朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

文楽

2008-12-04 | 伝統芸能
造形大の伝統芸能講座に刺激を受け、11月6日に国立文楽劇場(大阪)に行ってきました。
 講義のときに実演してくださった、竹本綱太夫さんと鶴澤清二郎さん(三味線)が出演する演目「恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう)」を見ました。
 たまたま、この公演では、五世豊松清十郎の襲名披露「本朝廿四考(ほんちょうにじゅうしこう)」も懸っていました。

 受け売りですが、文楽(人形浄瑠璃)と歌舞伎は、江戸時代、庶民をお客さんとして発達した芸能、一方、能、狂言は武士と公家の庇護と支援によって発達した芸能という歴史があります。そのため、文楽(と歌舞伎)は当時の大衆受けを狙って、仕掛けが派手、ストーリーが波乱万丈となっています。
 綱太夫さんの「恋娘」は「城木屋の段」が演じられました。その最終場面「鈴ヶ森の段」は別の太夫さんと三味線さんに交代です。
 「出語り床」が舞台上手(向かって右側)にしつらえてあります。さすがに文楽劇場です。
 ここには金のついたてを背にして、太夫と三味線が座り演奏します。
 写真は、開演前の出語り床です。普通は、太夫と三味線は一人づつですが、この日の最初の演目が「靱猿(うつぼざる)」でした。その演題は、なんと、太夫が5人、三味線4人も出演したのです。(靱とは、戦闘や狩猟の際、矢が雨露にぬれたり物に触れて破損するのを防ぐための矢入れ具の一種。植物の穂形をしており、中が空洞になっている)
 猿(もちろん人形)も出演するユーモラスな、一面でシリアスな、物語ですがここでは省略します。



 この「床」のことなんですが、なんと、回り舞台になっていて、太夫・三味線の交代の時にはぐるっと回って、後面から次のチームが現れました。いやあ、驚きです。江戸時代のハイテクですね、その頃の観客も大いに喜んだことでしょう。
 太夫さんの語りは、当然、江戸時代の上方弁ですが、この劇場では上部に1行の字幕が映写されますので、おおよその意味は分かりました。同時音声解説のイアホンも借りることができます。外国人も何人か鑑賞していました。
 「恋娘」は、大きな商家の後継者騒動のお話しで、善人と悪人ははっきり別れているので筋は分かりやすいですが、小波乱、大波乱の連続。最後の鈴ヶ森(磔刑場)にお駒が引き立てられる場面は涙を誘います。落ちは省略。
 人形は3人の使い手がいて、頭と右手をメインの演者が、左手、足は各々別人です。頭の人は高下駄を履いて高さを調節しているとのこと。

 襲名披露の演題で「奥庭狐火の段」は、すごい。(左上の縮小写真:クリックで拡大)
 これぞ、文楽ですね。主役の八重垣姫の清純さから、狐がついて妖艶な白い着物への瞬間の着替え。狐火が飛ぶ、本物の炎に見えましたが...そして白い狐が何匹も駆け回り、飛び上がりました。



 ロビーに出てみると、五世豊松清十郎の「まねき」が飾られていました。南座の顔見世(歌舞伎)でも役者の「まねき」が正面玄関の上に飾られます。
 祝儀袋が載った白木の盆が美しく貼り付けられていました。ご贔屓のお客さんからのお祝いですね。

 途中休憩の後、舞台では襲名の「口上」がありました。裃をつけた先輩の太夫さんなど十人くらいの方が二列に座って、順々に挨拶しお祝いと今後のご贔屓をお願いされました。いわゆる、候ことばで。もうすっかり江戸時代でした。

 
今回の記事を書くに当たって、三浦しをん著「あやつられ文楽鑑賞」(ポプラ社)を参考にしました。こんな面白い本を教えてくださったヨコさん ありがとうございます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする