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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

ハリケーン・サンディ(3)

2012年11月14日 | Haiti
ハリケーン・サンディの爪痕はひどく、ハイチ西部や南部の稲田や農地も多くやられたので、将来(来年以降)の食料不足への危機が騒がれている。

多くのハイチ人が出稼ぎや移住しているニュー・ヨークも大きな被害にあったので、ハイチに住む人々がニュー・ヨークの家族や親戚から見込んでいた仕送りをしばらくはあてにできなくなった。

さらにクリスマス・シーズンが近づき、失業者の多いハイチで金銭を稼ごうと、強盗などの事件が多発してきた。ほんまに悪循環や。

Adoption

2012年11月08日 | Haiti
KinshasaのCさんから、『兄夫婦が(ベルギーから)ハイチに1週間来るから、夕食でも誘ってあげて。よろしく』という1行メールがドミ共に行く前日に届いた。そんな急に言われてもと思いつつ、連絡してみると都合よく今日会うことが出来た。

養子N君をもらいに(事前からやり取りをしていた)孤児院を訪れに来られたそうで、仕事でも観光でもないハイチでの滞在の話を聞いた。ハイチでは会うことのない、地に足の着いた素敵な夫婦(危険地で活動していない人々)にお会いして、ほっとした。

養子をもらうことに関しては、彼らの中でいろんな議論や葛藤があったことと思うからあえて触れず、こちらの仕事の話や先方のブリュッセルで生活の話などで、あっという間に時間が過ぎた。Godmotherになる友人Cより先に私がN君に会ったことに、Cさんは悔しがっていた。クリスマス休暇で存分に遊んでください。

ハリケーン・サンディ(2)

2012年11月06日 | Haiti
ハイチには上陸しなかったハリケーン・サンディだが、長く降り続いた雨は地方(特に西部)で洪水を起こし、ハイチ国内の被害家屋は何万軒にも上るという。

統計の取り方や、家屋の定義(家といっても掘立小屋のようなものも数に入っているらしいので)に問題があり、正確な数は把握し切れていないが、「状況は予想以上にひどかった」ということらしい。

確かに被害が一番ひどい地域からの情報は後から入ってくるのが災害の常だが、国内の祝日が続いていたので、被害状況調査が後回しになった感は否めない。来週から国連が世界各国にハイチ洪水被害への支援を訴えることになった。

空港ターミナル

2012年11月05日 | Haiti
ハイチに戻ってきた。震災の被害を受けた空港ターミナルは、まだ修理中(写真)。

飛行場旅客ターミナル
2010年1月の震災で半壊していたポルトー・プランス飛行場の旅客ターミナルの復旧工事が遅れているとニュースでやっていた。1年10ヶ月後にしてこの状態。来年1月の2周年にはとうてい間...

のど自慢♪(2)

2012年11月03日 | Peru
入院していた友人Lの育ての母親Iさんが退院したので、少しだけお見舞いに訪れる。麻痺が残っているかと予想したが、思った以上に元気そう(と気丈に振舞ってもらっただけかもしれないが)で、日本語の会話を楽しむ。

戦前(第二次世界大戦の前)にペルーのリマで生まれ育ったIさん(日系2世)だが、当時の日本語学校で日本から赴任された先生に厳しく教育を受けたとのことで、自分がこれまで日本で接してきた何十名という80歳代の中でもダントツに美しい日本語を話される。海外在住だからと日本語表現がおろそかになりつつあっても努力しない自分は見習わねば。

夜10時15分になると、「そうそう、のど自慢が始まるのよ」とせかされて、NHK(ケーブル放送だと思う)の日本からの生放送を並んで見る。日本との時差は14時間。今週の放送は、祖母の故郷の愛媛県。西予市とは聞きなれない名前だなと思ったが、雑巾がけで有名な校舎のある宇和町とかが合併した市だそうで、最初の地元紹介をなるほどと見ながら、一緒に遠い日本に思いをはせた。

Casa de Aliaga

2012年11月03日 | Peru
せっかくだから観光でもしたらと、Casa de Aliaga(アリアガ邸)の見学を予約してもらったので見に行く。初めての路線バスで何とか大統領府までたどりつくも、アリアガ邸が見つからない。かなり近くまで来ているのだけれど、通りかかる人らとスペイン語の会話が今ひとつ成り立たず。どうしたもんかと思っていると、英語を話す旅行ガイドさんが観光中のご夫婦と偶然通りかかり、道を尋ねると彼らも今からそこに向かうところだった。

