朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

Beaujolais Nouveau 2009

2009-11-20 | 食べること、レストランなど
今年の解禁日は、11月19日(木)でした。
 さっそく近所にあるYaMaYaに行って、PETのボジョレ・ヌヴォーを購入しました。



 普通のヌヴォーは、980円(黄色キャップ)。
 ヴィラージュは、1180円(青色キャップ)。
 ロゼは、980円(赤色キャップ)でした。



 少し上等なグラスに注いで、眺めてみました。
 鮮やかな赤で美しいですね。



 香り、味は、ヴォジョレ特有の軽さ。
 PETで問題ありません。
 安価となって、とてもうれしいです。

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菅原道真

2009-11-19 | もろもろの事
「退職金も出なかった可哀そうなお役人」
  (「京都の旅2」松本清張・樋口清之著より引用。下記の漢詩も)

 普段はおみくじや占いなどは迷信であり、納入業者や神社寺院の金儲けと思っているのですが、ふと、大宰府天満宮でおみくじを引いてみました。

 鷽(うそ)という小鳥の形で木彫りの、かわいいおみくじがありました。この小鳥の中に籤が入っています。




道真公の九州大宰府での詩です。

 消息寂寥たり三月の余 便風吹き著(つ)く一封の書
 西門の樹は人に移し去られ 北地の園は客に教して寄居せしむ

 紙に生姜を裏(つつ)んで薬種と称し 竹に昆布を籠(こ)めて斎儲と記す
 言わず妻子飢寒の苦しみを 是れ還って愁となり余を懊悩せしむ

 京都の留守宅から家族の様子を細かく書いてきた手紙を読んで、残してきた妻子を思いやって作った漢詩です。子どもは23人いたそうです。その男子たちも土佐、駿河、飛騨、播磨に流されました。

 藤原家をめぐる権力争いが原因であったのですが、讒言により九州に左遷されました。
 形式は公務の人事異動のはずですが、現代とは異なり転勤旅行の費用なども自弁で難渋を重ねたようです。九州大宰府に赴任して、わずか2年で死去しました。

 そのためすざまじい怨念が生まれ、彼はそれを詩歌と漢文に託しました。

 当時の都人の認識によれば、貴族階級には病気が蔓延し、天災事変が多く現れたので、すべて道真のたたりだと思われました。

 その怨霊をおさめるため、京都の北野天満宮を始めたくさんの天満宮が建立されました。つまり、道真の「霊」が勝ちました。

時が経過すると、道真は怨念の権化のシンボルから、和歌・漢詩の神様として評判が広まりました。
 かつては、悪魔のように恐れられた人物が、現代では受験の神様になるとは。

古代から現代に至るまで、権力闘争に敗れ失意の元にこの世を去った役人は山ほどいるでしょうが、疫病や天災のおかげで後世に名を残し、地域振興にも多大な貢献をした道真公は、むしろ幸運です。
 まさに、人間万事塞翁が馬。

 *****

 大宰府で引いたおみくじには、道真の有名な和歌が書いてありました:





 大吉でした!!

 このブログを見に来てくれた方々にも、大吉が東風に乗って飛んでいきますように。
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水尾

2009-11-18 | 京都の文化(秋)
愛宕山の表参道を下り、途中の分岐点から分かれて急な狭い坂道をドンドン降りていくと40分くらいで、水尾の集落に着きました。

 どこにでも、立派な柚子の木があって実がたわわに実っていました。

 ゆずの名産地です。





この集落も、両側を高い尾根筋に挟まれ、渓流に沿った隠れ里です。
 清和天皇が好んだ場所であったので、その御陵があります。



集落のお屋敷には、こんな案内がありました。
 「柚子風呂」あります。民家ですが、予約しておくと、柚子のお風呂に入れてくれるそうです。地鶏の水炊き、地場の野菜なども調理して頂けるとのこと。

 いつか再訪してみたいと思いました。






そうそう、ちゃんと樒(しきみ)も、杉林の脇に生えていました。一葉取って、小さくちぎってみると良い香りがしました。



最寄の駅は、保津川の鉄橋の上にあるJR「保津峡」です。そこまで、集落から緩い下り徒歩40分でした。



駅のホームの真下に、保津川下りの船が見えました。川の右手の土手にトロッコ列車の線路(古い国鉄山陰線)があってその脇には紅葉の赤が数本見えています。



JR「嵯峨嵐山」へは、たった1駅で2、3本のトンネルを抜けるとすぐに到着しました。
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愛宕神社

2009-11-17 | 京都の文化(秋)
本宮の境内に到着です。

 案外に平らな場所は広くて社務所や、休憩所、ベンチなどが並んでいます。



そこから本殿へは、またさらに石段が続きます。
 おそらく、この最後の坂が、京都市内から眺めたときのこぶにあたるのでしょうか。



本殿前にあった青銅製鳥居の柱には、阿吽の猪が彫刻してあります。
 もう一方のシシは、口を開けています。



本殿での「歩数計」のカウントは、12,600歩を超えました。麓のバス停で、3,500くらいだったので、この登りでは9,000歩。5.5kmくらいになります。



「ハナ売り」の小屋は無くなっていますが、本殿の受付で祈祷した樒(しきみ)を販売していました。



信者さんの石柱をみると、「5000回参拝登山記念」がありました。

 これはすごいことだ。



毎年、7月末日には「千日詣」の日があって、この日に参詣すると千回分のご利益が一日で得られるそうです。 (ということは...さっきの石碑の方は、この日に5年なのかな、、、そんなわけないね)



参道の石垣や踏み石には、なかなか美しい大理石のような石がありました。この辺りの山で取れるのでしょうか。





 さて、帰りは、樒が生えている(らしい)水尾に下りて行くことにしました。行きと同じ道じゃ、つまらないもん。・・・


 =~*~+~>~<~=~*~+~>~<~=~*~+~>~<~=


我が家から、西に見える山並みです。中央の少し膨らんで一番高いコブが愛宕山。




これは、京都市内の黒谷、金戒光明寺鐘楼から見た夕方の愛宕山遠景。



 あのお山に登ったんだぞ。
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大宰府天満宮

2009-11-16 | 国内各地の風物
天神(福岡)から西鉄電車に乗って、途中で一度乗り換え、約30分で大宰府駅に着きました。

 駅前から直ぐに、石畳の参道がつながり両側には門前町の色々な商店が軒を並べています。

 「梅ヶ枝餅」といって、餡餅を焼いている店が何軒もあります。梅の味がするわけではありません。餅の表に五弁の梅の模様が焼印されます。名称の由来を知りたい方は、ここ

 この写真のように、半分自動のもち焼き器もあれば、一個づつ手で開閉してガス火であぶる焼き方の店もありました。




 軽めの昼食として、焼きたてを2個、梅茶とともに頂きました。
 香ばしくて、薄甘のあんこ餅がふんわりと口の中に広がりました。



 


境内に入ると、大きな池があり太鼓橋が連続して池の上に架かっています。池の周りには巨大な楠が数本。




つわぶきも、濃い黄色の花を咲かせています。



本殿前には、巨大な手水盤がありました。
 明治時代に近隣の富豪が奉納したもので、熊本県の大きな御影石をくりぬいて作られています。清水がコンコンと注がれていました。



この神社に祭られているのは、菅原道真。平安時代の文官で右大臣まで昇進したが権力闘争に敗れて、九州の役所に左遷されました。
 彼はその恨みを和歌に託して、怨念を残したままこの地で逝去しました。

 その後、都であった京都に天変地異が連続したので道真の祟りだと恐れられ、天満宮を造り魂を慰撫したのです。京都には北野天満宮があります。

 後の時代になると、彼の和歌などの才能が再評価されて、「学問の神様」となって尊敬されることになりました。




境内では、菊花展が開催されていて、とても立派な大輪の菊や盆栽のような渋い菊など、何十種類もの菊の花が展示されていました。



土産店には、こんな駄洒落の蛸ぬいぐるみも。
 「おくとぱす」(部屋に「置い」ておくだけで、受験に「パス」する)

