Kオジサンの気の向くまま

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歴史街道を歩く会 12月例会 下街道シリーズPart① 中山道大井宿からJR武並駅まで   中山道そして下(シタ)街道へ

2015年12月19日 23時18分48秒 | 歴史街道を歩く会

「歴史街道を歩く会」の12月例会に参加しました。今回は、恵那市の大井宿を「中山道かたりべ会」の方の案内で巡りました。その後は中山道を歩き、槇が根追分から下(シタ)街道を辿りました。
中山道を上街道と呼び、槇ヶ根追分から武並、釜戸、池田を通り抜け、名古屋とを結んでいた街道で、下街道と呼んでいました。今回、下街道で歩いたのは追分から武並までの短い区間でした。この自治体。中山道には力を入れているが、下街道には、力を入れていない。そんな感じがしました。


阿木川に掛かる大井橋のたもとに大井宿の案内看板の地図です。
大井宿には6箇所の枡形が有るのが特徴です。枡形が6箇所有ったのですが、通行が便利になるよう直線道路が付けられました。




中山道ぎふ17宿歩き旅から引用しました。
中山道かたりべの会の方の案内で大井宿を歩きました。その後、中山道を西に歩き、十三峠を越えました。槇ヶ根一里塚でランチタイム。その後は更に西へ進み槇ヶ根茶屋跡を過ぎて、槇ヶ根追分から下街道を辿ってJR武並駅に着きました。


JR恵那駅を目指して

JR那加駅です。7時55分発の美濃太田行きが入ってきました。
右は車内です。




車窓から。
右側に木曽川。日本ラインが見えます。




美濃太田駅からは太多線に乗車です。この列車。ワンマンカーです。
多治見駅が近付くにつれて、姫駅や小泉駅では多く、乗客が乗ってきました。




列車が多治見駅のホームに入って来ました。
中津川行きの快速です。
快速と言っても、多治見からは各駅停車となりました。




JR恵那駅に着きました。


JR恵那駅

駅に着くと、既に「中山道かたりべの会」の西尾さんが待っていました。



JR恵那駅前です。
駅前にメインの道路が南へ延びています。
その道路から駅に向かって振り返りました。




路面に埋め込まれた案内表示。
広重が描いた中山道の大井宿の浮世絵です。
本陣まで700メートルだという事が判ります。




阿木川のほとりに大井宿の地図が有ります。
西尾さんの説明が有りました。
川に掛かる橋は大井橋ですが、川の氾濫に寄り、度々流されたと話しました。
今のような1本の橋でなく、中洲に橋脚を設け、大橋と小橋の構造だったことを説明しています。



阿木川に掛かる大井橋を渡ります。
この橋には京から日本橋までの中山道69次の浮世絵の陶板プレートが貼り付けて有ります。




橋に設置してあった、説明板と大井宿の浮世絵です。
説明板に度々、橋が流されたと有ります。永久橋にしても流されています。
中山道の各、宿駅の浮世絵が掛かっています。特殊な技術が施して有るのでしょう。陽が当たっても色褪せない技術があります。橋のたもとには「手づくり郷土賞」と、建設大臣から表彰を受けています。




白木改番所がこの地の奥に有りました。
手作りのカードを掲げて説明しています。




白木番所跡の説明板です。
白木改番所の跡は、妻籠宿から馬籠宿までを歩いた時に目にしました。その時、尾張藩が木曽谷を領地として持っており、そこから産出するヒノキを統制していたのだと知りました。尾張藩の重大な財源です。ヒノキを盗み出したりすると、ヒノキ1本。首1本とか。死罪となった訳です。
当時、ヒノキを木曽川に流していた訳ですが、あの時に聞いた事が此処と結びつく事が面白いです。




市神神社へ来ました。
この神社では、1月7日に七日市が立ちます。




枡形になっていて、市神神社前で直角に折れます。
南へ向かって歩きます。

この時間。10時38分でした。
初冬の弱い日差しが射し、長い影を写します。


かつて庄屋だった古屋家の前を歩きます。
庄屋だった旧家ですが、此処の家屋にはウダツが有ります。




大井宿で何軒も旅篭がありましたが、今も営んでいるのは此処だけだと説明してくれました。角に有り、かつては角屋と言う屋号でしたが、いち川に変わっています。
避難路の出口となっていまして、ドアを開けた先には梯子が設けて有ります。上は引っ掛けて有るだけで、下は固定して有ります。非常の時は掛かっているのを外し、避難するのでしょう。




梅鉢の暖簾が下がっています。
お昼のメニュー。ミニ懐石が3000円。
朴葉みそ御膳が1500円です。




中山道を歩き、本陣跡へ向かいます。




本陣跡へ来ました。
枡形になっており、横断歩道の道路は、江戸時代の中山道の時は無かった部分です。
それが、交通で便利なように取り付けられた道です。




説明板と本陣跡。
石柱が新しいものですが、車がぶつかって破損し、新しいものとなったのだそうです。




本陣跡から恵那駅方面に向かって戻ります。
左側は電柱が有りますが、右側は撤去されていました。
電柱が撤去され、宿場町らしさが出ています。景色的にカーブミラーが邪魔ですが、交通安全の観点からは仕方無いですね。





