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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

ミスター・シェルター

2011年01月29日 | Haiti
僭越ながら本年1月20日朝日新聞朝刊2面の「ひと」欄に載せて頂いた(写真)。しかもカラーで。

日本から連絡をもらった時、ハイチではそれどころではない事態だったのだが、その後いろんな方々にご連絡、ご好評頂き、じわじわと事の重大さをかみ締めることとなった。そういえば、この欄は芥川賞受賞作家さんとか、甲子園で優勝したチームの監督さんとかが掲載されるすごい欄ではなかったろうか。

ともかく、まずは担当して頂いたK記者に心から感謝する。お会いするまで私に関する情報や書いた文章を熟読しておられ、対面での取材を1時間強、その翌日に電話で1時間ほど、そしてメールでのやり取りを約10回経て記事が完成した。彼の取材力、文章力には脱帽だった。

元々、今回の取材は日本政府支援のハイチにおける仮設住宅建設事業の進捗状況に関するものだったのだが、いつの間にか私中心の記事に。取材中に写真撮影も行われた。着ていたスーツはハイチの活動にそぐわないからと、ネクタイと上着を脱ぎ会社のベストを羽織った。ハイチ事務所の大多数の反応は「写真が気象予報士みたい」と。イタリア人の大ボスLは「国連総長のようだ」と褒めてくれた。さすがの褒め育て。

今回の記事は、私が諦めずに頑張り続けたことが評価されたのだと思うが、それ以上にスリランカ事務所、ハイチ事務所、そして駐日事務所の各スタッフの日々の積み重ねがこうした結果につながったのだと心から誇りに思うとともに感謝している。また遠くから応援してくださっている恩師、友人、そして家族にも深く感謝。

私自身は何も変わっていないので、今後ともよろしくお願いします。

追記1:2008年の抱負が叶いつつあります。
追記2:ミスターじゃなくて、ドクターちゃうん?という突っ込み、承知してます。

おしい!

2011年01月28日 | Haiti
職場の中で存在感が増してくると、周りから声をかけられることが多くなる。日本人と初めて会うハイチ職員は少なくなく、彼らの質問には日本人へのイメージを崩さぬよう、できるだけ丁寧に答える。

先日、『"Good Morning”を日本語でなんていうのか』とある職員に聞かれたので、

『"おはよう"。 アメリカ合衆国のオハイオ州(Ohio State)とほとんど同じ発音やで』と教える(*)。


そして今日、
職場に訪ねてきてくださった自衛官と立ち話をしていると、その職員が

「アイオワ(Iowa)!」

と、元気に自分らの前を通り過ぎていった。きょとんとなった自衛官と大爆笑の自分。おしいけど、州違い。でも日本語で挨拶しようしてくれたその努力がとても嬉しい。


* 英語流の「おはよう」は、「は」にアクセントがくる。

人質解放

2011年01月21日 | Haiti
先週から誘拐されたままになっていたうちの職員が、昨夜未明にようやく開放された。ほっとした。何人かの同僚は心配で心配で今日まで夜も寝付けなかったようで、見るのも痛々しいほどにやつれてきていた(自分は疲れ果てて、ぐーぐー寝てたが)。

午後になって、当の本人がちょこっと事務所に顔を出した。疲れているがわりと元気な姿を見て、泣き出すスタッフ続出。あー、皆、言葉に出さなくとも気にかけてたんやなと実感。各々喜びに抱き合った後で「私、月曜日から出勤します!」という彼女に、シンの強さを見る。詳細は直属の上司に相談させる。誘拐犯らは、彼女の体には触れなかったようで、それが救いだった。

幹部職員らがまとまっての出張で、昨日から3日間の臨時事務所代表に。1000人近くのスタッフを抱え、書類の山。これは何かの罰ゲームか。

事実は小説より奇なり/Fact is stranger than fiction.

