散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

安倍首相は何故、中韓との首脳会談を望むのか~具体的提案は?

2013年12月15日 | 政治
最近のニュースで気になったことは悪化が伝えられる日韓あるいは日中の関係に関して、安倍首相は首脳会談を望んでいることを記者会見等で良く口にすることだ。「日本は特定の国を敵視する政策は取らず、対話の扉はいつもオープンだ」とは口癖のように出てくる。

国会審議において、朴韓国大統領について「非常に優秀な指導者だ」と話し、首脳会談開催への熱意を示したことがある。また、特に日本側が首脳会談を通じて中日関係の改善を強く希望しているという。中国に対しては、特に日本側が首脳会談を通じて関係改善を強く希望していると云われている。

「オバマー習近平」会談に刺激されたのか、会うことに意義があると考えているのか、嘗ての鳩山首相(当時)の、空手形でありながら「トラストミー」と言う姿とどことなく似ていると言えなくもない。

であるとすれば、どこか日本的な外交観が底に潜んでいる様にも考えられる。言って見れば、腹芸的な世界で或る。しかし、外交は「言葉=実行」の世界であって、言ったことは実行しなければ信用されない。

永井陽之助は日米繊維交渉の過程を分析した『同盟外交の陥穽』(「多極世界の構造」所収、初出「中央公論」1972/1)において、トップリーダーの外交スタイルが失敗した例は枚挙にいとまはないと言う。

太平洋戦争の終結を巡る対ソ交渉において、鈴木貫太郎首相は、「スターリンは西郷隆盛と似ている。我々が頼めば、彼は日本のためにあらゆる努力をしてくれるだろう。」と言った。これは自分の心理を相手に投射したもので、日本的な甘えの感覚である。

これの自己投射が戦後の日ソ交渉での河野一郎の素人外交にも表れていると云う。それは、通訳抜きの会談、すなわち、日本の待合政治と同じスタイルで、当事者同士の信頼感のうえに話し合う態度に出た。当然、失敗であった。

また、繊維交渉に関しては、佐藤首相は沖縄返還交渉がまとまった後で、「早急に善処する」という類いの答をしたらしい。一説によると「善処する」が「ベストを尽くすと訳されたとも云われている。実際は国会用語で「何もしない」を意味するのだが。「佐藤首相が約束した」というメモが米国の行政庁を回ったらしい。

言葉の問題に対して、以上の様な例がある。安倍首相が歴代首相と比べて、国際関係に関する識見と日本外交のビジョンがあり、相互の問題に対して提案もできれば、首脳会談の意味もあるだろう。

しかし、中韓と云っても習近平主席はともかく、朴大統領の外交手腕は素人のように見えるので、よほどそれぞれの外務省で下ネゴをしなければ、会談にならないような気がする。

従って、先ずは実務レベルでのすりあわせをしっかりする以外にないような気がする。


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