まちかど美術館・博物館に入ります。



明治天皇行在所跡。
石柱が建っています。
この建物、まちかど美術館と一体化した建物です。









館内に入り、西尾さんが説明を続けてくれます。





ここは明治天皇がお泊りになったところです。
畳み敷き雪隠が有ります。




最後に、西尾さんが私たちを見送ってくれました。
ここ、まちなか美術館 お休み処は12月15日~1月15日までは休館なのですが、私たちのために特別に、開いていただけました。
中山道大井宿の案内とまちなか美術館で解説をして貰いました。かたりべの会はボランティアガイドで原則的には無料で案内しています。私たちのメンバーの中には、西尾さんと同じようにボランティアガイドを務める人が居ます。その人は中山道鵜沼宿で案内を務めています。鵜沼宿での対応と同様、大井宿も無料で案内して貰えましたが、お礼の意味で会長が手土産を持参して来ていました。
西尾さんのガイドは、その場所場所でカードを駆使したりして説明して貰えました。はっきりした声で説明していまして良く聞こえました。



左は中山道の路面です。アスファルトに砕石を混ぜた表面です。他の道とは異なる特徴があり、歩いていて、この道が中山道だと判りました。
右は中野村庄屋の跡です。旧家を眺めています。




中野観音堂の前まで来ました。




左。石碑に西行塚西へ一丁と刻まれています。
坂の先に見えるのが、中央線の踏切です。

右は踏み切りの上からで、恵那駅方面の眺めです。
遠くに冠雪した中央アルプスの山々が見えます。




踏切りを渡りました。
この先に西行塚が有ります。
西行硯水へは先ほど寄ってきました。




これから十三峠に差し掛かります。
登り坂の始まりです。
石畳で整備して有ります。




西行塚は、案内板には伝西行塚と書かれています。
この塚の前面には展望台が設けて有ります。
ここから恵那の市街が見下ろせます。




展望台からの眺望。
中央アルプスが見えます。



西行塚の近くに有った芭蕉の句碑。
石碑の字は読み難いですが、文面は「西行の  わらじもかかれ  松の露」となっているようです。
西行は平安時代から鎌倉時代にかけての人。芭蕉は江戸時代の人。松の露とはオシッコの事だと思います。わらじもかかれ、ですので連れションと言う事も考えられますが、違う時代の人どうし。
どんな意味なのだろう。




中山道の石畳を歩きます。
このあたりは古道の雰囲気が有ります。



十三峠の坂を登ってきました。
この先に一里塚が有ります。




槇ヶ根一里塚へ来ました。
この一里塚は南側のモノです。



こちらは北側の一里塚です。
立派な石碑と説明板が設置してあります。
街道の一里塚。多くの一里塚は道を挟んで2基の小山が盛られていましたが、多くは取り壊されています。
ここ、槇が根の一里塚のように南側と北側。
双方の一里塚が残っているところは珍しいです。




一里塚の周りにはトイレや休憩所が整備されていまして、公園のようになっています。
展望が利き、恵那山が見えました。



ランチタイムを終え、再び歩き始めます。




お喋りをしながら、中山道を歩きます。
何を話しているのでしょう。



槇が根立場の茶屋跡。
中山道を往来する人が多かった時は九戸の茶屋があったと書かれています。
今は道の横に広場が有るという感じで、この説明板が無かったら、この辺りに茶屋が有ったとは想像できません。



槇が根立場の説明板です。



中山道と下街道の追分です。
案内表示から左に降りていく道が下街道です。
ここから、中山道と別れ、下街道を歩きます。




下街道の説明板です。



下街道を歩きます。
まだ、新しい下街道の矢印の表示。
人が通らないためか、道幅が細くなっています。




枯れ草を踏みしめて歩きます。




下街道を歩きます。
初冬の弱い日差しが射しています。




下街道が国道19号線を横断します。
左のボックスカルバートは中央高速のモノです。
国道19号線と下街道が交差している訳です。
指示標識などが無く、この場所で下街道が横切っている事が判りません。




明治天皇が此処で小休止しました。その時が明治13年6月29日です。
先ほどの大井宿で泊まったのが6月28日でした。
明治天皇の足跡を辿った事が面白いです。




中央線の上り線を電気機関車の重蓮が走っていきました。
タンク車を牽引しています。
踏み切りで近寄って見た時、ガソリン車と見えました。
推測ですが、空のタンク車なのでしょう。
この辺りの中央線。下り線と上り線が離れています。歩いて来たのは線路の間の道です。かつては単線だったものが、新しく槇が根トンネルを設けた時に旧線のすぐ横に設けなかって離れてしまいました。
地形的な理由があったのかも知れません。




旧街道の雰囲気の有る道。
下街道を歩きます。
この時間は13時45分です。
初冬の日差し。影が長くなっています。




武並駅が見える場所まで歩いてきました。




中央線のガードを潜ったところ出す。
潜って、右に進めば武並駅。左に向かうと釜戸駅方面です。
この辺りも下街道の表示が全く、有りません。




左、武並駅が近付いてきました。
右は武並駅の駅舎です。




駅の案内板に表示していた、ウオーキングの案内図。
ここ、武並駅を出て中山道を歩き、恵那駅へ向かうコースを紹介しています。



名古屋行きの列車が入線してきました。
14時37分発の快速名古屋行きです。
快速と言っても、多治見までは各駅に停車します。


感想
今回、12月の例会。前半は大井宿を歩き、後半が中山道から下街道を歩くと言うものでした。中山道かたりべの会の方に大井宿を案内して貰って歩きました。明治天皇が大井宿泊まった所が、明治天皇行在所となっていて、明治13年6月28日となっていました。木曽路を2012年03月31日に歩きました。その時に落合宿で下の右側の石碑を目にしました。落合宿の本陣跡です。また、同年4月25日に木曽路を歩いた時が左側の石碑です。これらの石碑は、今回の大井宿の行在所に関連したものです。大井宿が6月28日ですので、それよりも少し前。6月20日前後に通ったのでしょう。かつて、歩いた道がこのように結びつく事が面白いです。



