。是非是非、観てもらい
たいドキュメンタリーである。