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観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

杵原学校と映画「母べえ」

2013年12月19日 | 旅・風景・グルメ
映画「母べえ」(かあべえ)は、映画スクリプターの野上照代の実話に基づいたエッセイを元にした2008年の山田洋次監督作品
単行本が2007年12月、翌年の映画公開を前に、中央公論新社から『母べえ』として、刊行されている。野上照代の父親である野上滋は、戦前から新島繁の
ペンネームで活躍したドイツ文学者。映画とは異なり、戦後も存命して、神戸大学教授などを歴任されている。
この映画、バスツアーで2回見た。2回目の今年11月に見たときは、この映画の中に出てくるシーンのロケ地に行くからよく見てなさいということだった。

校舎に架かっていた映画の場面の写真
左側は、母べえと子どもたち 右側は、父べえ (映画は、父べえが思想犯として特高警察に捕まるとこから始まる。)

11月20,21日に行ったバスツアーのタイトルは、ミステリーツアー。乗客は、何処に行くのか何処に泊まるのか知らされていないし、ヒントも行程表も
一切ない。それでもミステリーシリーズは人気があるようだ。さらに、今回のミステリーツアーは第1回目だったので、添乗員も運転手も初めてのコース。
最初に着いたのが長野県飯田市山本にある旧山本中学校杵原校舎
昭和24年に新制山本中学校として建築。(南校舎に寄棟造りの玄関ポーチが付いたり、玄関内部腰板にベニヤが使われるなど当時の社会情勢が反映されている。
新制中学校校舎として全国で初めての国登録有形文化財である。)


ここで母べえ(吉永小百合)が代替教員として働く国民学校の教室でのシーンに使われた。




ここは、しだれ桜が有名だが、紅葉も良かった。

ところで、この学校の敷地の大半は無償提供によるもので、神社林の神木を売ったり、婦人会が兎を飼育して資金にあてたりしたようだ。また、村民が藁、竹、縄など
資材を提供し、勤労奉仕するとともに、生徒も資材を運搬するなど村民手作りの学校だった。昭和32年に体育館が竣工、そして村は飯田市に合併された。昭和60年には
伊賀良中学校との統合(現旭ヶ丘中学校)によって廃校。平成21年4月から「山本地域づくり委員会」が指定管理者となり、施設管理や施設を活用した事業運営を行っている。
私たちツアーの一行は、この事業の一環として、教室で委員会のメンバー?による2時限の授業を受けた。1時限目は、社会(歴史)でこの由来の話。
2時限目は、古いオルガンでの伴奏による童謡「故郷」の合唱(この時に始めて歌詞が3番まであることを知った。)

錦秋 天授庵その2

2013年12月10日 | 旅・風景・グルメ

書院


池泉回遊式庭園の書院南庭




この南庭は、明治時代に改修しているものの南北朝時代の面影を残していると言われている。

錦秋 天授庵その1

2013年12月09日 | 旅・風景・グルメ
天授庵は、南禅寺を開山した大明国師を奉祀する塔所。
(塔所とは一般に遺骨なを納め祀る場所(墓所)を指すが、墓所だけでなく高僧が住んでいた小庵やゆかりのある地に、その偉業を後世に伝える
ために建立されるようになる。)
南禅寺の起源は、1264年に亀山天皇が母大宮院の御所として離宮禅林寺殿を造営。当時の東福寺第三世大明国師に帰依していた天皇が法皇となり、
1291年、離宮を禅寺に改め、大明国師を奉じて竜安山禅林禅寺として開山。離宮を賜り禅寺とされた大明国師は、すでに老境にあったので、禅寺
としての体裁を整える前、同年12月に生涯を終えた。このため大明国師の開山についての功績は少なく、塔所は建てられなかった。
その後、1339年に南禅寺第十五世が光厳上皇へ請願、勅許を得て翌年に天授庵が建立された。戦国時代には衰退したが、1602年に武将で歌人
としても知られる細川幽斎により再興された。


庫裏から覗く書院南庭
今回旅行で一番の撮影スポット。しかし、押すな押すなの人混みで、撮影に時間をかけられず、シャッターを2回切っただけ。

上記の写真、ここをクリックして拡大すると、せっかくの光景を台無しにしている人の頭がよく分かる。残念!