また、白木改番所が木曽川沿いに点在しました。最初に説明板を観たのは2012年04月25日に馬籠宿から妻籠宿にかけて歩きました。

この白木改番所跡の説明板は一石栃立場の直ぐ近くに設置して有りました。



こちらの白木改番所の説明板は中津川宿から馬籠宿へ、2013年03月17に歩いた時に目にしたものです。同じ白木改番所跡の説明板でも行政によって力の入れ方が異なります。明治天皇のお休み所のところでも、書きましたが、かつて行った所と、今、見学した場所が関連する事が歴史を知る面白さの1つです。
一石栃の白木改番所跡、そして中津川宿のはずれ、大井宿。尾州白木改番所跡は3箇所以外にも存在するのかも知れません。これら以外を探してみるのも、面白いかも知れません。

今回は、JR武並駅で終りとなりました。下街道は、この先瑞浪、多治見へと続き名古屋に向かって行きます。途中には内津峠が有ったりします。現在の国道19号線と並行しています。機会が有ったら踏破してみたいと思いました。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  忘年会

2015年12月18日 23時53分06秒 | ヒストリー各務野会

今日はヒストリー各務野会の忘年会でした。



忘年会の場所は各務原市鵜沼三ツ池町の「美濃の郷」各務原店です。



忘年会の開始に当たり、会長の挨拶です。
この1年念を振り返ります。



会長の挨拶の後、ビールで乾杯です。
今日のメンバーは男性ばかり、20名です。
呑む人、呑まない人、色々です。





お料理はマグロとアマエビのお刺身。
玉子焼きと酢の物、それに焼き魚です。
下の中央はモズクの酢の物でした。




向こう側がエビや野菜の天ぷらです。鉢は煮物でカボチャの下に豚肉の角煮です。
それに茶碗蒸しです。
御飯は小さい帆立貝の入った釜飯です。
それに赤ダシ、そしてゼリーが付いていました。




お酒をいただきました。
この酒杯のお酒、飛騨の酒。「奥飛騨」となっていますが、高木酒造のお酒です。
高木酒造は下呂市金山町の酒造メーカーです。
今年、夏に金山町へ筋骨めぐりで行った時に寄った酒蔵です。それで、奥飛騨は金山の高木酒造の酒だとは知っていました。ここ、美濃の郷はドライブイン飛山がコチラに出て来た店だと、人の噂を聞いた事が有りました。料理を運んで来てくれたおネーさんに聞きましたら、やはり金山から出て来た、ドライブイン飛山だと判明しました。東海北陸自動車道が出来、飛騨地方に向かうバスがドライブイン飛山へ寄らなくなりました。私が凄いと思うのは、店が没落する。そんな将来を見越して、金山から、岐阜や愛知へ出てきて店を構えたことです。美濃の郷は各務原店だけでなく可児店や小牧店など5店舗が有ります。
この先、店が没してしまうのを見越して、打って出た。その経営者の才覚が凄いと思います。

この時のお昼。
既に、先のところでお昼を食べていて、腹が膨れていまして、ビールや酒を呑んでもウマイとは感じませんでした。それに酒杯は進みませんでした。

この春に、ヒストリー各務野会に入れて貰いました。面白いと思ったのは、横浜の三渓園を作ったのが岐阜県の柳津町出身の原三渓だと知ったことです。それに、各務原市内の戦争遺跡を現地学習したことです。前度の矢熊山の山腹に飛行機の掩体壕が有ったことです。何時も近くを車で走っていましたが、あのような場所に掩体壕が有ったとは知りませんでした。勉強になりました。春に入会したばかりですが、知らないことを知る事が面白いです。

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彩美会  今日は絵の日でした。    その後は会食

2015年12月18日 23時31分07秒 | 彩美会

今日は第3金曜日。
絵の教室の有る日です。
各務原西ライフデザインセンターで、サークル活動としてやってやます。



教室の風景です。
みんな、黙々と絵筆を運んでいます。
時々は、シーンとした空気。
でも、大抵は、大らかと言うか、色々とお喋りしています。
ゆっくりと時間が流れていきます。


こちらは別の角度から。
黙々と描いています。


これは、私の作品。
今年の夏の終りに美ヶ原へ行って来ました。
その時に撮ってきた写真を元に仕上げました。99パーセント出来ました。
残りは美しの塔の窓に色を入れて完成です。
窓で、家の中の影となる部分です。
先生から色を教えて貰いました。プルシャンブルー+クリムソンレーキ。必要に応じてバーントアンバーをたす。
絵の世界。奥深いです。




絵のサークルの後。
会員同士で会食をしました。
会場は「げんそう」です。
岐阜県各務原市那加巾下町84-1
TEL 058-382-4058
http://www.gensou-inc.co.jp/