着いた先には、普通の木製の両扉があるだけの入り口で表示なし。両隣は普通のお店と、こんなところに知る人ぞ知る豪華な家があるのかと疑い始めながら、内階段を上っていくと、宮殿かと見まがうばかりの室内装飾と家具(写真)。アリアガ氏一族が今もこの場所に住んでおられて、住居内の一部(表玄関、居間、待合場所、1寝室、食堂、使用人用の教会など)だけが一般に公開されている。料金は30ソレ/人(約1,200円)なので(物価からするとかなり高い)、入場料で維持管理費を捻出しているのか、それとも、はした金は要らないけれどある程度の額にしないと入場者が多くなりすぎて困るかのどちらかと想像する。

案内はスペイン語だったのだけれど、一緒に入った英語を話す現地ガイドさんとそのご夫婦(オーストラリアから)が「一緒にどうぞ」と仰ってくれたので、合流して説明を堪能することが出来た。こうした家々は、ペルーが1821年にスペインから独立する際に、ペルーを支持した在住スペイン人がその恩恵として、資産を没収されなかったから現存するという。一般公開(要事前予約)されているのは、このアリアガ邸だけだが、リマ市内には同じような豪華絢爛な家が結構あるのだという。旧植民地国によくある話だ。

Casa de Aliaga

留守番

2012年11月02日 | Peru
帰路は空路のパナマ経由で帰国する(ハイチに)ので、連休を利用して、リマの友人Lを訪ねた。しかし、育ての母親が数日前に脳溢血で倒れたということで、友人は夜は病室で寝泊り中(事前に連絡してくれたら訪問を延期したのに、そこまで気が回らなかったらしい)。
その間、自宅を好きに使ってくれていいというので、本棚の書物を読んだり、CDを聞き漁ったり、台所で食べたいツマミを作ったりと言葉に甘える。それに飽きると、近所や海沿いを散歩して、御母堂の回復を願いながら、緩やかな時間を過ごす。

学び多き出張

2012年10月31日 | Dominican Republic
普段は一人で建設事業現場や当事国の担当者に会うことが多い出張だが、今回は大ボスGと営業周りなので、超新鮮。かつ、大ボスがどのように各国大使らと会話を進めていくか間近に見られて学ぶことが多し。

朝食から夕食までずっと一緒なので、仕事の話からたわいのない話まで、普段はアポを取らないと会えない大ボスとの時間が贅沢にいくらでもある。

終わりを迎えつつあるShelter事業の話になって、「過去2年間で4,000万米ドル(約32億円)の予算を執行するのがとても大変だったが、いいチームに恵まれて無事に終えることが出来そうです」と言うやいなや(謙遜ではなく本当にそう思ってきたのだが)、大ボスが「そんな時は、お前が完璧にmanagementして完了することができた、と言いなさい。自分が主張しないと、組織内では誰も認めてくれんぞ」と即答された。前々から、好意的な先輩方にも言われてきたのだが、国際機関で生き残る術らしい。日本人、というか自分にはどうも難しい戦術だ。

挨拶周り

2012年10月30日 | Dominican Republic
サント・ドミンゴに仕事で来たのは2010年3月以来。正確には、ハイチへの移動途中で通過しただけなので、きちんとうちのドミニカ共和国(ドミ共)事務所で仕事をしたのは、今回が初めてか。ハイチを管轄している大使館が、ハイチではなく隣国ドミ共にある国が多いので、大ボスとMさんと自分とで挨拶周り。

今日は二手に分かれて、自分は一人でK国大使館へ。対応して頂いた領事は以前、在日本K国大使館に3年勤務されていた経験があり、日本語で始まった挨拶はそのまま本題にも使われた。敬語や外交官特有の言い回しなど、私の日本語よりはるかにお上手で、恐縮してばかりだった。東日本大震災の時は、本国から救援で来られた100名強のスタッフと共に仙台まで向かったお話を伺うと、心から感謝の気持ちが湧いてきた。普段は逆の立場だけれど、被支援国の人々は自分を同じように思い感謝してもらっているのだと気がついた。本題の方も手応えをつかんだ会合だった。

普段着で歩いていると、現地人からお土産や店の呼び込みなど、毎分のように頻繁に声をかけられるが、スーツを着ているとタクシーの運転手ぐらいしか声をかけない。皆、誰彼なしに声かけるのではなく、よく見ているのだ。

