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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

被災者による震災被害の記録

2011年04月01日 | Japan
自分の出身地が大阪なので、今回の震災で被害にあったであろう知り合いは少ないのだが、その中でもずっと気になっていたW氏の震災関連記事ケンプラッツ(日経BP社のWebsite)で目にし、無事であったことに心の中で小躍りする。

被災しながらも記録を残し発信する姿に研究者の宿命を感じる。彼とは6年ほど前、代官山にある槇文彦氏設計の在日デンマーク大使館で、お互いが奨学金留学候補生として出会ってからのご縁。彼はオーフツで経験を積まれた後、仙台で設計と研究活動を続けておられる。一方の貴重な機会を辞退した自分は、スリランカの次はハイチと島流しの漂流生活をしている。

あの分岐点で、自分がデンマーク行きを選択していたら、どんな将来があっただろうかと、たまにふと思う時がある。


病欠

2011年03月30日 | Haiti
ハイチに転勤になってから、初めて体調を崩し、仕事を休む。単なる風邪なのだが、要は震災後から眠りが浅く、体力が回復していない当然の結果。

何十件というお見舞いメッセージに、8名のお見舞い自宅訪問とありがたいのだが、今日ぐらいはそっとしておいてほしいと言いかけて、思いとどめる。多くの同僚やスタッフらに大事にされていることに感謝する。

原稿依頼

2011年03月28日 | Haiti
某機関から「ハイチでの復興活動について」の執筆依頼を受けた数日後に、日本の東北地方を中心とした大震災が起こった。日本国内の現状を考えると、編集企画が変更されるかと思いきや、これまでの経験を綴って、日本の読者の方々に勇気を与えてくださいと、依頼が変更される。

日本とハイチのあまりにも違う住環境の差と、それぞれの震災後の復興について、自分には比較のしようがない。しかしながら、津波後のスリランカ、地震後のハイチで、どのような活動をし何を感じてきたかを素直に綴ることならできると、引き受けることにした。

事務所に戻る

2011年03月21日 | Haiti
前日の大統領選挙決選投票は予想に反して平穏に終わり、ハイチ事務所に戻る。日本の家族は大丈夫かと何十人ものスタッフから、声をかけてもらう。英語の話せない多くのドライバー達からも、お悔やみ(お見舞い?)メッセージ(写真)をもらい、気にかけてもらうことを有難いと思うと同時に、日本の災害が世界に与えた大影響を知る。

スリランカの元同僚や他国の知人らからも、不在時に安否を懸念するメールやSMSが数百と届いた。スリランカの津波やハイチの地震を経験した連中ばかりなので、他人事ではなかったのだろう。また、彼らの間で「ハイチ事務所に不在」=「日本に帰っている間に地震に遭遇」=「被災したので返事ができない」という憶測ができていたようで、そんなに心配してもらって心苦しいほどだった。

実際の仕事の方は集中できず、ほとんど手がつかない。

東北地方太平洋沖地震

2011年03月18日 | Japan
今週アメリカでは、東北地方太平洋沖地震の報道が至るところで行われていて、NHKのニュースもOn timeでネットやケーブルテレビで24時間見られる。どうにもこうにも気になって、ついつい見てしまう。

携帯端末や通信機器の発達した日本で撮られた震災や津波の被害の映像が、生々しくモニターに映し出され人々に訴えかける。何回見てもそれはそれは衝撃的で、しかもそれが母国で起こったこととなると、どうしようもなく辛くなる。それでも、本当の被災地の現状はマスコミが伝えられるような内容の比ではないだろうとた易く察することができ、それに対して自分は何ができるのか考える。

以下、ご参考までに。

県や市の職員向けの惨事ストレスマニュアル
報道人ストレス研究会 代表 松井豊(筑波大学人間総合科学研究科・教授)

日本にいる外国人のための情報
IOM駐日事務所

Pray for Japan

2011年03月15日 | United States


Higashi Honganji Buddhist Temple in Los Angeles



Cathedral of Our Lady of the Angels
Jose Rafael Moneo: Architect

東北大地震

2011年03月11日 | Japan
休暇でアメリカに来ている。日本での地震のニュースは昨夜寝る前に知ったが、夜が明けるてアメリカのテレビ局が流す地震後の被害や津波の画像を見ていると、その被害の大きさに愕然とする。死者や行方不明者の数は2桁台だが4桁まで増えるのではないか、そんな感じがする。今後、ひどい余震や2次災害が起こらないことを祈る。