2011年01月17日 | Weblog
「事実は小説より奇なり」とは、イギリスの詩人・バイロン氏(George Gordon Byron)の言葉だそうだ。昨日の元大統領デュバリエ氏の突然の帰国を誰が予想しただろうか。

産経新聞の記事『元独裁者25年ぶり帰国 ハイチ、情勢一気に流動化も』からもわかるように、この先どうなるかほんまにわからない。

そんな中でもできることを毎日少しずつ、やっていくしかない。

神戸の震災から今日で16年。長かったのか短かったのか、当時や数年前の自分を思い返してみる。1年前はハイチの地震が起こった直後だったが、まさか自分がここにやってくるとは思いもしなかった。

震災から15年

想像を超える復興活動の難しさ

2011年01月16日 | Haiti
うちの課のハイチ人職員が、3日前に自宅近くで何者かに誘拐された。裕福な家系かつ本人も弁護士なので、身代金目当てだと思われるが、とにかく本人の安否が心配される。

大統領選挙の再集計結果が公表される前に漏れ、先週末後半からいざこざが起こり始めた。今日は、国外追放されたはずのデュバリエ氏が25年ぶりにハイチに戻ってきた。これは、明日から何が起こっても不思議ではない。上からの指示で、とりあえず国外脱出用の簡単な荷造りをする。


テレビ放送を見てくださった方々、ご連絡やメールをありがとうございます。嬉しかったです。返事は追って書きますので。

体を動かす。

2011年01月15日 | Haiti
ハイチでは徒歩や公共交通機関での移動が職場から禁止されているので、何かと運動不足になりやすい。スリランカではわりとまじめにプールやジムに通っていたが、ハイチではそんな整った施設もない(だろう)ことを言い訳に何もしなかった。

が、あるところにはある。同僚に紹介してもらった高級住宅地近くにあるジム(写真)には、マシンやダンベルが結構揃っていた。月会員が80米ドル/月、一日会員10米ドル/日と、まあまあの値段。集中しないと上がらないダンベルと格闘し、いい汗をかいた。

地球VOCE テレビ放映

2011年01月14日 | Haiti
昨年11月初めに行われた撮影が今日明日とお茶の間に数分間流れるとのこと。今思えば、コレラ菌の蔓延も大統領選挙絡みの暴動も、まだましな頃だった。私が1回目の放送で、これからしばらくハイチでご活躍されている日本人やルー大柴さんが週代わりで登場されるそうだ。お楽しみに。

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『地球VOCE』#40
「被災者たちが待ち望む仮設住宅」

2011年1月14日(金)21:54-21:59
テレビ東京

翌15日(土)11:55-11:59
テレビ東京(再放送)+系列全国5局ネット
テレビ大阪(TVO)・テレビ愛知(TVA)・テレビせとうち(TSC)・テレビ北海道(TVh)・TVQ九州放送(TVQ)

*なお、放送時間は他番組の編成上、変更の可能性がございます。
*3月末までハイチ編を放送予定です。
*地球VOCE ホームページ

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震災後一周年

2011年01月12日 | Haiti
ハイチは今日で大震災から1年たつ。大統領が数日前に突然、祝日と宣言し、静かな一日だった。勤務日ではあったが、ハイチ人職員は教会へ祈りに行ったり、家族と過ごすことを推奨された。

震災による死亡者数が、約31万人に修正された。ハイチの人口を大まかに1000万人とすると、3%の国民が一瞬で亡くなったことになる。

ハイチでの震災復興の過程を外務省がサイトにわかりやくまとめているので紹介する。

外務省 わかる!国際情勢 Vol.63(2010年9月)
『ハイチ大地震を乗り越えて』


ハイチでの震災復興は、メディアが伝えているように一向に進んでいない。その中で、うちのチームが仮設住宅を3,000戸建設できたことは、検討している方だと思う。大統領選挙の結果が出て、また暴動が起こり出す前に、なんとか作業をはかどらせておきたい。


(写真は、職場近くに張ってあったポスターの一部。)

Christmas Party

2010年12月17日 | Haiti
慌しい日々ではあるが、レクリエーションの一環として、職場でクリスマス会が開かれた。会場はうちの倉庫がある敷地で、銃を持った警備員らが見守る中、バンド演奏で盛り上がった。

Dead Town

2010年12月10日 | Haiti
抗議デモや暴動が少し和らいだので、午後12時から夕方5時まで一時外出が認められた。蓄えていた食糧がなくなってきたので、早速買い出しに車を出す。ご用達の自宅から徒歩30秒のスーパーは火曜午後から閉まったままで、他をあたらねばならない。携帯電話や無線はあるが一人では心もとないので、近所の同僚を誘っておそるおそる町に出た。

通りに誰もいない。普段の昼間なら、車や歩行者でごったがえしている通りに誰もいない。あちこちにタイヤの燃えカスが残る。そんな中、同僚を2人それぞれ途中でひろって、買出し買出し。イスラム教徒なのにビール党のWは、ビールをケースまとめ買い。他のハウスメートを気遣って野菜や缶詰を大量に買い込む世話焼きのKさん。そして私が買ったものは、コーヒー豆、生ハム、パンとバター、スイカと野菜。

