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美しきロシアスペシャル 5日間  (旅の思い出 感想と考察編)

2017年06月25日 01時57分30秒 | 海外旅行

6月20日から24日までの5日間。ロシアに行ってきました。
20日はモスクワへ行く日でした。そして24日はサンクトぺテルブルグから帰って来る日でして、モスクワ1日。サンクトペテルブルグ2日の駆け足旅行でしたが、中身の濃い旅行でした。
旅行に行ってきて、ブログをアップさせました。
旅行を本番とすると、旅行後にプログに揚げるのは復習しているようなものでした。調べたり、旅の記憶を呼び起こしながら、漸くアップさせました。書いていて、何かと、色々の事を知る事が出来ました。それに、旅の思い出が甦ってきました。

ライラック
クレムリンの敷地内に入って、白っぽい花を見かけました。この花はライラックだろうと直感しました。ライラックを見るは初めてなのです。調べて、やはり、ライラックに間違いなかったです。
JR北海道に特急ライラックが有りますし、札幌ではライラックまつりが開かれるのを知っていました。
こうしてライラックの実物をシッカリと見るのは初めての事です。
ハイビスカスやブーゲンビリアは南国の花の代表選手です。ライラックは北国の花の代表選手の1つと言えるでしょう。長い冬から解き放たれて開花した花です。
ライラックから甘い香りが漂って来ていました。


クレムリンの敷地内で見かけました。
ライラックと母子。



こちらは22日に芸術広場で見かけたライラックです。
今の時期、広場などチョッとした場所でお目にかかれました。



5日間の天候
21日、22日、23日と3日続けて外へ朝の散歩に出掛けました。
3日間とも路面は濡れていました。夜のうちに雨が降ったのです。
それに21日に国内線でモスクワからサントペテルブルグへ向う時、搭乗する前の事でした。駐機している翼に激しく雨が当たっているのが見えました。
それが搭乗する時間には虹が姿を現していました。この辺りでは急に雨が降って来るような事が時々有るみたいです。でも、旅行中一度も傘の世話にはなりませんでした。
このようなことも、ラッキーだったと言えます。


モスクワのホテル。Hotel  ASTRUSのエレベーターの中に貼ってあった10日間の天気予報です。
上の部分がロシア語で下半分が英語の表記となっていました。
晴れ時々曇りのような天候が続きます。



21日の朝です。
早朝、ホテルから散歩に出ました。
歩道横の芝草を刈る作業員。
深夜に雨が降っていました。
その雨の名残。水溜りが有ります。




23日の朝。朝の散歩に出かけました。
水溜りが有ります。これも、前夜に雨が降ったのでしょう。
中国人2人が写真を撮り合っていました。トロイツキー大聖堂をバックにしてです。
シャッターを押しましょうかと声をかけたが、不要だとの返事。
中国人は2人の記念写真より、単独のポートレートを好むようである。
道路。1車線分は濡れています。これは散水車が通った跡なのです。何台かの散水車が運行しているのを見かけました。前夜に雨が降っても、道路が乾いていたら散水するようです。



24日の朝。
ホテルの窓からの眺望です。
前夜に雨が降ったのでしょう。
道路が濡れています。



21日の夕刻。
国内線でモスクワからサンクトペテルブルグへ向かうときの事です。
搭乗開始前。ジェット機に激しく雨が落ちていました。
こちらの画像は雨に打たれる前なのですが、遠方。尾翼の上に虹が見えました。


晴れ時々曇りのような天気予報でしたが、スコール的な雨が降ることがありました。5日間の旅行中、一度も傘をさす事は有りませんでした。
今から思うと、ラッキーだったと言えます。




白夜
ロシアへ行った時期が白夜の時期でした。
白夜と言うモノがどのようなモノなのか、知る事が出来ました。
薄暗い状況。
新聞が読める程の明るさと聞いていましたが、実際はもう少し暗いと感じました。でも、夜10時過ぎに太陽が没し、午前3時過ぎに日の出となります。太陽が早い時間に出てくる。コレが白夜なのだと体験できました。
緯度が更に高くなれば、太陽が沈まないのでしょう。


23日。0時15分です。
太陽が10時過ぎに沈み午前3時過ぎには上がって来ます。
22日にバスの中から橋の上に有った花火の打上げ装置から「白夜祭」が有る事を知りました。
ユーチューブの白夜祭の模様です。
https://www.youtube.com/watch?v=XevS-Nb9tk4
沢山の若者たち。
若者でないと会場へは入れないとガイドが話していました。
ガイドはこのイベントを卒業祭と言っていました。学校を卒業できた事の喜び。そう言った若者の感情が高まるのでしょう。あの宮殿広場が人で溢れています。


二人のガイド
モスクワではミハエルと言う鬚面の大男でした。
ミハエルには2人の娘があり日本へ留学して、自分よりも日本語が上手いと言っていました。
クレムリンのウスペンスキー寺院と武器庫の内部は撮影禁止となっていました。私たちに説明している最中でも横で、カメラで撮影している人を見かけると注意していました。ルールは守らなければならない事を、信念にしているように見えました。

クレムリンで説明するミハエル。


もう1人。
サンクトぺテルブルグの方はエリザベータと言うママさんガイドでした。男の子と双子の女の子の母親です。ロシアで子供3人と言うと、多いほうなのだと話していました。
ご主人は電車の製造関係の技術者です。
新婚旅行で日本へ来たと言っていました。

プルコヴォ空港(サンクト・ペテルブルク)に着きました。空港へ迎えに来ていたエリザベータ。
バスに乗り、車内で自己紹介を始めました。
車内の時刻表示が21時25分となっています。
このような時間でも暗くないです。



二つのホテル
モスクワのホテルはHotel  ASTRUS(アストルス)でした。33階建ての高層ホテルですが、建てられて時間が経っている。そんな感じのするホテルでした。
サンクトペテルブルグのホテルはAZIMUTO Hotel (アジムト)でした。こちらは19階建ての高さです。市の中心から離れているからこれだけの高さのホテルとなっています。中心地では高い建物が建設できないのだそうです。
いずれのホテルもミドルクラスだと思いました。バスタオルやフェイスタオルは有りましたが、それ以外のアメニティは何も無かったです。
余分な物を置かない。それを料金に反映させているのでしょう。
 AZIMUTOでは14階でした。眺望が良く、トロイツキー大聖堂が見えました。


モスクワのホテル Hotel  ASTRUS。
22日の朝、散歩に出た時に撮りました。



ホテルの部屋、19階の高さからの眺望です。
Hotel  ASTRUSはモスクワの中心から南東の位置に当たります。
こり画像では判り難いですが、中心地の高層ビル群が確認できました




サンクトペテルブルグのAZIMUTO Hotel 。
こちらは19階建ての高さです。



ホテルの窓からの眺望。
14階の部屋からは、トロイツキー大聖堂が見えました。





二都の比較 モスクワとサントペテルブルグの大河
モスクワ1日。サントペテルブルグ2日と短い期間でした。
モスクワにはモスクワ川が流れ、サントペテルブルグにはネヴァ川が流れています。サントペテルブルグのネヴァ川は河口近くで、海に注いでいます。
川の形状は異なっても、大河であることは共通していました。それに、大河であるので、何れの河も遊覧船が航行していました。
ネヴァ川は海に注ぐ寸前ですの川幅が広かったです。モスクワ川は、日本の川のように川原の石が見える川でなく、川岸からすぐに川になっていました。このような特徴の川を見るのも初めてでした。(ただ、日本では隅田川を見たことがあります)何れの川も大きな国の川と言うイメージがしました。
モスクワ川は市の中心部を蛇行する大きな川です。地図を見るとモスクワ川は蛇行している大きな川なのが判りました。
それから、ネヴァ川は河口近くとなっていて、もう直ぐ海に注ぎ出る大きな川です。
ガイドのエリザベータが説明してくれましたが、ネヴァ川に架かる大きな橋の殆どが跳ね橋だと言っていました。

バスの車窓から見えたモスクワ川。
遊覧船が航行しています。




バスの車窓から見えたモスクワ川。
高層のビルが見えますが、アパートだと説明していました。


サンクトペテルブルグの市内地図

ホテルに置いて有った中国語の地図です。自由に持って行く事が出来ました。
ネヴァ川の橋のほとんどが跳ね橋だとガイドが話していましたが、この地図でその事が判りました。
橋の開閉する時刻が書かれています。日中ですと渋滞が生じてしまいますので、深夜の時間帯に開閉するのでしょう。
機会が有ったら開いた跳ね橋を見てみたいです。



宮殿橋の上から眺めたネヴァ川。
長いボートのように見えるのは「白夜祭」の打上げ花火の設備です。




ネヴァ川を行く遊覧船。
乗客がデッキへ出てきています。




バスの車窓から見えたネヴァ川。
船員が船の掃除をしています。




二都の比較   トロリーバスと路面電車
モスクワとサントペテルブルグではトロリーバスと路面電車を度々、見かけました。
日本では珍しいトロリーバスです。路上に架線が張ってあり、どちらの都市でも、走行するバスを何度も見かけました。
また、路面電車を何度も見かけました。ぺテルゴフの夏の離宮へ向かう時には道路と路面電車が平行していました。
路面電車なのですが道路を走るのでなく、鉄道敷地となっていました。
モスクワでも空港に向かう道路と路面電車が平行していました。こちらも専用の鉄道敷をカラフルな電車が走っていました。
路線網が発達した両都市。環境に配慮した街だと言えるでしょう。

モスクワで見た路面電車とトロリーバスです。
色々のカラーの車体です。





こちらもモスクワのトロリーバスと路面電車です。


サンクトペテルブルグの市内電車の路線網

こちらもホテルに置いて有った持ち帰り自由の地図です。
上がロシア語。
下は英語の表記になっています。
市内電車の路線図で、裏面にはネヴァ川の遊覧船の運行図が載っていました。この地図を持参すると10パーセントオフになっていました。



こちらはサンクトペテルブルグのトロリーバスと路面電車です。
こちらの路面電車。女性運転士が運転しているのを見かけました。
男女比は判りませんが、かなりの女性が運転している事だと思います。



ホテル近くの電停です。
全部の扉を開けています。今は好いが、冬はどうなのだろうか。
右側通行となっています。
電車は右に向かって進行して行きます。




電停に停まる路面電車です。
こちらの電車は珍しい連接車です。
この道路、トロイツキー通りです。
右に進むとホテルへ戻れます。

サンクトペテルブルグのホテル近くに路面電車の電停が有りました。トロリーバスのバス停も有りました。電車とバスを探求するチャンスが少なかったので、しっかりと眺められなく、このような結果でした。
じっくりと電車を眺めれば、色々の電車と対面できるでしょう。
路面電車好きの人には堪らないでしょう。



二都   モスクワの教会。サンクトペテルブルグの教会
バスの車窓からモスクワの教会を何回も目にしました。また、サンクトペテルブルグでは朝に散歩に出かけてので、こちらも教会を見かけました。教会の建物を間近に見てその姿に荘厳さを感じました。
モスクワの教会

バスの車窓から。
21日にドモジェドモ空港に向かっている時に目にした教会です。
屋根のドームの色が綺麗です。




21日。
ホテルから見えた小さな教会です。
公園の中にあるようなイメージです。
右側。黄色の箱のようなもの。子供たちの遊具でしょう。

モスクワの中心地ではウスペンスキー大聖堂。イワン大帝の鐘楼。聖ワシリー寺院などを見かけました。名の判らない教会も目にしました。


サンクトペテルブルグの教会

セント・ニコラス聖堂です。
23日の朝、朝食の後に散歩で出かけました。
玉ねぎドームが金色です。



運河越しに見える教会。
GoogleではIsodoruskerkと表示している教会です。
工事中で全体が見えません。

 




トロイツキー大聖堂です。
正面から向き合いました。




バスの車窓から。
オブヴォノドヴォ・カナラ通りに面した教会。
Sunday school at the Church of the Resurrection。
日曜学校教会とでも呼ぶべきか。
ガイドは市民の浄財で工事して綺麗になったと話していました。
実際、この教会をGoogleで検索すると汚れた建物です。


二都の比較
大きな川。路面電車やトロリーバス。それに教会。
二都の似ている面を眺めました、
僅かな駆け足旅行でこれだけの類似点を見かけました。
じっくり見たら、もっと沢山似た箇所を見つけることでしょう



