散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「教育委員会対首長」を超えて~中教審の答申は伸びやかさに欠ける

2013年12月14日 | 現代社会
教育行政の決定権限を現在の教育委員会から地方自治体の首長へ移す案に関しては、既に記事にした。安倍首相の意向が大きいが、教育委員会が形骸化しているのは事実でもある。首長が変わったとたんに、川崎市教育委員会は弁当支持から給食派へと転換した。一体これを高い識見と呼ぶべきなのか。
 『福田・川崎市長、中学給食完全実施へ131130』
 
報道によれば、中教審は13日、総会を開き、教育委員会制度改革案『今後の地方教育行政の在り方について』を下村文科相に答申した。その中で、教育行政の最終的な権限を首長に移す案を強調して提言する一方、従来通り教育委員会に残す案を「これを支持する強い意見もあった」として併記した。

当初は首長移行案に一本化する検討をしたが「首長が現場に介入しやすくなる」との異論が与党や中教審委員らに根強いことに配慮。事実上の両論併記となったとのこと、今後は政府・与党の協議に移るが、与党内野党として自民党を実質的に牽制する公明党から批判が出ており、捻れになる可能性もある。
    
          「中教審答申案から」

上記の図をみれば、教育委員会は独立性を有する行政委員会から審議会に成り下がっているのが特徴であることが良く判る。「首長権限案」は首長が自治体の教育政策の理念や目標を定める「大綱的な方針」を策定。教育委員会はその方針を事前に審議・勧告する補完的な附属機関になる。

現在の教育委員長は、首長が任命した教育委員(原則五人)から互選で選ばれているが、首長が直接、教育長を任命・罷免できるように変更する。要するに行政から選ばれる。首長が教育長に指示できるのは、教育長の事務執行が著しく適正を欠く場合や、いじめ自殺など緊急対応を要する場合に限定している。

しかし、教育行政といっても「学習教科」と、給食、図書、部活動などの「生活問題」と、更に校舎、校庭等の「施設管理」とは、それぞれ扱いが異なるはずだ。筆者は教育委員会の役割は現在の「教育委員会」制度を維持すべきであり、一方、「生活問題」「施設管理」は予算の管理の必要性を重視して、首長が責任を持つことが良い様に思う。

この場合、いじめ、学校給食、改築工事などの問題は首長の下に教育局長を置き、事務を担当すれば良い。一方、「学習教科」については、教育委員長―教育委員会が責任を持つことだ。学校長は教育長の下にマネージャーとして配置される。

この切り分けによって、先生(教師)を専門職として認知することができる。その専門性は学科の知識と共に学習内容の選定、学習方法の研究も含む。一方、クラブ活動は学校長が仕切り、専任の指導者を配置する。教育長の下では社会教育、生涯教育等の活動も管轄し、そのマネージメントも行う。従って、広く浅く知識社会を知っておく必要もある。

以上は筆者のイメージであって、問題点は多々あるように思う。しかし、しっかりとした構想を描くことが必要であって、単に「首長対教育委員会」の構図に嵌まらず、ビジョンを持って議論することが」必要だ。

     

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