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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

再びテレビ取材

2010年11月25日 | Haiti
ハイチの大統領選挙前にやってこられた取材班に、最近のハイチの様子について情報提供していただけのはずが、現場での活動を撮影された。

今年7月に震災半年後の様子を撮影された時と同じ取材班だったので、スムーズにことが進んだ。

月曜日の放送は、ここ数日の北朝鮮と韓国の緊迫情勢がメインになるそうで、ハイチの話はそんなにないかもしれないが、放映予定時間は以下のとおり。


NHK BS1 「きょうの世界」
2010年11月29日(月) 22:00~22:50


猫に鰹節

2010年11月21日 | Haiti
借りている家の大家が子猫を飼い出した。飼うといっても、大家は1年の多くを海外で過ごすので、一時帰国時にちょっとかわいがるぐらい。あとは留守を預かる使用人D氏が日々の面倒を見ており、彼の仕事が増えただけのような気がする。

と他人事のように見ていたが、物を食べていると寄ってきたり、たまに懐いてきたり、まあ悪くはない。大家がまだ名前をつけていないので勝手にハイチからとった「ハチ」と呼んでいる。こないだ試しに、日本から持ってきた鰹節をやったら、狂ったように勢いよく完食した。猫が鰹節を好きなのは万国共通なのだろうか。

Corail Murder(7) 49日

2010年11月18日 | Haiti
先月初めにCorail現場の近くで、うちのハイチ人技術職員Dが銃殺された。犯人はまだ見つかっていない。

事件直後は上司にレポートを書くことで精一杯で、それを日本語の活字に直すことはさらに辛かった。49日を迎えたこと、時間と心の余裕ができたことから、当時の記録を元に該当日に綴った。Dのご冥福を祈る。

まさか自分の身近にmurderが起こるとは考えたこともなかったが、この世界で生きていく限り、いずれは起こり得たこと。二度と同じような事を繰り返さないよう、スタッフの安全管理を徹底させる。

ご縁

2010年11月15日 | Haiti
ハイチの"マザーテレサ"とNHKで紹介されていたSさんが、レオガンから小生の事務所までわざわざ訪ねてきてくださった。彼女の活動のお話を伺い、農業学校建設用地に今もなお避難している被災者の行き場所を探すために、要点をまとめて担当者に紹介するという橋渡しの役目をした。

短い時間の中で、とても礼儀正しく、始終柔和な表情に垣間見える強さというかオーラを感じた。私との会合の前後にも、メールや電話できちんとお礼をくださる姿勢を、自分も見習いたいと強く感じた。

ブログでハイチの話を綴られています。
http://aosud.blog111.fc2.com

彼女の活動場所に時間を見つけていつか訪れたい。

コロンボも

2010年11月11日 | Weblog
浸かったらしい。

前職場の同僚から送られてきた写真。一晩で400ミリを超える降水量とのこと、そりゃ一帯が浸かっても不思議ではない。

TV取材

2010年11月08日 | Haiti
震災後の復興活動を撮影しに、日本からテレビカメラがやってきた。ニュース取材ではなくて、5分ほどの短編ドキュメンタリ-とのこと。

ハリケーンやコレラの影響で取材予定が大幅に変更され、こちらもハリケーンの前後でバタバタのまま撮影。キャスターのルー大柴氏がハリケーン直前に帰国されたので、対話形式で進める予定が登場人物は主に自分だけということに。

隠しマイクをつけられて(写真)、カメラの前でカメラさんの後ろに居るディレクターさんの質問に答える。つい、声のするカメラの方を向いてしまうのだが、カメラの方を向くとNGらしく、何回かやり直し。

被災者の方とどちらも真顔で答えては、笑顔が足りないとやり直し。ついて来てもらったうちのスタッフの話し声がうるさいとやり直し。隣家から聞こえてくるラジオがうるさいとやり直し。撮影中にカメラの前を地元の人が平然と横切ってやり直し。上空を飛行機が通り過ぎてやり直し。現場撮影の大変さを体験する。

日本での放映は来年らしい。

台風一過

2010年11月06日 | Haiti
ハリケーン・トーマス君は予定の進路をそれて、隣国キューバとハイチの間を抜けた。

首都ポルトー・プランスにハリケーンが来るといわれた昨日は気味が悪いくらい静かで、明け方に突然雨が降り出した。夜明けとともに雨は止んだのだけれど、当然の如く(いつも以上に)いたる所で冠水(写真)。これでは、コレラがやってきたら、防ぐのは相当難しい。

ハリケーン到来か

2010年11月04日 | Haiti
コレラ蔓延の次は(まだ終わってないが)、ハリケーン到来とハイチの人々をさらに苦しめる出来事が続く。国内に未だ1300以上ある避難所でその起こりうる被害に対応するために、ここ数日うちの機関も対応を迫られている。せっかくの休暇で養った鋭気も数時間でなくなった。

私の所属する仮設住宅建設チームは、竣工を前倒ししてテントに住む人々に入居してもらったり、工事中の屋根などの部材が飛んで周辺の人への怪我を防ぐことに精力を注いできた。

今日もある現場を訪れると、竣工していない仮設住宅に数家族が占拠。竣工前の入居は施工業者とのトラブルのもとで、絶対に避けたいのだが、幼子らを見ている(写真)と出て行けともいえず、「ハリケーンが通り過ぎたら出ていくように」と伝えて、見てみぬふりをする。経験上、業者との揉め事や被災者家族が居座り続ける事になるだろうが、仕方がない。

