この旅行の、公式な目的であるSO(スペシャルオリンピックス)世界大会の開
会式に出席をしてきました。
街中のSO旗。SOは趣旨から言って国旗の掲揚はしないのだがなあ
アテネの街には、SO旗がギリシャ国旗と並べて飾られ、市役所、図書館、国会
議事堂には大会開催の掲示がされていました。勿論W杯やオリンピックのような
盛り上がりはありませんがすごくマイナーな感じもしません。
SO日本中興の祖、中村勝子さんにも久々にお会いした。相変わらずお元気であ
る。この方とお会いすると何かしら元気をいただける。SON愛知の人ともホテ
ルで合流。会場には5:30に案内された。式は8:30開始というのに。陽は
あかあかと照り、聞けばスタンドは西日に照らされるというので、暫く道路脇の
木陰で時間をつぶす。
アテネ競技場の入り口の標識
入場時の手荷物検査 飛行機にのる時と同じだ
会場内の警備 デモの影響だろうかやたらたむろしている
アスリートたちを乗せた各国のバスが次々と目の前を通り過ぎてゆく。それに向
かって手を振ると、張り切って応えてくれる。ところが交通整理のおまわりさん
が、やたらに怒鳴りまくっている。進入不可のところに入ってきた車に「出てゆ
け!」「ここは進入禁止だぞ!」(ギリシャ語が分からないので私の勝手な推測
ですが)と追い返している。外交特権のありそうな中国旗をつけた車にも容赦無
い。一種のショーだ。
陽が陰ってきたので7:30過ぎ会場に入場。会場は近代オリンピック発祥の地
馬蹄形(音叉に近い)のアテネ競技場だ。細長い競技場のフィールドに一本の道
が設けられ、西側の開放部に大スクリーン、と入場口、東側の閉鎖部の上に聖火
台がある。
会場のグッズショップ
まだ人が少ない会場
会場のレイアウト
入場行進前のパフォーマンス
遠くにパルテノン神殿がライトアップされ、太陽がその横に沈む。夕暮れが迫っ
てきた頃、開会式は始まった。知的障害の子供を加えた3人が司会を始める。女
性歌手が2名オペラの歌曲のごとく3,2曲、朗々と歌い上げ、大規模な集団舞踊、
男性歌手四角な箱を使ったパフォーマンス、その後素焼きのツボを叩く音楽、終
わってそのツボを、道の下に叩きつけて割るのと同時に花火がそこから上がる。
入場行進(アメリカ)まだパルテノン神殿が見える
入場行進
アスリートメッセンジャーの宣言
それが入場行進の合図であった。選手団は一文字の道を進み、東の端で、左右に
別れてスタンドに入る。日本選手団の先頭には有森裕子SON理事長、ブラジル
選手団の先頭にはジーコがいた。160ヶ国の国と地域の入場行進は壮観である。
通常のオリンピックの入場と同じ雰囲気だ。但し選手団の大きさは、国力の差に
比例しているのではなく、その国の社会福祉の力の入れように比例しているよう
だ。SO提唱国アメリカの選手団の数は群を抜いていたが、カナダ、アイルラン
ドは日本と同じかそれ以上であった。中国などはまだまだ、日本には及んでいな
い。
スティービーワンダーの演奏
創始者、ユニス・ケネデイ・シュライバーの息子ティモシー・ペリー・シュライ
バーが現在の代表だが、彼は次のように演説した。「我々は他との競争でなく、
純粋にベストを尽くすことに集中する。これこそ真の、本物のオリンピックだ」
またそのあと、スティービー・ワンダーも演奏、挨拶をし、「選手や、家族は勿
論だが、ボランテイア、支援者、ここにいる皆さん、地域の人々、みんな皆、同
じ側、内側の人だ」と叫び、大きな拍手を受けた。
実行委員長は女性だったがこの方の演説が少々長く、8:30から始まった開会
式はスティービーワンダーの4曲の演奏が終わった頃には、10時15分を過ぎ
ていた。登場した4人の歌手の歌を聞くだけでも、入場料は充分もとは取れたと
思ったが、聖火の点火までいると、帰りが大変なので、聖火の入場を待たず退散。
熱気の覚めやらぬ競技場を後にした。
会場の夜景 遠景
徒歩でホテルまで戻ったが、途中国会議事堂がライトアップされ静かに佇んでいた。
いろいろな形で、メッセージを受けた開会式であった。
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