品切れで買いたい物がなかったので、スーパーを3軒はしごして、途中でお茶休憩。丸3日近く家にこもっていたので、外の空気を十分すえた。

明日から普通に外出できますように。

自宅待機

2010年12月09日 | Haiti
火曜(7日)の夕方から、大統領選挙結果発表後の混乱を避けて、自宅待機となった。たまった仕事を横目に見ながら、カレー(日本の)をつくったり、DVDを見たりと、たまに銃声が遠くの方で聞こえる中、家でのんびり過ごした。

丸2日も家に閉じこもっていると、このまま外界と離れた浮世の世界にいるようだ。それでも、ハイチの国外では普通に仕事が動いていて(当たり前だが)、日本政府支援の仮設住居事業の進捗状況報告書を準備したり、スリランカで以前担当した事業の会計監査に回答したり、海外注文した測量機器の購入理由をマニラ事務所(海外物資調達部門がある)にしたり、某国の仮説住居事業の相談にのったりと、することには事欠かない。そう、昼寝もした。

もうすぐ、コレラの原因がネパールからの国連軍だと正式に発表されると(適切な屎尿処理を怠り、川に投げ捨てたハイチの業者に最も責任があると思うが)、私ども国際機関への風当たりはますます強くなるだろう。

こうして危険回避から自宅待機している間にも、コレラ患者が逐次亡くなっていることを思うと、何のための大統領選挙なんだか途方に暮れる。


暇にまかせて、仲の良い同僚K(ジンバブエ人)の偽選挙ポスターをつくってみた(写真:本人了解済)。うちのチームの姉御的存在Mさん(ザンビア人)にも登場してもらった。

オリジナルのポスターはこちら

中華料理 in Haiti

2010年12月03日 | Haiti
金曜日の夜、ハイチで一番おいしいと(一件しかないから)言われる中華レストランに同僚らと出向く。

英語やフランス語でメニューが書かれてあっても、なかなかイメージできないので、中国語メニューを見せてもらい漢字から料理名を推測した。私が漢字で意味がわかることに驚きを隠せない同僚らを横目にさっさと注文し、出てきた品々。

マーボー豆腐(写真)、豚肉の甘辛煮、ローストダック、焼きうどん(とでも訳すのか?)

旨かった。

新建築 12月号

2010年12月01日 | Haiti
新建築 2010年12月号の最後の方に、先日お手伝いさせて頂いた坂茂氏のシェルター・プロジェクトが掲載された。私の名前もきちんと記して頂き、嬉しく思った。

今回は長屋で

2010年11月30日 | Haiti
人口密度が高い被災地で仮設住宅をつくるにあたり、共用スペースの場所を確保するために2戸をくっつけた長屋に挑戦(写真)。

挑戦というほど、設計は変えてないのだけれど、くっついた2戸を1棟と数えずに1戸と数えるスタッフが続出し、被災家族の住居の割り当て、建設資材の発注から配送と、すべてがこんがらがってしまった。で、設計が悪いと言い出す輩も続出。それでも忍耐強く、状況を乗り切っていくと、なかなか良いものができてきたと思う。

新しいことには手を出さない方が良いと知りつつも、この現場ではバイオガスシステムを使用した簡易トイレも同時並行でを建設している。これは糞尿を密閉した便槽内で発酵処理させて、その過程で発生するメタンガスを共用の台所で木炭の代わりに調理用に使ってもらおう、という(壮大な)計画のもの。従来の屎尿汲み取り式では、毎月のように業者にバキュームカーを出動してもらわねばならず、そのコストもさることながら、維持管理がきちんとされなくなると衛生環境が最悪の状態になる。とまあ、詳細はまた今度。

大統領選挙

2010年11月28日 | Haiti
今日は大統領選挙の投票日。

スリランカで5年前に行われた大統領選挙も、11月。災害復興の後、セキュリティも不安定だった。何かといわくつきのハイチでの大統領選挙。選挙結果が出るまで、どうか平穏に過ぎてほしい。

政府が代わると復興計画の方針も変わることが多いので(まあ、ハイチの場合は元から復興計画があるのか微妙だが)、援助機関はこのところ二の足を踏んでいる。