ハリケーンの状況は、国内ニュースのかわりに、数時間ごとに以下のサイトをチェックしている。
Stormpulse
少し進路が首都から逸れてきているので最悪の被害は免れそうだが、まだまだ油断できない

援助機関まで襲うハイチの絶望(雑誌記事)

2010年10月29日 | Haiti
(ハイチの)国外に居た方が、国内のことがよくわかる(別の見方ができる)こともあるのだなと、ニューズウィーク日本版の記事をみて納得。

『援助機関まで襲うハイチの絶望』

もっとニュースを読む習慣をつけないと。。。

Out of Haiti

2010年10月24日 | Panama
休暇をもらって国外に出ました。

さてこの街はどこでしょう?


追伸:ハイチで蔓延しつつあるコレラの発生と、私の出国とは全く関係ありません。ハイチの衛生環境が整っていない感染症の発生は、起こるべくして起こったともいえ、今回の惨事が一時的な騒動で終わらずに、継続的な環境改善をめざしてほしいです。

Corail Murder(6) 弔辞/memorial address

2010年10月16日 | Haiti
Dの葬式が約2週間後の今日(10月16日)行われた。姉弟の多いDには、パリやマイアミに住む親戚がいて、彼らの一時帰国を待って式が行われた。朝、ポルトー・プランスにある教会で賛美歌とともに式が行われ、うちの機関代表を含む50名ほどが出席した。

式の後、Dの遺体を埋葬するレオガン地区に車で移動した。埋葬する前に、最後の対面(ふさわしい日本語が思いつかない)が行われた(写真)。事件翌日の悲惨なDの表情とはうって変わり、白いスーツに身を包まれて安らかな表情で眠るDを見て、安堵した。

家族に求められて、弔辞を述べる。フランス語かクレオール語でできればよかったのだが、その場まで準備することさえも思いつかず、ハイチ人スタッフに英語から訳してもらう。Dの仕事振り、人柄、同僚らの悲しみ、Dが遺された家族をどこからか守っていること、などを言葉にした。

帰り際、レオガンにある出先事務所でポルトー・プランスからやってきた25名のスタッフと一緒に昼食をとり、誰が来月の大統領選挙に勝つかなど、わいわい言いながら帰ってきた。

不満の矛先

2010年10月15日 | Haiti
数々の国連機関やうちの事務所が入る敷地のゲート前で、抗議デモが行われた。何台かの車両がスプレーで落書きされた(写真)。 ”国連失せろ、出て行けNGO”とでも訳せるだろうか。本当はもっと汚い言葉らしい。

第三者が『復興支援にたずさわる外国人職員がハイチの復興のためのお金を盗んでいる』と、被災者をあおり彼らの不満の矛先を我々に向わせている。

ハイチの一般人には手の届かない高価な(安全な)車両を乗り回し、高価な(衛生的な)レストランで食事をする行為が、復興のお金を盗んでいると短絡的な発想を駆り立てているらしい。復興支援にたずさわる職員が、支援されるお金がきちんと使われているか監視していることは理解されていない。

復興支援金を効果的に使わない政府を批判せずに、国際機関職員を矛先にするのは、他国でも見られる現象だが、目の当たりにするとガックリする。来月末の大統領選挙に絡んで、きな臭い事件が増えてきた。

学校始まる

2010年10月14日 | Weblog
長い夏休みが終わり、10月4日からハイチの学校が始まる予定だった。が、最初の1週間はいろいろ準備があるようで、あまり子供らを見かけなかった。

今週に入り、制服姿の子供たちを登下校中によく見かけるようになると、この国も少しは機能しだしたのかなと前向きに思える。カメラを向けると、恥ずかしくて目も向けられず、なかったこととして通り過ぎる子供らと、カメラに向かってポーズを撮ってくれる子供ら(写真)と、どちらも愛らしい。

Never satisfied

2010年10月13日 | Haiti
竣工後に訪れた仮設住宅地で、被災者たちに囲まれる(写真)。

屋根と壁の隙間から雨が入る、戸の締りが悪い、窓の留め金がもろい、等々の注文というか不満の嵐。まずは、キャンプに住んでいる人への仮設住宅建設を優先することを理解してもらって、その場を引き上げる。

一般論を述べるには時期が早いだろうが、支援してもらって当たり前、納得するまで何度も不満を表わすハイチ人のこうした姿勢は、どこから来たのだろうか。政府や地主らが何もしないから、自分たちのことは自分たちで勝ち取るという気質なのだろうか。

Corail Murder(5) 脅迫

2010年10月12日 | Haiti
Dの奥さんと(通訳を交えて)、今後のこと、お葬式のこと、こちらができること、などを話す。8歳の息子と11歳の娘が、父親(Dのこと)が買ってくるはずのホットドッグを今も待っていると聞くと、胸がしめつけられる。

警察の調査や現場検証がほとんど進んでいない中、Dの奥さんの携帯電話に「次はお前だ」と非通知で電話が度々かかってくるらしい。Security担当者と相談した結果、犯人が遺族にことを荒立たせないようにしているのだろうという推測をする。Dが事件直前に乗っていたバスの乗客は運転手さえも、誰も目撃者として発言しようとしない。復讐を恐れているのか。