海水浴

2011年02月27日 | Haiti
ポルトー・プランスから北西に車で約2時間、日帰りでホテル併設のビーチで泳いできた。忙殺された1週間から開放された1日だった。

座金と洗濯機

2011年02月17日 | Haiti
住宅や宿泊施設の不足を補うべく、うちの事務所が建てていたコンテナ・ハウスをこのところのPaP市内の物件市場の回復にともなって、事務所に転用することとなった。簡単な改修に当たり、必要なボルトや座金(Washer)の話をしていたつもりが、不要となった備え付けの洗濯機(同じくWasher)の話に変わり、つじつまがあわなくなる。そのことを気が付くのに約10分。

ちなみに日本語で「洗濯機(Sentakki)」と発音すれば、スペイン語で「ここに座ってください(Siento aquí)」と聞こえる。韓国語での「洗濯機(세탁기)」は表記は違うものの、発音は日本語とほぼ同じ。興味深い。

オデカケデスカ

2011年02月16日 | Haiti
シェルター部署、被災者選定チームのM君(写真)、誰かに似ている。

避難キャンプ

2011年02月11日 | Haiti
NYからの来客を機嫌よく仮設住居の現場に案内した後、避難キャンプを訪れる(写真)。被災後1年以上たっても、このような場所に住む人がハイチ国内に約80万人。吹田市と豊中市の全人口を合わせたよりも多い。衛生状態も悪くて、雨が降ればすぐ水浸しになる環境。住民はうちの機関が提供する仮設住宅を知っていて、何とか建ててほしいとせがまれる。といっても、彼らが本当に被災して家を失ったのかわからないし、土地の問題もあるし簡単には行かない。山積みの問題を前にため息が出た金曜の夕方だった。

誕生日ケーキ

2011年02月06日 | Haiti
職場の後輩の誕生日会を同僚宅で開催するにあたり、買い物係を担当した。ハイチでケーキを買うならここ!と、秘書の女の子に何十回と念を押されて買いに行った。

無事、店に到着したはいいものの、ケーキの種類がありすぎて迷う。同じように種類を検討している見知らぬマダム連中が助けてくれるかと思えば、彼女らの主観的なコメントを数分間頂いた後、「でも決めるのはあなたよ」と、あっけなく突き放された。

結局、写メールで秘書とやりとりした後、OKサインをもらって、ケーキに文字を入れてもらう(写真)。根気良く手伝ってくれた店のスタッフさんも写真に入ってもらったら、

秘書「ケーキはいいけど、この娘だれ?」
自分「親切だった店員」
秘書「店員は分かるけど、なんで写真に入っているの!」
自分「・・・。」(なんであかんのとは言えず)

最後に、失敗した。

ケーキは旨かった。

賀詞交換会

2011年02月05日 | Haiti
大使館主催の賀詞交換会にお呼ばれし参加してきた。40名近くの邦人が昼間に集まり、安全の手引き、自己紹介、そしてBBQ。半分はお会いしたことない人だった。

シスターSさんも来られていて、最近教育テレビで特集されたこともあって、参加者の人気が集まる。一段落したらご挨拶しようと思っていたら、先方から「○○さ~ん」とお声をかけて頂いた。恐縮した。

前回お手伝いした件のUpdateをした後、各方面からの取材に時間をとられて本業がままならないこと、取材自体はありがたいお話なのだけれど都合で断らなければならないこと、とにかくハイチに来たいという若者に「危ないから来るな」と言わざるを得ないこと、などなど共通の話題に花が咲いた。

失礼な表現になるかもしれないが、元気な時の自分の祖母と接しているように錯覚するほど懐かしさを強く感じた。

選挙経過の発表

2011年02月03日 | Haiti
昨晩あるはずの選挙結果の発表がないまま、治安の問題もなく平日出勤。今朝7時ごろに10秒ほどの公式発表があったという。なんやそれ。夜通し待っていた記者さんたちには気の毒である。決選投票は、3月20日とのこと。

今日は自宅待機だろうと思っていたので、夜更かしした分、一日が辛かった。苦笑

大統領選挙1次結果発表に備えて

2011年02月02日 | Haiti
本日夕方に発表されるであろう、2ヶ月近く延び延びになっていた大統領選挙1次結果発表に備えて、正確にはその後に起こるであろう暴動に備えて、「仕事を午後3時に切り上げて帰路につけ」指令が出たので、途中に食料の買出しをして明るいうちに自宅に着いた。

幸い電気もきているので、静かな環境で仕事ができるはずだが、夕暮れのまどろみを味わうべくベランダで少しのんびりする(写真)。どうか平和に事が過ぎ、明日は外出できますように。