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菩提寺

2010-06-01 10:22:39 | 雑感
土井家の墓

母の17回忌の法事で、刈谷市の十念寺に兄弟、連れ合い、甥、姪が集まった。
ここは、刈谷藩主土井家の菩提寺でもあり、天誅組総裁松本圭堂の墓もある。

墓の掃除をしていたおじさんが「見ていくかい」と墓所の門を開けてくれた。三家老の墓の横に圭堂の墓、その奥に土井家の墓がある。

さすがに土井家との間には門が作ってあり、厳然と区別がしてある。松本圭堂の墓は質素である。

松本圭堂は藩の秀才で、幕府の学問所「昌平黌」( しょうへいこう)=今で言えば東大を首席で卒業したほどの人で、後に明治維新の5年前奈良の五条で、公家中山忠光を擁立して公然と幕府に対し武力蜂起をした。

世に「天誅組の変」というが、圭堂はそのときの三人の総裁(藤本鉄石、池内蔵太)のうちの一人であった。
この変は土佐藩士吉村寅太郎なども関与していたが、3日後に朝廷内でクーデターが起こり、
中山卿が少数派になってしまい、頓挫してしまう。

刈谷藩と言えば、家康の母於大の方の居城であり、徳川幕府の生みの親でもあるのだが、幕府を終焉させる動きを、いち早く見せたのも刈谷藩出身の武士であることに何か因縁を感じる。

三河は保守的な土地柄だといわれるが、天誅組の義挙を見ても、早い時代のトヨタの誘致をみても、この地には底流にかなり革新的な気風も流れていたのではないかと、思う。
(天誅組140年ホームページhttp://www.gojo.ne.jp/g-kanko/tenchu/index.htm 参照)