11時30分から客を受け入れます。




半年振りの会食です。
会食の前に、絵に付いてのお話しです。




メインのお料理として、お刺身それに玉子焼きやタコ。ゴマ豆腐。そして湯豆腐です。




グラタンと揚げ豆腐です。




揚げ物として、天ぷらです。
御飯は五穀米の御飯でした。
この後にコーヒーでした。




今日は、今年1年の最後の教室でした。
そんな意味からも、1年の締めくくりであります。

今年、1年。絵に取組んでくる事が出来ました。
取組むなどと、難しい事で無く、絵に触れる事が出来ました。
サークル発表会の他にも、ふれあい会館でも展示会を開く事が出来ました。
絵に取り組め、いい年でした。お世話くださった諸氏。有難うございました。

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青春18キップで京都へ   京都市美術館へ  フェルメールとレンブラント

2015年12月17日 22時44分14秒 | 絵画展

今、京都市美術館でフェルメールとレンブラントの絵の展覧会が開かれています。
このところ。美術展の開催情勢は、名古屋を飛ばしているような気がします。観たい絵が京都で観れる。それで京都まで脚を伸ばしました。
先日、青春18切符を使って京都に行きました。12月末に18切符を使う予定があります。それで、18切符は1枚余ることになります。1人で18切符を使い、京都市美術館に行って来ました。


快速列車が穂積駅を出て揖斐川の鉄橋にかかるところです。
車窓から虹が見えました。
虹が見えるということはロマンに結びつきますが、実際は時雨れて天候が荒れているということです。
窓の光が映ってしまいました。




大垣駅で乗り換えて米原行きに乗車しました。
最後部の列車に乗りました。画像は列車の後方です。
車内は空いていました。




米原駅に着きました。
姫路行きの新快速が2番ホームで待っています。
車内。米原駅を出たばかりの時です。
西に進むにつれて、乗客が有り、立っている人も出ました。

山科駅で下車し、昼食を取ってから地下鉄の東西線に乗りました。




地下鉄東西線の東山駅で下車しました。
ここから京都市美術館に向かいます。




東山駅の出口に上がってきました。




地下鉄の出口に出てきて、岡崎公園周辺案内図が目に留まりました。
これまでは、出口へ出て来ると、東に向かい神宮道を歩き、京都市美術館がに向かっていました。
「白川沿い平安神宮近道」。
こんな道が有ったのだー。
今まで、何回か京都市美術館へ来ていましたが、こんな道が有ることを知りませんでした。




白川沿いの道を歩きます。




白川沿い。
水の量が一定なのか、五輪塔の頭のような部分や瓦が置いてあります。




白川沿い。
川は深く有りません。




白川に掛かる橋。
堀池橋となっています。




金網の箱のようなものが有りました。
撮影した時は気が付きませんでしたが、魚を飼っているのでしょうか。




白川沿いの道。
葉が落ちた桜が見えます。
春に花が咲いたなら、見事だろうなと、想像します。




道沿いで。
塀に説明板が設けて有りました。
「水車の竹中みち」と名付けたと書かれています。




平安神宮の朱の大鳥居が見えるところまで来ました。
堰が有ります。




白川から取り入れている取水口です。




琵琶湖疏水から流れ出ている白川です。
琵琶湖疏水が市美術館の南を流れていることは知っていましたが、琵琶湖疏水から白川が流れでいることは知りませんでした。白川を知ることが出来ました。




神宮道の朱の橋。




橋の上から疎水を眺めます。
アオサギがゴイサギか。サギが居ます。




大きな朱の鳥居。




京都市美術館へ来ました。




壁面に主要作品を紹介しています。




フェルメールとレンブラント。
サブタイトルで、「17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」となっています。
世界劇場の女性はどう言う意味だろう。
今回の目玉。フェルメールの水差しを持つ女。





こちらは、もう1つの目玉。
レンブラントの「ベローナ」です。
通信販売の会社でベルーナというのが有ります。ベローナとベルーナ。ベローナとは戦の女神の意味です。読み方の違いなのか、意味が全く違うモノなのか。どうなんだろうと思います。




美術展の入口です。
これから入場します。
この先は撮影禁止となっていました。

「水差しを持つ女」と「ベローナ」が目玉の作品ですが、他の作品は日本では、なじみの無い作品ばかりでした。ベローナと水差しの女。どちらも米国のメトロポリタンのモノです。2点を除く残りは、期待ハズレが多かったです。
解説板では、17世紀。つまり1600年代はオランダが海外へ進出し裕福に国になったと解説していました。そのような環境から多くの画家を輩出したのだろうと想像しました。

京阪三条駅へ。
市美術館を出て地下鉄東山駅から京都駅に向かうのは、何時も辿るコースです。今日は時間が有ることですし、三条から京阪で東福寺に向かい、奈良線で京都駅へ向かおうと思ったのです。18切符を持っていますので東福寺から京都駅までは18切符が通用します。したがって三条から東福寺までの乗車券を買えば済みます。




高山彦九郎の像。
三条にこのような像が有ったとは知りませんでした。
この像。初めて観ました。




高山彦九郎の像の説明板。




13:55
京阪電車三条駅。
これから地下駅へ降ります。



13:58。13:59。
三条駅のプラットホームに停車していたのは淀屋橋行きの準急です。
東福寺に向かうのですが、準急が東福寺に停車するのか、わかりませんでして、乗車口近くに座っていた女性に東福寺駅に停車するかと尋ねました。
右は動き出した車内です。