同じく庫裏から覗いた書院南庭


小堀遠州の発案と言われる枯山水の方丈前庭(本堂前庭)本堂は、六間取方丈形式の建物


後ろに見える山門は、南禅寺三門




錦秋 法然院

2013年12月08日 | 旅・風景・グルメ
銀閣寺拝観の後、哲学の道を歩いて法然院に行った。
浄土宗の始祖、法然上人は、歴史で習ったから知っていたが、寺の法然院は知らなかった。法然院の公式HPによると“正式名は、「善気山 法然院 萬無教寺」
鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられた。
1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が
生じ、安楽・住蓮は死罪となり、法然上人は讃岐国へ流罪、その後草庵は久しく荒廃することとなった。”と書かれていた。
この話に裏はないのか検索すると
勢力を強めていた吉水(* 東山吉水(京都市東山区円山町)の法然門下に対し、危機感をもった他宗派は、興福寺を代表として朝廷に対し吉水教団の
撲滅を願い出た。そのため御所では念仏停止の是非を論ずる評議が行わていた。ちょうどその時に後鳥羽上皇が寵愛していた女房松虫・鈴虫の二人の
出家という事態に起きたのだ。それに上皇が激怒し、当時としては、珍しい死罪になったようだ。また、興福寺の訴えを取り上げ、念仏停止の裁断を下した。

この後鳥羽上皇、歴史上の人物としては嫌いなほうである。上皇は、天皇に即位していた期間は、14年余りだが土御門天皇、順徳天皇、仲恭天皇と3代
23年に渡り院政を敷いた人物。鎌倉幕府を倒そうと承久の乱を企てて捕らえられ、隠岐に島流しされ、そこで没したという事は覚えているが、この話は知らなかった。





白砂壇(びゃくさだん)
山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているらしい。
拝観客は多いが、この白砂壇はあまり人気がないようだ。




錦秋 銀閣寺その4

2013年12月05日 | 旅・風景・グルメ

侘び、寂びを体感できる東山文化の代表的な建築物である銀閣寺、人里離れた場所に建ってるのでなく、街中近くにあるということがよく分かる。






国宝 慈照寺観音殿(通称:銀閣) 東山文化の代表的建物
1層は書院造り、2層は唐様仏殿
この写真を見ると光の当たり具合で銀色に見えるから銀閣寺と呼ばれるようになったと言う説も納得できる。

錦秋 銀閣寺その3

2013年11月29日 | 旅・風景・グルメ



池の中の大内石と書かれた立て札が目に付いたので調べてみた。銀閣寺を造営した足利義政の祖父である足利義満が各領主に対し、その領地の名石を
献上するよう命じた時、大内義弘は、「将軍に捧げるは武力であって、優雅な庭園如き贈り物は如何なものか」と拒否したため、義満より冷遇を受けた。
そのいじめを知っている義弘の孫である大内政弘が義満の孫である足利義政の要請に際して、一番に贈ったとされる名石である。




まさに燃える紅葉といった表現が相応しい。

錦秋 銀閣寺その2

2013年11月28日 | 旅・風景・グルメ

銀沙灘
京都の多くの社寺の庭園などに白川砂という京都特産の花崗岩が細かく砕けてできた白砂が使われているのは、採光も考慮してのことらしい。
銀沙灘からの反射光を明かり障子を通して室内に採り込む。
この白川砂の反射率は、雪の反射率とほぼ同じぐらいで大変高い。特にこの銀沙灘は、面積も広いので明かりとしてかなり役立っていただろう。
ちなみに灘(だん)とは、大海原を意味し中国の西湖を模したとされる。
前回の記事にあった向月台もこの銀沙灘も義政が造ったものではなく、江戸時代になってから造られたものらしい。


東求堂
足利義政が持仏堂として建立。再三の修理を経ているが当初材がよく保存されており、国宝に指定されている。




錦秋 銀閣寺その1

2013年11月27日 | 旅・風景・グルメ
銀閣寺が銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからである。金閣に対して銀閣と称したのであり、銀箔は貼ってはいない。
光の当たり具合で銀色のように見えなくはない。
銀閣寺のHPによると正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。室町幕府八代将軍の足利義政(足利義満の孫)によって
造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となる。義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられた。
九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政が生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を
映すこの山荘を築いたようだ。


拝観入口
いろんな寺院で拝観料を支払っているが、拝観料500円でこれだけ堪能できた場所は少ない。




向月台
台頂に上がって銀閣寺の背後にある月待山に昇る月を待ったとか、向月台に反射した明かりで庭や建物を照らすように造られたとかの説があるが、
真相は謎のようだ。分かっているのは江戸中期には存在していたということくらい。


南九州の旅 (原尻の滝)

2013年11月15日 | 旅・風景・グルメ

10月12~14日の南九州の旅は、まれに見るほど天候に恵まれていた。
コスモスの花も終わりに近いようで季節は10月中旬であっている。
しかし、欲を言うと10月中旬らしい気温であったほうがもっと良かった。



写真を見てても暑さが感じられる。

南九州の旅(高千穂峡2 真名井の滝)

2013年11月14日 | 旅・風景・グルメ








高千穂峡の一番の見所である真名井の滝は、「日本の滝100選」に選ばれている名瀑である。
年間150万人以上が訪れる高千穂屈指の観光スポットで、近年はパワースポットとして有名。
紅葉の時期にはもっともっと混み合うようだ。
高千穂峡での食事場所は、3年前に来たときと全く同じだった。