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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  「原 三渓の生涯と事蹟」

2015年07月10日 22時09分24秒 | ヒストリー各務野会

今日は金曜日で、ヒストリー各務野会の日でした。
今日の学習テーマは「原 三渓の生涯と事蹟」です。このタイトルを聞いたとき、あの横浜 本牧の三渓園に関係する人だとは知りませんでした。
後になって、先生の講義の中で判ってきました。
今日の講師は「尾関 孝彦」さんです。東濃実業高校。各務原高校の校長を勤められました。先生は柳津文化の里構想実行委員会の副会長を務めておられます。
講義の内容ですが、原 三渓は岐阜県羽島郡柳津町佐波村に、慶応4年に生まれました。その後、直ぐに明治元年と年号が変ってしまいました。
先生は昨年5月から6月にかけて岐阜新聞の素描蘭で「原 三渓」について執筆されました。原 三渓について研究しておられ、その事を元に話されたのです。三渓は、もともとは青木富太郎と言う名でした。羽島郡柳津町佐波(今は合併し、岐阜市柳津町です)から青雲の志を抱いて上京し、今日の早稲田大学の前身、東京専門学校に入学しました。
そして、横浜の生糸商原善三郎と知り合いました。縁、有って原の婿養子となりました。その後、経営手腕を発揮して家業を発展させました。実業界で敏腕を揮いましたが、政界には出なかったそうです。
先生が強調されたのは三渓の人物像です。実業家であり、日本画のコレクターで有り、又自分を日本画を描きました。そしてパトロンとなって、若い画家を援助しました。また茶人でも有りました。
なお、三渓は先生の祖母の兄に当る人で大叔父となるそうです。


今日の講義のレジメです。




講義が始まる前です。
先生が持参した資料を黒板に吊るします。




先生の略歴紹介と、岐阜新聞の素描に載った記事です。
素描覧には9回にワタって掲載されました。




今井先生が紹介する尾関先生です。




尾関先生が熱弁をふるいます。




休憩時間です。
心安く聴講生と会話を交わしていました。


最後に。
始め、タイトルに有った原 三渓。横浜の三渓園へ行った事が有りますが、その三渓園を造った人が原 三渓だとは知りませんでした。その三渓が岐阜県出身者だったのです。
先生も、岐阜県の人は三渓園は知っていても、三渓園を作った人が岐阜県の人だとは知らない人が多いと話していました。
あの三渓園が岐阜県出身の人が作ったものだと知る事が出来て良かったです。




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2 コメント

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Unknown (おこめ)
2015-07-12 09:14:59
原 三渓 岐阜市 地元の人です 原 三渓展が 歴史資料館で行われました。

偉大な人だということを知り 横浜の三渓園へ行きたいと思っています。

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原 三渓 (Kオジサン)
2015-07-12 13:42:48
おこめさん。
講義の中で講師が三渓の資料が歴史資料館に有ると触れていました。

横浜の三渓園へ若いときに行った事が有ります。あの三渓園を造った人が原 三渓と言う人で、岐阜県出身のヒトとは知りませんでした。

講義を聴講し、少し知識が深まりました。知らない事を知る事が面白いです。

ヒストリー各務野会と言う会の仲間に加えて貰いました。何れも、第一線を退いたような人たちですが、このように会を開いて学習をしています。その向学心が凄いと思います。

三渓園へは40年位前に行きました。
都会の中の庭園で三重の塔が有ったと言う印象しか残っていません。
再度、行ってみたいと思います。

コメント有難うございました。
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