散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

中山俊宏教授を再度、追悼する~ファッションとは隠れること

2022年07月07日 | 政治

中山教授が亡くなられた際に、学者を中心に様々な方がTwitter上で氏を追悼された。その中でひとりの方が氏のダンディさを『リーダーの仕事の装い』(日経新聞2021/11/29)掲載の氏のスタイル「ファッションとは隠れること」を引用されていた。

実は自分も引用したかった。だが、ファイルを残しておらず、何も書けず、残念な思いを残していた…ところが、今になってファイルを発見!単に整理が悪く、ファイルが積みあがって埋もれていたのだった。気を取り直して読み直すと、現代の国際的知識人のポジションが導くスタイルと、中山の個人的ダンディズムの見事な結合と読めた。お目にかかったのは一度だけだったが、特に目立った服装ではなく、それを受取る感性が筆者には乏しかったと言う他ない。…という分けで、以下、本文を引用する。

国際政治学者、慶応義塾大学総合政策学部教授の中山俊宏さんが好むのは、「際立たない」装いだ。周囲にすっと溶け込む、ダークスーツと無地のネクタイ。ディテールやカットが個性的なテーラー仕立てのスーツを、実にさりげなく着こなす。アンダーステートメント(控えめな表現)な装いに徹し、「ダンディー」「おしゃれ」などと言われることは嫌い――。「こだわらないことが、こだわり」と語る中山さんの服装に対する考え方の原点は、1980年代半ば、青山学院高等部時代にあった。

「スーツの着方ということに限定すると、私にとっての一番は国連事務総長だったコフィー・アナン氏。私は96、97、98年とニューヨークの国連日本政府代表部で働いていて、当時はまだスーツのことをよく知らなかったのですが、アナンさんのスーツは一目見て、すごくきれいだなと感じていました。しわ1つなく、お尻にかかる上着のラインもネクタイも完璧。ブリオーニの仕立てでした。最近知ったのは、事務総長になるからにはブリオーニぐらい着てください、と周囲に言われて作っていたそうです。私が見た時はテーラーにアドバイスされるままに着ていた、最初のころだったのでしょう」

「でも、私はどちらかというと、たかが服というスタンスなんです。服を下に見ているわけでもないし、服が好きなのも明らかなのですが、自分にとって装いは、大きい男は小さい服は着ない、小さい男は大きい服を着ないという、その一言に集約される。サイズが適度に合ったものを適度にきちんと着る。そこを押さえていれば人が何を着ていようが自由」

――たかが服、されど、という部分はどうですか。エグゼクティブになればその人の格に合う服が必要ではないかとも思うのですが。
「その場合はまさに、際立つ、のではなく、あえて何も気づかせない、ということが大切なのではないでしょうか。『すれ違った時に振り返られたらだめ。それは何かスタイルで失敗している』という話がありますよね。さりげなさに執拗なまでにこだわること。社会的な地位が高くなればなるほど、過剰な装飾などせずに際立たない。ただ、すっと、スタイルや体形に合ったものを着る、ということが非常に重要になってくる気がします」

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