14:06
京阪電車の東福寺駅です。
淀屋橋行きの準急に乗っていました。




14:09。
東福寺駅を14時09分に出る、みやこ路快速です。
この列車に乗車します。




14:12。
京都駅、8番ホームに着きました。




14:28。
京都駅の1番ホームと2番ホームの間の線路を貨物列車が通過して行きます。
目の前を通過していった貨物列車ですが、この貨物列車は草津駅で退避線に退避していて、追い抜いて行きました。それでも新快速が米原駅に着くと、ここで追い越していきました。
快速列車と貨物列車。抜きつ抜かれつしたのです。




14:30
14時30分発の長浜行きです。
この列車、新型車両でした。車内にモニター表示が有りまして、列車が停止する駅名が感じとローマ字で交互に表示していました。




今回の京都。
地下鉄東山駅から烏丸御池駅を経由して京都駅に向かうよりも、京阪に乗ったりして変化を付けて京都駅に向かう事が出来ました。
また、疎水から流れ出る白川を知る事が出来たのは新しい発見です。
絵を見に行ったのですが、2点が目玉だけで、他の作品は期待ハズレでした。それにフェルメールの作品でも、他のフェルメール作品に比べれば見劣りする作品でした。

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かにタク 言ったもん勝ち

2015年12月14日 19時49分45秒 | 日記

「かにタク 言ったもん勝ち」から、魔除けストラップが届きました。11日金曜日「Kオジサンの気の向くまま」で書きました魔除けストラップが、今日届きました。


東海ラジオから送られてきた封筒です。



「クイズ なんかへんだがや~」で、応募して当選しました。




送られて来た魔除けストラップです。
左は蟹江さん。右はタクマさん。
真ん中は誰なのだろう。
ストラップを見せた、カミさんも、コウ言っていました。

1000人以上の回答者が有って当たりました。
この幸運。年末ジャンボに通用すると良いと思います。


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青春18キップで京都へ   京都・嵐山花灯路 2015

2015年12月13日 23時31分46秒 | 京都へ

我が家からJR嵯峨嵐山駅までは2時間半程で行けます。少し時間が掛かりますが、青春18キップを使って行くとお値打ちに出掛けることができます。嵐山花灯路のイベントは、今年3月に東山花灯路で出かけまして、嵐山でも花灯路が有ると知ったのです。
東山花灯路へ出かけた時は、嵐山花灯路が終わった時期であり、次は嵐山花灯路に行って見たいと思いました。次男夫婦が京都に住んでいます。連絡を取り、二男夫婦と一緒に嵐山花灯路のコースを歩いてきました。

京都嵐山花灯路 2015は下記のサイトで見ることが出来ます。
http://www.hanatouro.jp/arashiyama/
花灯路は12月20日まで開かれています。



京都嵐山花灯路2015のパンフです。
JR嵯峨嵐山駅の案内所で貰いました。




京都嵐山花灯路の散策マップです。
JR嵯峨嵐山駅の北口に下車し、丸太町通りを歩き、嵯峨方面に向かいました。


京都駅です。
琵琶湖線のホームから嵯峨野線のホームへ向かいます。
16時17分発の園部行きが待っています。
ホームが離れていますので、少し急ぎました。




嵯峨嵐山駅に着きました。
エスカレータで上がります。
この着物の女性たち。車内で見かけた人たちです。




嵯峨嵐山駅の改札口です。
息子夫婦は二条駅から、同じ列車に乗車していました。
改札口の外で待っていてくれました。




北口方面に出ました。




丸太町通りを西へ歩きます。




竹藪の横を人力車が走ってきます。



竹藪の横で明かりの点灯を待ちます。
左は16時56分。もう直ぐつきます。右は点灯したところです。17時00分。



一列に並ぶ灯り。ロームと呼ぶようです。
並ぶ、ロームに明かりが灯りました。





日本一ちっちゃな美術館の有る交差点。
ここへは後で戻って来ますが、ここから落柿舎の方向に向かいます。




道路端。無人販売でゆずを売っています。




ロームの明かり。
まだ、薄暮の状態です。




ロームの点灯前と、点灯後です。




落柿舎へ向かう道です。




落柿舎の隣のうどん屋さん。
垣根越しに見えました。




落柿舎の前です。
パンフには黄金の柿屏風と書かれています。嵯峨芸術大学制作となっています。
地面に落ちた柿も表現しています。




屏風の上の柿ですが、下からライトアップしています。




屏風の全景です。
右側は男性がカメラを構えていました。




この場所の昼の姿です。
11.12.03にこの場所へ訪れました。




北に向かって歩きます。


長神の社

長神の社です。
これから入ります。




長神の社の入口の案内看板です。
ここで、長神の社のライトアップ。コトノハ行灯。恋灯ろうが行われています。
この場所、長神の社に入ります。




京都いけばな協会による いけばなプロムナードです。
製作者の名が松月堂古流 植松賞月となっています。




左は創作行灯デザインコンペの第1回最優秀賞の作品「洛花灯」です。
右は第6回最優秀賞の作品「京人」です。



小倉百人一首の解説プレートと石碑をライトアップしています。



解説プレートと石碑です。
百人一首ですが全ての歌の石碑が設けられているのではなく、代表的なものが設置して有りました。



長神の社のライトアップです。



石垣の上にはコトノハ行灯が有ります。



コトノハ行灯です。
会期が始まったのが11日でして、始まったばかりです。
花灯路へのメッセージなどを紅葉型のシールに書いて大型行灯に貼り付ける来場者の参加型のイベントです。
4人とも、メッセージを書き貼り付けてきました。




長神の社を周回して、いけばなプロムナードが設置して有る場所に戻ってきました。



落柿舎の方角に向かって歩きます。




落柿舎の西側に有る店です。
雛人形が飾られています。カミさんが見に行きました。




土偶や土人形が飾られています。




上の写真の店の昼間の姿です。
コチラの画像も11.12.03に訪れた時のものです。
この時は、行灯などが展示して有ることに気づきませんでした。



土人形の店から落柿舎の方向を見ました。
コーナーに行灯が設けて有ります。




常寂光寺に向かいました。
モミジをライトアップしています。
ミンナが見上げ、カメラに収めています。




常寂光寺の参道です。
常寂光寺から竹林の小径へ向かおうとしたのですが、一方通行でして、行けませんでした。
行けなかったので引き返します。


竹林の散策路

画像が見難いですが、竹林の散策路となっています。




竹林の中です。




この場所、ライトアップした竹林の景色を楽しめます。




ここでは「えびすけ」との記念撮影が出来ました。
何人も待ち、列となっていました。



竹林の散策路で、人が写っていない、好い写真が取れました。




竹林の散策路から出て野宮神社に向かいます。
ここは嵯峨野線の踏切です。




ライトアップされた竹林を見上げます。



竹林の横の道。
凄い人です。
野宮神社から竹林の小径に行きたかったのです。竹林の小径は一方通行で、少し行って引き返したかったのですが、それが無理と言うことで、断念しました。




竹林の中の紅葉したモミジ。
ライトアップしています。



ロームの明かりが灯る道を進みます。




間も無く、長辻通りに出る場所です。
団子やが目に入りました。
何と言う店か判りませんが、地図では古都芋本舗となっています。




みたらし団子を買いました。




長辻通りに出ました。
沢山の人が歩いています。
一方通行になっているのか、バスが来たりしていました。


嵯峨とうふ 稲 北店

嵯峨とうふ 稲に入ります。
http://www.kyo-ine.com/



案内されて通されたのが2階です。
私が注文したのは京湯葉あんかけ御膳です。
息子は嵐山御膳、カミさんと嫁は手桶くみあげ湯葉午前を注文しました。
湯葉のあじがよかったて




稲から外に出て長辻通りを歩きます。
人力車が走っています。





渡月橋に来ました。
沢山の人が歩いています。
混雑していますので、橋の端っこを少しだけ歩き、引き返しました。


対岸の光が見えます。
中之島公園辺りでしょう。
沢山の人で混雑していることでしょう。




桂川の川岸を歩きました。
渡月橋をライトアップしていました。



嵯峨嵐山駅に戻る途中、きものレンタルの店の前を通りました。
今は、ひっそりとしています。
夕方、灯が点灯する頃は、多くの客が来ていたことでしょう。





嵯峨嵐山駅が見える所まで戻ってきました。




嵯峨嵐山駅まで来ました。




嵯峨嵐山駅のコンコースです。
ここは自由通路となっています。



最後に
嵯峨嵐山駅から北口に出て、落柿舎や常寂光寺方面に向かって歩きました。この辺りを散策して常寂光寺から竹林の小径へ行こうと考えていましたが、一方通行となっていて向かうことが出来ませんでした。嵯峨嵐山駅で降りて私たちは北口に向かいましたが、多くの人は南口に向かいました。南口から渡月橋の方面に向かった事と思います。竹林が一方通行となっていることを事前に調べておくべきだったかも知れません。中之島公園がメインの会場です。渡月橋を渡り、公園に行けば良かったかも知れません。
17時が点灯時間です。渡月橋がパッとライトアップされた瞬間。歓声が上がった事と思います。
私たちは直接、常寂光寺方面へ行きましたので、まだ混雑し始める前でして、ゆったりとした雰囲気を感じました。竹林の小径を歩くことは出来ませんでした。下から竹を照らしているのは見ることが出来ませんでしたが、その場所に行っても、人が多く喧騒な雰囲気だった事でしょう。




東山灯花路では高台寺でプロジェクション・マッピングが有りました。この嵐山灯花路でも、同じようなものがあるのだろうかと思いました。プロジェクション・マッピングでは無いかもしれませんが、法輪寺で、光を使い、ステージの催しが有ります。


東山灯花路では二年坂とか産寧坂の道の両側に店が並び華やかさが有りました。嵐山花灯路では店が並んでいるのが、長辻通りだけだと思います。それで、地味に感じてしまうのかも知れません。
東山灯花路は三月に開催されます。そしてここ、嵐山灯花路は十二月の開催です。灯りを彩るローム。これは共通して使っているのでしょう。

今回は息子夫婦と一緒に嵐山花灯路のコースを歩くことが出来ました。竹林の小径は一方通行となっていて歩くことが出来ませんでしたが、落柿舎や常寂光寺方面で、まだ、混雑が始まっていない時間に歩き、花灯路の雰囲気を味わうことが出来ました。特に、コトノハ行灯にメッセージを書くことが出来ました。
息子夫婦と一緒に夕食を取りました。息子とお酒が呑めたのも良かったです。

3月に東山花灯路で出かけた時のものです。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/ed0706d5ed3b0514326d80c0790cb578

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ラグビー観戦   トヨタ自動車ヴェルブリッツ VS NECグリーンロケッツ

2015年12月12日 22時00分26秒 | スポーツ観戦

トヨタとNECのラグビーの試合が、トヨタスタジアムで有りまして行って来ました。
今日は、久し振りのトヨタスタジアムでの観戦です。
トップリーグの試合観戦。今シーズン、初めてです。
実は、11月14日にトヨタとジュビロの試合観戦に行く予定でした。トヨタのファンクラブに入っていますが、例の五郎丸人気でチケットが貰えない事となり、今日の日の観戦となりました。



豊田スタジアムに向かいます。
左は美しい姿をした豊田大橋です。



豊田スタジアムに入りました。
左は大きな屋根で、スライド式になっているのでしょう。
右は大きなスタンドです。



試合開始です。
両軍の選手が入場してきます。



トヨタの攻撃1



トヨタの攻撃2



トヨタの攻撃3



トヨタの攻撃4
前半戦の1場面です。
ボールが空中に浮かんでいます。
トヨタが押し気味に試合を進めていましたが、決定力に欠け、前半戦、ノートライでした。



1枚の写真ですが、ズームレンズで撮影しました。
迫力有るシーンを撮れました。



レフリーは外国人でした。



ハーフタイム。
自分のマスコットを観客席に投げ込むライガーです。



後半戦。
最初のトライです。
モールの間をスルスルと抜けてトライです。



こちらはスクラムトライのシーンです。
14時20分
左はトライしてレフリーが手を挙げています。
同じトライですが、右は反対方向からです。トライなのか、否か判らない状態です。



試合結果です。

今日はカミさんとラグビー観戦でした。
カミさんにとって、トヨタスタジアムでの観戦は、初めての観戦でした。
前半戦は両チーム共に、PGで3点づつの得点でした。
前半線。トヨタが、再三NEC陣地に攻め込んでいたのですが、決定力に欠けました。

見ていて、歯がゆい感じのする試合内容で、後半戦で、ようやくと言った試合内容でした。
NEC側で見ていて、目の前にトヨタが攻撃して来ていたのです。
後半戦。10分にトヨタがトライを挙げました。やっと、エンジンが掛かったという感じです。
この後はトヨタが立て続けに3本のトライを決め、トヨタの勝利でした。

迫力有るトップリーグの試合が真近かに見る事が出来ました。


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かにタク 言ったもん勝ち

2015年12月11日 11時21分51秒 | 日記

今日、ラジオを聞きながらプログを執筆していました。
「かにタク 言ったもん勝ち」を聞きながらやっていたのです。

http://www.tokairadio.co.jp/program/kanitaku/

その番組の中で、ニュースを取上げ、一部に誤りがある。
その誤りを指摘するというものでした。
今日の誤りは五郎丸のところが誤りで、「三郎丸」が違うという答えでした。
メールで応募したところ。当たりました。
応募者は1000何人だそうです。千分の1.


これまで、数回応募した事が有ります。タマにメールして当たりました。
凄いことでした。
今週は応募者に「ツクネ」が当たることになっていました。
出来ることなら、ツクネが当たると良かったです。

コメント (2)
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各務原各務原歩こう会   忘年会 そしてカラオケ

2015年12月08日 21時21分31秒 | 山の仲間と 懇親会

今日は歩こう会の忘年会の日でした。
一年の反省。
あんな事が有った。こんな事があった。
天候不順で中止したことも有りました。
私がリーダーを勤めたので、豊橋自然歩道で、コースを間違えました。
それに、先月、下山して来るのが遅くなり、ヒヤヒヤものでした。

今日は今年一年の締めくくりでした。


忘年会

会長の挨拶です。



こちらはH先生。
50年かかっての完登だそうです。
9月26日に朝日だけに登って、達成です。
1つの事柄を成し遂げるのに、期限は関係ないかもしれません。
完登おめでとうございます。




忘年会の会場は「ちとせ」です。





今日のお料理です。

歩こう会のメンバーの一人に今日が誕生日だという人が居ました。
78歳になったのだそうです。
これからも健康で山登りを続けてと、思います。


カラオケ

二次会でカラオケに行きました。







お酒がタップリ有りました。

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12/2、大曽根駅前探訪 「巨大地下雨水調整池を見学する」

2015年12月02日 22時17分53秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやの12月例会に参加しました。今回は名古屋市北区大曽根で、大曽根駅前を訪ねるものです。
大抵の人なら、駅前の地中に巨大な地下の雨水調整池が有るとは知りません。そのような巨大雨水調整池が大曽根駅の駅前地下に有り、見学することができました。普通なら見学できないような施設の裏側を公開して貰えました。対応してくれたのは名古屋市上下水道局名城水処理センターの3人の職員です。普段は無人の施設ですが、私たちのためにわざわざ便宜を図って貰えました。


