散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

女中さんのいる格差社会へ後戻り~フィリピンは「先進国」(日経新聞の発想)

2015年07月10日 | 現代社会
「共働きが主流になった日本。家事や育児を抱えて働く女性に「頑張れ」と言うだけではあまりに無責任だ。負担を分け合う新たな仕組みが要る」とは、日経新聞6/26付けの一面に掲載された表題の記事の冒頭だ(働き方・Next・女性が創る(4))。

この記事をザッと読んでどこかおかしさを感じた。それは「日本では女中さんの復活か?」とのイメージが頭に浮かんだからだ。うっかりしていたかもしれないが、家事代行業務とか、自宅でのベビーシッターとかは、昔の女中さんに相当するからだ。

筆者の子供の頃、近くに左官屋業を営む家があって、職人さんたちが同居していた。勿論、三食付きで家族と共に生活している感じであった。当然、家事は重労働になるから、いつも若い女中さんが住み込みで働いていた。

お互いに顔を知っていたが、子供だから挨拶する程度であって、話をするわけではない。ただ、どこかの田舎から出てきた感じであることは、その様子から理解できた。2,3年で交代していただろうか、記憶は怪しいが。

一方で、近くに文化服装学院の学生寮があった。毎年4月前に新入生と覚しき田舎出の若い女性が親と一緒に荷物を持って入寮する姿がちらほら見えた。そのとき、同じ田舎出であっても、女中さんと学生さんとでは、「何かが違う」と感じていた。それが家の事情か、本人の事情かは、特に考えなかったのだが。

日経の記事に戻る。
フィリピンは「働く女性」のサポートに関して先進国だとし、事例として、キャリアウーマンの東南アジアでの活動とサポートを安く手に入れることを「NEXT」の姿として描いていた。これが女中さんの姿と重なるのだ。更に、戦前の文学の中にも、坊ちゃんでは「下女」であるが、描かれているかと思う。とすれば、現代の先進国の一面は祖先返りの世界なのだ。歴史は姿形を変えて繰り返す。

この記事に眼を止めて、その背景と思想を論じた記事が見つかった。
Think outside the boxの「日本のフィリピン化計画中」(2015/7/1)だ。

この中で背景として、「安倍政権の「女性が輝く」の本質を示す記事が増えている」と、その筆者は指摘し、上記記事をその典型とする。更に、「メイドも「働く女性」のはずですが、「輝く女性」とは見做されていないようです」と述べる。

そこで問題はその背景の中に顕れた思想である。
その筆者は「フェミニズムと新自由主義の合体を指摘する。更に、「フェミニズムのニューウェーブ"neoliberal feminism"(以下、NLF)の勢力拡大に、フェミニズムが乗っ取られた(hi-jack)と危機感を募らせる旧来(主に左派)のフェミニズム研究者もいます」と述べる。

そこで、「NLFの特徴は、権力や金力を持つ"ruling elites"、あるいは"top 1%"に属する女が主導していることです。そのキャッチコピーが"have it all"(すべてを手に入れる)と"greed is good"を隠さないことからも、経済格差における"1% vs 99%"と同様に、99%の犠牲のもとにtop 1%の女を利するものではないか、という疑念が持たれています」との指摘になり、
「「Top 1%の女がすべてを手に入れられる世の中になれば、残り99%の女にも恩恵が及ぶ」というロジックは、トリクルダウン理論そのものです。トリクルダウン理論への疑念が、NLFへの疑念につながります」と述べる。

結論的には、“男女平等が格差拡大を招く”ことになる。
ラスウェル流の人格と権力との相互作用の見方からすれば、男女差別の解消という私的要求を男女平等の世界という公的目標に転位し、その活動の中で“権力への欲望”を満たしていく、それがNLFの発想ということであろう。

なお、「Think outside the box」の筆者は、テーマの選定、文献の読みこなし、英文記事への目配り、内容の分析を含めて、これまで読んだ記事の中では、最高峰のレベルと感じる。今後も参考にさせて頂く。


      

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