 通りがかりの高校生は、友達に「これで合格するんだったら、だれも受験勉強なんかせえへん」と言いながら眺めていました。

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ラースタ

2009-11-15 | 食べること、レストランなど
もう一つの名物は、博多ラーメン。中州の川向にキャナルシティがあり、その中に「ラーメンスタジアム」がありました。

 6、7軒のラーメン屋が出店していました。博多以外のラーメン人気店も何軒が出ていて、むしろそのほうが多い。博多は2店くらいかな。






その中から、博多ラーメンの店「だるま」に入ることにしました。



トンコツの白いスープに細い麺です。



 美味しく、このラーメンを楽しみました。
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博多のふぐ

2009-11-14 | 食べること、レストランなど
福岡にて仕事があり出張しました。

 この時期、やはりふぐを楽しみました。



 京都で夕方まで仕事をしてから、新幹線に飛び乗り、うとうとしている間に博多に到着。駅前ホテルにチェックインして、近所の居酒屋に出かけ、「ふぐ刺」を注文しました。

 この店は大衆的な、安い料理を出すところでしたが、オーナー店長が愉快な方でした。



 このふぐは「とらふぐ」ではなかったですが、まあまあ美味しい。



 その翌日は、仕事の仲間ともう少しまともな料理店で宴会しました。
 ここで頂いたふぐ刺しは、大変美味でした。






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愛宕山4

2009-11-13 | 京都の文化(秋)
しきみ(樒)とは、仏前とか神棚に供える緑の木の枝です。麓の水尾の村の女性が毎朝ここまで持参して、神社でお払いを受けて「ハナ売り」をしていたそうです。
 説明看板の写真を拡大しました。
 茅葺屋根の建物があったようです。





いよいよ境内に入ります。黒門がありました。





掲示されている写真を見ると、かごに乗って参詣した人がいたようです。





「丁石」は所々欠けています。それに替わって、地元消防団の標識が約100メートルごとに掲示されていました。
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愛宕山3

2009-11-12 | 京都の文化(秋)
登っていくと、尾根筋にでて突然こんな「こもかぶり」(日本酒の四斗たる)が出現。ご神体は、さて何でしょうか。



落雷で焼けた大きな杉の木が立っていました。

 愛宕さんは、火事から建物を守る神様として信仰されています。つまり、その神社の表参道の真ん中に、焼け跡があるのはいかにも都合がわるい。そこで、雷神を慰めこれ以上悪さをしないよう御酒を供えて祭ってある、と思いました。


 この辺りは、こんななだらか道になりました。




さらに登っていくと、ここが落語に出てくる「カワラケ投げ」。
 今はもうありません。休憩のベンチがあるだけ。

 落語「愛宕山」の一番賑やかなお話しは、ここでの「かわらけ投げ」の場面です。

 浪速のお大尽が太鼓持ち、芸妓を連れて、愛宕さんに参詣する道中の描写が実に快活。
 「その道中の愉快なこと....




 カワラケ投げを、昔、やっていた斜面はこの方向です。

 実は、ここを見てみたかった...でも、今は何もなし..少しがっかり。





さらに淡々と歩いていきました。すれ違う人や前後を歩くは少ない。



水尾の集落からの参道は、ここで合流します。「ゆず」が名物だそうです、今がその季節でしょうか。




しきみ(樒)売りの話しは、明日に。
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愛宕山2

2009-11-11 | 京都の文化(秋)
なんせ「表参道」ですから(!?)それなりに整備されていました。

頂上の神社が、50丁目です。ところどころに、こんな丁石の標識が立っていました。








要所には、歴史的な由来の説明板があり、退屈させないような工夫があります。

 お茶をなんで頂上の神社でで貯蔵するかしら。冷暗所でエージングすると風味がでるものなんでしょうか? ワインのように? ・・それとも、神様のご加護かな。





最初の屋根付きの休憩所には、みごとな紅葉がありました。
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