スーパー・ウーマン

2012年10月29日 | Dominican Republic
新しい大ボスGのお供で隣国ドミニカ共和国へ陸路で出張。国境を超えたところで見かけたバスは、荷物が超満載(写真)。物価が安い『ドミ共(と業界人は呼ぶらしい)』で購入して、無理してでもハイチに持ち込のだろう。

同じく出張できた同僚Mさん(イタリア人・人身取引対策担当)は、語学万能。7時間ほどの移動中の車内では、英語で仕事の話し、時々仏語で冗談を言い、運転手にはクレール語で指示をする。ドミ共で迷った時には通りを歩いている人にスペイン語で道を尋ね、彼女の息子の面倒を見ている彼女の母(息子の祖母)にイタリア語で電話をしていた。さすがの大ボスも驚いたようでコメントすると、実は独語もできるとMさん。びっくりした。


台風一過

2012年10月28日 | Haiti
昨日から晴天が広がり、ずっと雨だった天気が嘘のよう。毎日暑い時は、暑い暑いと文句を言っていたのに、雨が降り続いたり涼しいが続くと、晴れるとほっとする。

例のハリケーン・サンディは北上し、アメリカ東海岸に接近中。ニュー・ヨーク市交通局に勤める友人によると、今日の午後7時から地下鉄やバスなど管轄内の公共交通網を一斉に運休するらしい。かなりの被害が出そうだ。

ハリケーン・サンディ

2012年10月25日 | Haiti
熱帯暴風雨からハリケーンと勢力を強めていったサンディは、23日火曜の午後からPort au Princeに強い風や雨をもたらし続けている。ジャマイカからキューバ、そして米国へと進路を辿り、ハイチにはかすりもしなかったのだが、これだけ雨が続いていると、地盤が緩まり大きな被害が出ることは必須。例のごとく、道路が川となり、全てのものを上流から流し続けている(写真)。

気温も20度を超えず、セーターを着ているハイチ人も見かける。確かに寒い。

紅葉

2012年10月19日 | United States
ワシントンDCまでやって来た(写真)。地球上に『秋』という季節があることを久しぶりに体感し、大いに食欲の秋を満喫した。

笑えない事実

2012年10月12日 | Haiti
Permanent Houseが完成して、被災者家族に譲渡した際に、あまりにも被災家族の世帯主のお母さんが嬉しそうでないので(写真)、なぜかとうちのスタッフに後日聞いてみた。彼らによると、

1.今まで政府や誰からにも、住まいに関して支援を受けたことがなかった。
2.想像していた以上に、素敵な家で驚いた。
3.うまい話に騙されているのではないかと、さらに疑い始めた。
4.うちの弁護士が来て自分に『権利』があることを教えてもらったが、使われた言葉が難解だった。
5.起こっていることが本当に現実なのか、理解に苦しんだ。
6.うちの機関の職員が大勢でつめかけたので緊張した。

これらを聞いて、いろいろ考えさせられた。Shelterの時はもっと嬉しさを表現する家族が多かったのだが、Houseとなれば事はもっと複雑になっていくのだろうなと多くを学んだ。また、こちらの気合度もかなり高かったので(失敗が許されないので)、事務・法的手続き時に被災家族へ必要以上にプレッシャーを与えていたのだろう。

数週間後に彼らの様子を見に行ってみよう。

Permanent House (4)

2012年10月11日 | Haiti
やっと竣工した。

いろいろできなかったことはあるけど、一応形になったのでよしとする。これから、非技術系の同僚や上司の意見を仰ぐ。

先月から、次のモデルについてスタッフ達と検討を始めた。例えば、今回は屋外に設置しているトイレ(予算の都合で既存トイレを改修)を家の中に設置したいのでけれど、そのためには水洗トイレを検討すべきで、

・水道がないのに、水をどう確保するか
・水があっても電気がない場合、2階のトイレにどうやって水を上げるか

といった事項が懸念され、被災者にトイレのために水汲みを強要できるか、という議論に行き着く。ハイチ人スタッフの意見を尊重したいところだが、同じハイチ人でも育った環境に大きな差があるので、彼らの意見の正当性を見極めるのが難しいところ。

いくつかのデザイン・バリエーションを準備しつつ、実際に住む被災者が確定された時点で、デザインを一緒に決めていく方向で進めることにする。