朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

長谷川等伯

2010-04-25 | 京都の文化(春)
京都国立博物館にて、長谷川等伯展が開催されています。(5月9日まで)

 雨が降った平日、少しはすいているかなと予想して見学に出かけました。



 なんと30分待ちの行列がありました。列の前後での会話を聞いていると、他の人々も同様に思って、わざわざ悪天候の日に出てきたと話していました。

 大変な人気ですね。



 桃山時代、能登から上洛してきた絵師、等伯。初期の名前は信春(のぶはる)。
 豊臣秀吉のお気に入りとなって、当時の絵師の最大派閥、狩野派を凌駕して、数多くの傑作を残してくれました。

 今回、改めて初期の作品から晩年まで代表的な作品を通しで鑑賞することができました。

 初期の能登時代には、仏画、曼荼羅を描いています。

 京都に来てからは、実に多様な活躍をしています。

 大徳寺三玄院の襖絵を描かせてほしいと住職に何度もお願いしたけれど、それを断られていたのに、留守を狙って寺院に無断進入して一気に描きあげました。これがとても上出来だったので、住職も破棄できずその作品が評判となって、等伯の名前が都で知られるきっかけになりました。

 等伯は、大器晩成形でしょう、51歳で大徳寺三門の壁画を仕上げて一躍、第一流の絵師となったのです。彼の都での最初の生活を支援した日蓮宗のお寺さん、その後に時の実力者に取り入る努力があり、千利休の取立てもありました。

 単に、アバンギャルドな前衛的芸術至上主義の画家であったわけではありません。

 金箔を下地に張った金碧画「花鳥図屏風」の華麗で強烈な楓の大木とその周辺に咲く草花。狩野永徳への正面からの挑戦。
 『楓図壁貼付』 この画と次の水墨画の転換はいったいなんなんでしょうか。


 展示会場の最後の部屋に、この「松林図屏風」がありました。
 


松林図(右隻)(Wikipediaより引用)




松林図(左隻)(Wikipediaより引用)

 これら以外にも大変に感動的な作品がいくつも展示されていました。
  
 「柳橋水車図屏風」に描かれた柳の枝とそよ吹く風。

 「波濤図襖」の海面に丸く細かく枝分かれする波形の表現や、海上に頭を出す岩礁の太く直線の黒い筆跡などデザインが今見ても新鮮でした。

コメント (2)
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