今日、ヒストリー各務野会がありました。
講義のタイトルは「鵜沼朝日町の成り立ち」です。講師は谷内 朗さんです。谷内さんは濃尾・各務原地名文化研究会の副会長を勤められ、朝日町自治会連合会の会長を勤められました。
朝日町の歴史について講義をされました。
開会で挨拶される谷内さんです。
今日の講義の内容について話しておられます。
今回の資料です。
各務野台地で、100年前は誰も住んで居ないような土地でした。
そんな場所が大砲の演習地となりそして、飛行場へと変わりました。
朝日町の位置です。
航空自衛隊岐阜基地の東側。
今は西側が飛行場ですが、当時は東側にも飛行場が有りました。
飛行場だった朝日町の位置です。
大砲の演習地。
大砲の性能が向上し、遠くまで砲弾が届くようになってしまいました。
そんな演習地が飛行場に姿を変えていきました。
複葉機です。
埼玉県の所沢から移ってきました。
終戦直後の朝日町です。
米軍の航空写真で兵舎などが写っています。
ぺトンと言うのはコンクリートの土地です。そのコンクリート塊を掘り起す事から始まりました。そして、開墾なのですが、ここは台地で利水に苦労しました。
左が高山線の各務ケ原駅(かがみがはら)です。右は名鉄各務原線の名電各務ケ原駅(めいでんかがみがはら)です。
各務原市は、正式には「かかみがはらし」と読みます。「かかみがはらし」で変換すれば各務原市となります。
難読市の各務原市です。鉄道の駅名と市名が異なります。
各務原市は昭和38年に四町が合併して誕生しました。駅はその以前に有りました。市名を駅名に合わせる事が無かったのでこんな事が生じました。
なお、高校は各務原高校(かかみはらこうこう)読み方が違います。
感想
江戸時代は旗本の領地でした。そして陸軍の演習地となり、そして飛行場へとなりました。
終戦後、広大な荒地を開墾されました。開拓農協を運営し、各務原市農協への合併。そして都市化への波で、多くの住宅が立つという今日の状況に至りました。
パワーポイントを使って判り易く解説していただきました。
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