散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

行政の事故処理と議会の監視責任~老人ホームでの度重なる転落死亡事故

2015年09月12日 | 地方自治
川崎市幸区の老人ホームで、去年、2か月の間に3人の入所者が相次いでベランダから転落していた問題で、9/11に初めて市議会で健康福祉局が経緯を説明し、議員からの質疑が行われた。

筆者はツイッター上で議会局のお知らせ「本日、本会議終了後に健康福祉委員会が開催…本日の開催内容はこちら」との記事、その添付ファイルを読み、そこで「行政側報告、老人ホームの転落事故」があることを偶々知った。そこで、「この程度の内容紹介は記事に書いて欲しい」とのコメントを付けてリツイートした。

勤務先に行く南武線の中でのことなので、気楽に呟いたのであるが、川崎駅の直ぐそばのビル内にあるオフィスに着いて、少し落ち着いて考えると、そう書いたからには傍聴に行ってみようとの考えになった。そこで、議会局に電話して開催時間を確か、午後3時半に着くようにした。

「マスコミの方ですか?」と問われて、「普通の市民の傍聴です」と応えたが、やっぱりね~、と感じた。形式的に傍聴許可があり、会議室の中に入ると、マスコミはビデオ/カメラ5台、マイク2本、取材記者20名程度、市民傍聴は筆者ひとりだけであった。

  
 
上記の資料(表紙及びB3紙2枚)が傍聴者にも配布される。これを読み上げる形で担当の課長が内容を説明する。説明後、議員による質疑が始まる。健福委は長・青木(自)、副・沼沢(公)以下、自3、公2、共3,民2,無1の構成だ。

資料は、表題関連以外、筆者のメモである。真ん中辺りに、以下の記述がある。
議員の最大の問題、最高責任者(局長)の責任の所在を追及していない。
局長の最大の問題、「しっかり!」を連発する形式的答弁。
筆者の感じたことはこれに尽きる。

議会基本条例は市の議事機関としての「議会の役割と活動原則」を第3条に規定、その第2項に、「市長等の事務の執行について監視と評価を行う」とある。当然、市にとって重要な事務の執行は、先ず市長、続いて副市長、次は局長となる。

今回の健福委には、健福局長が出席している。従って、局長が今回の問題に対して、どの様に報告を受け、それを如何に考え、部下に何を指示したのか?それが適切であったのか?そこが最大の論点になるはずだ。議会の市政に対する監視とは、上記のことだと筆者は理解している。

しかし、局長が報告を何時、どんな形で受けたのかさえも聞く議員はいなかった。最後まで居なかったので、確定は出来ないが。議員の局長に対する質問は、今後に向けての決意表明であって、その形式的な答弁に満足していた。

報道では、議員(委員会の委員)は市の対応を相次いで追及し、市は認識の甘さを陳謝して再発防止策を検討していくと応えた、としている。確かに、3回の転落死亡事故、浴槽内死亡事故、虐待、施設内窃盗事件と続く、その老人ホームの異常性、対応の緊急性等を指摘して担当課長に答弁を求めていた。

担当者は個々の問題に対して適切に事務処理を行ったと言って不思議はない。しかし、その適否を最終的に判断するのは局長であり、不適切とすれば、自ら指示を出す責任がある。議員は議会の構成員として、局長を質さなければミッションを果たしたとは云えない。

しかし、局長からも積極的な発言はなく、相変わらずまとまりのない、議事とも云えない質疑を行っただけであった。改めて、議会とは何をする処なのか、長い時間を掛けて何を得たのか、疑問が残るだけであった。

      
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