Kオジサンの気の向くまま

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ムーンライトながら  運行終了

2021年01月26日 23時03分44秒 | 日記

23日の朝刊に「ムーンライトながら」の運行が終了と載っていました。20年3月29日がラストランとなっています。昨年運行して、今年も運行する計画だったかもしれない。でも、コロナ禍の時期で運行するのは難しいのかもしれない。
普通、ラストランとなると惜しまれて最後の運行するのだが、ムーンライトながらは、それが無いのが残念です。21年も運行する予定だったが、コロナ禍の時で急遽運行終了に梶を切ったのだろうか。
ムーンライトながらに確実に乗車したと言えるのは4回です。それ以上に乗っていたか否かハッキリしません。
大抵の列車が運行終了となると、駅にファンが溢れて最終列車を見送ったものですが、もう、そんな機会は有りません。座席指定券の入手が困難な人気列車でした。
それが突然の運行終了となり残念です。


23日の中日新聞朝刊。

2008年9月10日
08年9月に上野のフェルメール展を見に出かけました。その時、乗車したのが「ムーンライトながら」でした。下の写真の時刻は23時29分となっています。岐阜駅で撮影したものでしょう。ステンレスの車体のようですが、どの様な列車だったか記憶に有りません。
検索したら373系と言う車体でした。
朝5時過ぎに東京駅へ着き、その後早朝の鎌倉を散策。建長寺や円覚寺、明月院に行きました。東京へ戻り上野の美術館へ。その後は大宮の鉄道博物館に行きました。
あの時、18きっぷをフル活用しました。


岐阜駅のムーンライトながら。


2009年9月9日
沼津アルプスへ登りに出かけました。
どのような車両だったか覚えていませんが、下の写真は沼津駅に着いた時の物です。車体の色が「こだま号」の塗装でした。検索したら183・189系電車となっています。


ムーンライトながらの車内です。




「東京」行先表示です。
沼津駅で下車した時に撮影しました。




早朝の沼津駅のホームに着いた時の物です。
写真の時刻は3時4分となっています。
駅の中で仮眠してバスで登山口に向かいました。


2018年12月22日
最末期のムーンライトながらに使用されていたのは185系電車です。
特急踊り子号に使われていた車両です。

中山道の街道歩きをやっていた時にムーンライトながらに乗車しました。
東京駅へ5時5分に着きました。その後上野に向かい、高崎線へ。高崎から信越線で松井田駅へ向かいました。
松井田駅から中山道の街道歩きを再開しました。


岐阜駅の1番線ホームです。




ムーンライトながらが入ってきました。



ムーンライトながらを最後尾から撮りました。




車内です。
チラホラと乗客が居ますが、関西方面から普通列車で大垣まで来て、乗車したことも居たでしょう。


青春18きっぷの効果的な活用の仕方。
奥の切符が青春18きっぷです。
車内検察に回って来た車掌が23日のスタンプを押してくれました。
手前、右側は座席指定券です。ムーンライトながらは座席指定券が必要でした。
手前左は最寄駅から豊橋までの乗車券です。ムーンライトながらは豊橋駅の手前で日付が変わります。それが、22日分の乗車券です。


青春18きっぷと乗車券、座席指定券です。
18きっぷの1枚分2,370円+1,940円+520円=4,830円。
4,830円で東京まで行くことが出来て格安です。
ムーンライトながらが廃止になったと言う事は、このように青春18きっぷを使うことが出来なくなってしまいました。



名古屋駅に着きました。
沢山の人が載ってきます。




沼津駅のホームです。
運転停車で3時5分から3時19分まで停まります。




東京駅に着きました。
皆が列車の姿をカメラに収めています。
ピンボケでした。




私もムーンライトながらの顔をカメラに収めました。
もう、回送の表示に替わっています。


2019年3月17日
18年12月25日に熊谷駅で中山道の街道歩きを終わりにしましたので、その再開です。東京駅に着いてから熊谷駅へ向かいました。
熊谷駅で秩父鉄道熊谷駅に乗り換えて石原駅へ向かい、中山道の街道歩きを再開しました。


岐阜駅の時刻表示です。




ムーンライトながらが入線してきました。




臨時快速のベッドマークが付いています。



車内はほぼ満席です。
画像の時間表示は23時01分となっていますので、岐阜駅を発車したばかりの時間なのでしょう。大垣以西の人も含んでいます。そして、名古屋で満席となります。




東京駅の10番ホームに到着です。




行先表示を記念に撮影する人。




私も撮影しました。


2015年1月の時刻表

大垣から熱海までの時刻です。




熱海から東京までの時刻です。


最後に
何回か乗ったムーンライトながら。真夜中に走行していても車内の照度は落としません。何回か乗っていてアイマスクを付け、睡眠導入剤を服用したりして眠れるようになりました。こんなのも思い出の1つです。
ムーンライトながらは、この愛称が付く前は臨時大垣夜行と言う時代が有りました。そして、ムーンライトながらとなって定期運行となり、それが春夏冬期の季節臨時運行に替わりました。使用している車両も色々と変わりました。
そして、運行本数が減少していき、遂に運行終了を迎えました。
1つの鉄道史が終わった。そんな気がします。

コメント
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