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インド紀行(8)ーうたかたの都

2017-12-25 14:37:27 | 行ってきました

城壁はほとんど崩れていた

林の中を遺跡に向かって

遺跡の入口

アグラ城を後にして西へ向かうこと約一時間。ここも世界遺産に登録されている。「ファテープル・シークリー」とは勝利の都シークリーという意味である。ムガールの皇帝の中で唯一大帝と言われているアクバルには、多くの妃妾がいながら世継ぎには恵まれなかったことが悩みでした。

ある時聖者から「5年以内に3人の男の子を授かる」と予言を受け、やがて予言通りに男児に恵まれたので、遷都したと言われています。(一説にはアグラ城があまりに暑いので嫌気が差した、とも言われています)

しかし、深刻な水不足と酷暑に見舞われ、わずか14年で再び遷都、うたかたの都となったのです。豪気なのか気まぐれなのか、いかにも昔の皇帝らしい。しかし残っている建物は赤砂岩の立派なものである。


内部装飾の柱飾りは精緻な彫刻が施されている

風通しの良い、骨組みだけのフロアが重なっている皇帝の住まい。

宗教の柱 

「宗教の柱」皇帝はこの柱の上から知識人と意見を交換したそうです。各宗教の様式を取り入れ、他宗教との調和を表現、皇帝の生涯のテーマが諸宗教の共存でした。広大な庭の隅にある妃妾の館も各階がキリスト教、ヒンズー教、イスラム教という風に分かれていたという。

強大な軍事力を誇ったムガール帝国の大帝が、宗教の融合に気を配っていたとは驚きだが、武田信玄も経済政策や人心掌握にかなり気を配っていたことを思えば、偉大な為政者の常かも知れない。


私的謁見室 宝石の家

妃妾の館

池に囲まれた正方形の壇の奥にあるのが、皇帝のプライベートルーム。

当時、歌のパフォーマンスなども行われたステージ。

この広場で人間チェスなどが行われた

栄華を偲ぶ赤砂岩の建物群





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