散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

戦後憲法における「機構信仰」

2011年10月04日 | 政治
永井陽之助氏の『平和の代償』「戦後平和思想における顕教と密教」によって明らかにされた戦後平和思想を整理している。

新憲法の思想が村落者の平和哲学として正義の戦争と裏腹の関係にあり、日本の自然村秩序観と似ていることについても報告(2011/5/7)している。
また、新旧憲法における顕教と密教の二重構造について先に報告(2011/9/23)した。

密教としての統治論としての平和論が、高坂正堯氏の「宰相吉田茂論」によって理論化され、顕教化されるに至ると、顕教として、その政治的表現であった非武装中立は社会党の崩壊と共に僅かに社民党の一部に残る程度になった。

憲法9条を拠り所とする戦後平和思想は、日本の伝統である「機構信仰」のなかに位置づけられた。政治学者・京極純一氏『日本社会と憲法問題感覚』(思想「1962年6月号)を引用して永井氏は次のように述べる。

「第一に、憲法ないし基本法体系は、国家機構の編成と行動を規定するインパーソナルな成文法典であるにとどまらず、個人の内面の倫理的基準および社会秩序形成の基準ともされるのであった。」

結局、『国家、社会、個人の各レベルにおける目標間の明確な分化のない、わが国の体制では、政治的中間層における目標価値への執着と期待は、想像以上に強いといわなければならない。』

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