サントペテルブルグの街
サンクトペテルブルは教会と運河の町。そんな事も発見しました。運河が網のように縦横に発達していました。そのような状況から、北のベニスと呼ばれています。
ネギ坊主をした形の教会です。他の建物に比べて派手であり、余計に目立っていました。ホテルの窓から教会が見えました。教会が多い街。そんな印象も持ちました。
それに、この辺り。ロシアの大平原と言うか、全然、山が無い場所でした。兎に角、運河と教会の街と言う印象の街でした。
色々と知る事が出来ました。また、知る事が面白かったです。


23日の朝、散歩に出かけました。
その時、カヌーの準備をして漕ぎ出そうとする人達を見かけました。
右はカヌーを漕いでいるシーンです。
川の擁壁が高くなっていますが、川へ下りられる場所が設けてあります。このような場所があるからカヌーを楽しめます。
こんな場面に遭遇しなかったら、市民が水に親しんでいる事が判らなかったです。
そう言う意味では、こんなシーンを目に出来てラッキーでした。




聖イサアク広場から周回して歩きました。
青橋から眺めたモイカ川の上流方面です。
右側に見えるドームはカザン聖堂です。




モイカ川の下流方面です。
乗船場が有ります。




運河越しに見えるIsodoruskerkと言う教会。
只今、工事中です。

ここでも運河へ降りれるように低くなった場所が設けてあります。
この場所を日本に当てはめて思ったのです。土地の形状から無理かも知れませんが、日本ではこのような場所、皆無では無いでしょうか。水の都といわれる大阪。道頓堀などは高い擁壁になっています。東京のベイエリア。恐らくここでも水に親しめるような場所は無いと思います。
googleの画像では、この運河。冬は凍って氷が張ります。長い冬が終り、暖かくなると一気にアウトドアに繰り出すのでしよう。先ほどのカヌー。そしてこのように川に出れるよう低くなった場所を見て、このように思いました。
このような場所がある。国としての姿勢があるのでしょう。





朝の散歩で見かけた塔です。
ニコライ聖堂の西側に有りました。
橋の下の向こう。ボートを漕ぐ人たちが見えます。




上の画像をトリミングしてみました。
ボートでなくカヌーでした。
手近な場所で水に親しめる。そのように見えました。






ホテル近くに戻って来ました。
エジプト橋から眺めたフォンタンカ川。
この場所はホテルの近くです。
カフェーなのだろうか。台船が浮かんでいます。



エレべーター
エレベーターの中でイタリアから来たと言う男性と一緒になりました。言葉は通じませんが、単語を並べます。彼はローマから来たと話しました。ローマなら行った事が有ると応えたのです。
また、別の時の事です。
今度は中国人と一緒になりました。エレベータの箱に入った時、外に人が居ました。中国人はサッサとドアを閉めるのでなく、外の人に一緒に乗るか気を配っていました。集団の中国人はしかめっ面ものですが、個となるとこのように気配りが出来る人も居るのだなと思ったのです。





ロシアの食事
21日のモスクワでの昼食はCOPOKAと言う店でボルシチの食事でした。COPOKAとはカササギと言う鳥の意味で、英語読みでは「Kafe Soroka」と言うのでした。22日の夕食はサントペテルブルグのロシアン・レストラン「Masha and the Bear」で、ビーフストロガノフをメインにした食事でした。
23日。プーシキン市のESTATE(レストラン)でピロシキを中心にした昼食でした。ESTATEは英語読みなのですが、「Pomestye」で検索すると出てきました。夕食はサントペテルブルグへ戻り、AMAPAHT(レストラン)で壷焼きの食事でした。こちらはAMAPAHTでなく、AMARANTで検索すると出てきました。
5日間の旅行中、ボルシチにビーフストロガノフ。ピロシキ。つぼ焼きとロシア料理を満喫することができました。


21日。
モスクワのKafe Sorokaでの昼食です。
ボルシチを中心とした料理でした。



22日。
サントペテルブルグのMasha and the Bearでの夕食です。
ビーフストロガノフをメインにした食事でした。





23日。
プーシキン市のPomestyeでの昼食です。
ピロシキを中心にした食事でした。




23日の夕食。
サントペテルブルグへ戻り、AMARANTで夕食でした。
壷焼きの食事でした。骨付きの鶏肉が入っていて、ボリュウムが有りました。



ロシアは銅像の国
ヨーロッパの他国が銅像の多い国かどうか、知りませんが今回の旅行で多くの銅像を見かけました。

何れの銅像もバスの中から撮影したものです。
左上はレーニン像。右上は青銅の騎士です。
下2点は誰の像か判りません。



左の上はニコライ1世の騎馬像でその下は横から眺めたものです。
右の上は芸術広場のプーシキンの銅像。
右下はピヨートル大帝夏の離宮の庭園のピヨートル大帝の像です。



左の上は聖ワシリー寺院の前に有った像です。
左の下はアレキサンダー1世像。クレムリンから出て来たところにありました。
右側の上と下はバスの中から撮影したものです。誰の像なのか判りません。