大曽根駅前。
この広い場所の地下に雨水調整池が有ります。
地下に有りますので、この状況からは、全く想像出来ません。




集合場所は大曽根駅となっていました。
水処理センターの澤山さんがわざわざ迎えに来てくれました。
案内されて大曽根雨水調整池の入口へ向かいます。





私たちを迎えに来てくれた人の他にも、名城水処理センターの職員の方が入口で迎えてくれました。
この場所。
普段は無人の場所です。





入口から入り、階段を下へ下へと降りて行きます。





配電盤の有るコントロールルームを通っていきます。





広い部屋に通され、コチラでレクチャーを受けます。





説明してくれるのは先程、迎えに来てくれた澤山さんです。





大曽根駅前の地図です。
調整池へは南側と北側から雨水が流れ込みます。
綺麗な雨水は堀川に流され、砂利や砂、落ち葉などを含んだ汚水は名城水処理センターへ送られます。
北と南の範囲は聞き漏らしましたが、東は砂田橋。西は平安通りまでの範囲で、300ヘクタールの面積をカバーしているそうです。




大曽根雨水調整池(地下施設)イメージ図。
大曽根駅前に駅前広場が広がり、その地下に地下通路、自転車駐車場、集客施設があります。B2は地下駐車場となっています。その下が雨水調整池です。地表からの深さが28.5メートルとなっています。

この雨水調整池は、通常は無人で、常時自動制御となっていて、雨の時は遠隔操作していると説明してくれました。調整池に雨水が入るのは、年間で7回から8回程だと言っていました。
今回、晴天でしたが、雨が降っていたりする天候の下では見学が断られる可能性が有りました。




調整池の構造概要です。
左側は北部幹線と北部第二幹線から流れ込みます。
右側は東部・西部幹線からの流入です。調整池にはA池、B池、C池となっていて、B池、C池は火核的綺麗な雨水で天候が回復してから徐々に堀川へ放流されます。A池は砂利や砂などを含む汚水で名城水処理センターにポンプで送られます。
Mさんがここの総工費を聞きました。391億円だそうです。地下駐車場を含めたりして膨大な金額なったのでしょう。
着工が平成8年で完成が平成18年だと説明が有りました。10年の歳月を要しました。単純に捉えても、毎年30億円余りの予算が使われたのでしょう。現地の測量、そして設計。その後に工事にかかります。場合によっては立ち退きが有ったのかも知れません。この工事のために起債し、進めてきたことと思います。大きな事業だったと言えます。




説明が終わり、白いヘルメットを着用して現場を見学します。




現場に入りました。
白いヘルメットが私たちです。見学者用に備えて有りました。
黄色いヘルメットが案内してくださった職員の方々です。




こちらは巨大な雨水の調整池です。
照明の必要無い場所ですので、照明が有りません。底が見え無いような深さです。
光源が無く、シャッターを切るのに苦労しました。
右は手摺が有り、更に深く降りて行く階段です。




深い調整池を覗き込みます。





ポンプ室に来ました。




巨大なモーターが見えます。
その下には大きなポンプが着いています。
このポンプで雨水を流します。




職員に詳しく、質問しています。




太い鉄管。
雨水排水管と汚水排水管です。




太いパイプです。
ポンプで外部に送出します。




下にモーターとポンプが見えます。





1号フラッシュバルブ。
送出する度合を計器がパーセントで表示します。
このようなフラッシュバルブがズラーと並んでいます。
全部で28基並んでいます。構造的には、調整池が28個の枡に分かれているのでしょう。



フラッシュバルブがズラーと並んでいます。
歩きながら職員に質問しています。




最後に。
先程、ヘルメットを借りた場所に戻ってきました。
そして、ここへ来場した時に見かけたコントロールルームのパネルです。





パネルをアップで写しました。
この施設内に、フラッシュバルブが28基並んでいることや、A池、B池、C池となっている事が良く判ります。




資料として頂きました。
大曽根雨水調整池の施設概要です。長さが150メートル。幅は50メートル。貯留池容量が34,000立方メートルとなっています。
大規模な雨水調整池。
駅前の地下の隠れた場所に有りました。



見学を終えて
誰かが言っていました。「床上浸水なら、床下浸水に。床下浸水なら・・・・無しに・・」。これまで浸水被害に有っていた地域が、この施設が活躍することで、少しでも浸水被害の軽減に繋がるという意味でした。
供え有れば憂い無しと申します。この施設が稼動するような場面が有って欲しくないですが、万が一の時には頼りになる存在です。
「都会の隠れた安心を見た」そんな印象がしました。
今回も、有意義な見学でした。

見学の関連性が面白いです。
ゆうゆうなごやで今年、6月18日に堀留水処理センターを見学しました。いわゆる汚水処理場です。
今回、説明を担当してくれたのは名城水処理センターの職員でした。組織は異なりますが、同じ名古屋市下水道局の組織内部となります。雨水調整池から名城水処理センターへ汚水を送っていました。
この施設から送った汚水が、以前に見学したと同様の施設に送られていると考察する事が面白いです。


下の写真は大曽根雨水調整池の施設入口で目にしたものです。フェンスの向こう側の壁に有りましたが、大きさが小規模で目立ちません。市民にこの施設を周知させるために、もっと目に触れる場所で大きなプレートを設置したらと思いました。
出来ることなら、補助金、起債、市費などの財源を明記し、構造の説明も有ると良いと思います。
税金がこのような施設に使われていることをPRするためにも。





ランチタイムで

見学が終了し、昼食で大曽根嘉文に向かいました。




左は私が注文したランチで、右はMさんが頼んだカツ丼です。カツ丼は510円とお値打ちでした。


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