散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「人権問題」という原理主義的反応~政治課題としての慰安婦問題 (6)

2013年06月22日 | 政治
橋下徹氏の5/13付発言とその後のコメントに対し、マスメディアだけでなく、TWI, FB, BLOGなどのItネットのメデイアにおける一般国民の反応の中にも、人権問題(女性への蔑視)と捉える論調が多かった。それは橋下氏の発言を読まずに、マスメディアの報道を鵜呑みにし、自らの橋下像へ投影したものが多いように感じた。

ネットを選挙戦に利用することが解禁される段階において、甚だ心許ない状況に感じる。更に問題は、原理主義的に民主主義、人権を振りかざすことによって、橋下氏を絶対の敵に仕立てあげ、妥協を許さぬ政治状況へ導くことになる。

政党レベルでは、みんなの党の反応がそれだ。公党間の選挙協力を破棄する以上、それなりの理由付けを必要とするからだ。山内議員は橋下発言の引用もなく「歴史認識や人権感覚等の価値観が異なりました。」と断定的に述べているだけだ。
維新の会と共に退潮する渡辺・みんなの党120130612」

同じような感覚で橋下発言ではなく、マスメディア報道に反応する例として、地方議会改革活動において、知り合った知人A氏のFB上の発言を引こう。
「従軍慰安婦問題の本質は、強制連行の有無に拘わらず、日本女性を含めた女性全体に対する人権意識の低さ…橋下発言は女性蔑視の意識が表面に表れたと見るべき…」「日本のまさに野党第一党にならんとする政党の党首の人権意識がこのレベルだと、世界に知らしめたことの罪は大きいと思います。」と述べる。

筆者の「橋下さんは捨て身でチャレンジしていると感じています」とのコメントに、「…「国家の名誉」を守るために「個々の女性の心」を傷つけてもよい、という考え方は、全体主義に通じる危険な思想です。」との回答を受けた。

筆者「橋下氏の発言が女性の尊厳を踏みにじったというような大仰なものではない。今回の発言は(国際)政治的な意味で社交(偽善)が不足していたとは思います。しかし、社交自体は道徳的でも何でも無い。強欲と欺瞞の世界です。触れられたくない、見たくない問題にいきなり触れられた処に米国がいきり立った理由があると考えています。日本のマスメデイアも同じですが。」

A氏「「大仰」と言われれば、それまでですが、橋下氏のこれまでの言動(慰安婦問題に限らず)から見て取れる氏の「他人への思いやりのなさ」から判断すると、私には、氏の今回の発言は、女性蔑視そのものとしか見えない…」

筆者「私は「尊厳を踏みにじった」「思いやりのなさ」「蔑視」とかいう言葉は余り使った覚えはないので…まあ最初に、見解が異なると申し上げましたが…お付き合いの本筋を外すことは、ここまでにしておきましょう。」と収めた。

A氏の発言を選んだのは、ここに左翼的市民活動家の思考が顕れていると感じたからだ。それは先ず、人権という基本的権利に関する問題を「全体主義」という政治的イデオロギーに<還元する発想>だ。次におそらく、付き合いもないだろう橋下本人を「他人への思いやりがない」と断定する<短絡思考>である。

一方、橋下発言を再度確認すれば、以下である。
『侵略だということはしっかりと受け止めなくてはいけない』
『多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えた点も反省とお詫びをしなくてはいけない。』
『慰安婦の方に対しては優しい言葉をしっかりかけなきゃいけない』
『意に反していたのであれば、配慮しなければいけません』
『日本政府が暴行脅迫をして女性を拉致したという事実は証拠に裏付けられていませんから、そこはしっかり言ってかなければいけない』
橋下徹発言の最大のポイントを検証する20130619」

おそらく、A氏及びそれと似た発想を持つ方は、橋下発言を検討していないし、読んでもいないと思う。マスメディアが文脈を無視して切り取った発言を、自らの政治的立場と橋下悪者像を頼りに<還元する発想>と<短絡思考>によって、ストーリーに仕立てあげたのだ。

何故、橋下発言を無視しているのか、それは自らの「認識の枠組」を崩すことになるからだ。しかし、私たち自立した市民の立場は、認識の枠組を変えることを厭わないことだ。それこそが自己認識の学としての政治学の大切な処である。

      


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