旅の偶然の面白さ
今回、参加者は直前のキャンセルがあり、15名の参加者となりました。少ない人数ですので、バスの座席には好きな処へ座れました。これが指定席となると座った席によって車窓の景色が異なってきます。
ホテルの部屋割りによって外の景色が違ってきます。今回、2つのホテルとも比較的高い階でして眺望に恵まれていました。
ライトアップしたトロイツキー大聖堂が見えたのはラッキーでした。

部屋の窓の外。
ライトアップしたトロイツキー大聖堂が見えました。

 

戦争の歴史
今回の旅行で特に心に残ったのは「戦争」と言う事です。トロイツキー大聖堂、教会の高いオダリスクに何本もの砲身が貼り付けてありました。クレムリンの中でも沢山の砲身が並んでいました。
エルミタージュ美術館には将軍の間があり、ナポレオン時代に戦ったであろう様軍たちの肖像画が何点も展示してありました。
スェーデンと戦って凱旋門を造ったとか、トルコと戦争したとかと、ガイドが話してくれました。
日露戦争で日本とロシアが戦ったことは知っていましたが、レニングラード攻防戦でナチスドイツと戦いました。ガイドが3年間の攻防戦で150万人が凍死や餓死で亡くなったと話してくれたのが印象に残っています。
ぺテルゴフの夏の離宮で、ナチスの侵略から守るため石像を隠す写真が生々しく見えました。ずっと戦争の歴史だった事が判りました。


クレムリンで見かけた大量の大砲。
これらの大砲にはナポレオンが退却し、分捕ったものも有るようです。


 旅の値段の比較
 
今回、参加した旅行。6月20日のコースに参加しました。
このシリーズでは、約17万円。約18万円。約19万円。そして約20万円と1万円づつ増加していきました。季節が良くなるに連れてホテル代が高くなるのでしょう。
でも、最後の8月1日は催行中止となっていました。催行人員が15名に満たなかったからでしょう。



こちらは手元に届いたH社パンフです。
まだ、先の事で11月3日からの催行です。値段は約12万円と約13万円となっています。


私たちが行って来たのは約17万円で、H社のツアーとは、同じ5日間でも、5万円の差が有ります。H社のは、コース的にはぺテルゴフ 夏の離宮へは行きません。それにモスクワに到着してモスクワから帰ってくるコースで、移動が列車となっています。
泊まるホテルが違うなど、一概に比較は出来ませんが、好い季節に行くか、寒い季節に行くかと言う事になってきます。
エルミタージュの見学も6時間と3時間の差が有ります。
結論から言うと、少々高くても好い時期に行くか、安いが寒い時期に行くかと言う事でしょう。
白夜を体験するとかライラックを愛でるのは暖かい時期にしか味わえない体験です。
安くても、エルミタージュを見るとか、目的があれば話は別です。
目的に有ったツアーのコースを選ぶのがベストなのでしょう。



最後に
6月20日から24日に掛けての5日間の旅行でした。事前に旅行社からの連絡では16名の参加者と言っていました。それがキャンセルした人が有り15名となりました。催行人員が15名でしたのでギリギリの人数でした。
今回の旅行。普通の人が100パーセント楽しんだとすると、私は早朝の散歩に出かけたりホテル近くのスパーマーケットに行ったりして120パーセント、楽しんだと思います。
こうしてブログをアップさせるのに調べたりもしました。旅行に行った事を思い出し、色々と浮かんできました。丸で復習しているような気分でした。
良かったロシアの旅を思い出しました。

今回はMotaさんと一緒させていただきました。
Motaさんのサイトです。
http://www.katch.ne.jp/~mota/tabi29.html
また、このツアーに参加していた風のたよりさんのブログを紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/f5kanekiyogoo555/e/4f1dbef7a41a4468b44c1854cc16b4f2

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